西神吉町をゆく(26) 鼎の「清水」
鼎の清水について堀田武夫氏は『私たちのふる里(第1集)』(西神吉小学校PTA発行)で清水について下記のように纏めておられます。
一部をお借りします。
清水村は、もとは今の変竃所の附近にありました。古屋敷とい字(あざ)の所です。
集落という程の戸数もありませんでした。
慶長年間(1596~1614)約400年に、現在の地の周辺の地を開墾し、畑をつくり水田をつくり集落の名前を「清水新田」と名づけました。大変な苦労でした。
まず、自分の生活をきりつめ、食物は、肉、魚介類は食べずに、野菜を主にとっていました。
・・・・
昔から、清水へは魚屋さんも出入りしない集落でした。「売りに行っても買ってもらえない」とまで言われました。
穀物類は、絶対にねずみに食べられないようにする。だから、ねずみも住めない。猫も飼わない、育たない。
その上、牛や馬を働かすだけ働かして、食物は充分には与えないものですから、
早く亡くなったといいます。
開墾当時の清水の入は清き水をもとめました。
「清き水が出るよう」にと、弘法大師にお願いして、井戸を掘り、その水を田に引き入れ、水田をつくり、生活用水に利用し、村の名前を「清水」とし、村人は水埜・清埜・清田・野村などの姓をつけました。
先担は、土地を大切にし、水も浪費を防ぎ、自分の会べ物も出来るだせ姶末をして、清水という村をつくってきました。
*写真:清水の妙心寺
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