志方町をゆく(130) 横大路(5)
学窓疎開(3) おやつはイナゴ(疎開追想集より)
〈桑田 結〉
私たちは、お寺(志方町横大路妙正寺)の本堂に集まり、先生から、ここで集団生活を送るので、しっかりせよと、お説教されました。
その後、(男の子は近くの)公会堂へ移って、寝泊りすることになりました。教室位の広さの天井の高い部屋でした。
昭和19年夏から、昭20年秋まで集団生活を送ったわけですが、広い公会堂にせんべいフトンでの生活はきびしく、手足はアカギレ、栄養失調によるハナタレ、皮膚病、加えて寝小便と9才~10才の子どもにとっては、本当につらい生活でした。
疎開地に入った当初は、週に一回位はすじ肉だったが肉もありました。
また、時には、交代で民家へ招待されて家庭の味を味ったりしました。
しかし、戦局が悪くなるにつれて食事は悪くなる一方で、7、8月頃は、昼食はサカヅキー杯の大豆だけとなり、朝夕の食事も、おかゆより薄い、得体の知れない重湯になっていました。
イナゴをとって、ホウラクでいって食べるのが唯一のおやつでした。イモのつるなどは貴重な食料でした。
朝・宝殿駅で発見されることもありました
疎開中の唯一の楽しみは、やはり両親の面会でした。
差し入れのおやつが楽しみでしたが、親が帰れば全部集めて、全員のおやつになりました。
時局とともに、面会に来る親も段々と減り、6月の神戸大空襲以後は、在神の親も丸裸となり、集団疎開に預けておいた方が良い、と云う事で、全く面会もなくなりました。
学友の中には、戦災で両親を亡くして、縁者に迎えられて、泣き泣き他所へ行くものもいました。
あまりのつらさに、夜中に脱走して、早朝宝殿駅で見つかる友もたびたび出ました。・・・・
*絵:イナゴのほうらく焼き