ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平岡町をゆく(13) 新井用水物語(4) 新井用水と池

2024-07-04 10:42:26 | 加古川市の歴史・平岡町編

    平岡町をゆく(13) 新井用水物語(4) 新井用水と池

 黒く塗りつぶした池に注目してください。

 明暦二年(1656)、新井は完成しました。それに伴って、「池は不必要になった」かというと、そうではありません。

 この地域は、もともと水の得にくい土地がらでした。

 そのため、これらの池に水を確保するために「新井」が掘られたといってもよいほどです。

 用水完成後も、しばしば十分な水が得られない年がありました。

 新井は、加古川・尾上の田畑を潤す「五か井用水」とは違い、勾配がほとんどありません。そのため、新井は満水にして水位を上げなければ、水は流れてくれません。

 新井(13km)の分水地(神野町西条)の標高は約12mであり、終着「大池」(播磨町)の標高は約5mです。

 しかも、「新井」は、「五か井用水」の取入れ口と同じす。

 従って、旱魃のときは、「五か井」を優先させ、「新井」の分水口をせき止めるという条件までありました。

 池を潰して、新田を作るという余裕なんてありません。黒く塗った池は、新井から取水している池です。

 新井と池がともに稼動して、この地域の水は何とか確保されるという状況でした。

 新井の北側の池は、「新井」より土地が高いため、取水することができません。これらの池は、依然として、雨水が最大の水源でした。

 新井用水にそった池の多くは、古い時代に造られたようですが、記録がありません。

 新井の完成後も、依然として池が命綱でした。

 記録がないので、以下は推測です。

 日照の年は、池の水もかれてしまいました。新井の水も使えません。二俣村の作物は枯れ、その後には、きまったように飢えがまっていました。

 

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