ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

志方町をゆく(116) 細工所(16) 厳しい生活でした

2023-06-03 07:53:18 | 加古川市歴史探訪 志方町編

 

      志方町をゆく(116) 細工所(16) 厳しい生活でした

 村に古文書等が残されておれば、村の歴史は比較的容易に再現することができます。

 志方町に関しては、古文書類が残されている村は非常に少ないようです。

 『志方町誌』も「・・・(古文書類は)わずかに岡・東飯坂・行常・東中・山中・助永・西山を数えるだけである・・・」と記しています。

 細工所も古文書類は今のところは少なく、ほとんど所在が分かりません。

 そのため、細工所の歴史も十分な紹介ができないまま、終わりそうです。

 『加古川市史(第二巻)』に、「一橋藩徳川氏領明細帳」として、細工所の明細帳が紹介されていますから、紹介しましょう。

 先に紹介したように、東志方の9ヶ村(大沢・行常・細工所・野尻新・岡・柏尾・吉弘・高畑・大宗の各村)は、相模小田原藩の領土でしたが、延享4年(1747)から一橋領に組み込まれ幕末まで天領として続きました。

 従って、「一橋藩徳川氏領明細帳」は、延享4年以降の数字です。

     〈細工所の明細帳から〉

   戸数 116軒、村高約520石の村

   村高 520石289合  41町101畝4.5歩 

   除地 3ヵ所42.3畝

   人口 532人

   牛  25疋

   鉄砲 1挺

   小物成(雑税)  金納

   酒造株 1 酒造米高300石 冥加銀(その税金)が40匁5分

   百姓持林 3ヵ所 752畝

   余業 男 薪取り・草刈・縄俵こしらえ 

       女 木綿織

   津出し  芝村まで2里・・加古川川下げ3里半・・高砂・・船出し



 細工所は、村高(米の収穫)が520石289合の村です。

 戸数が116軒ですから一軒当たり約4石845合となります。

 ここから年貢が引かれたのですから、絶望的な生活ということになります。牛の数は25疋ですから、少なく4.64軒に一疋です。

 これらの数字だけが生活の糧ではないのでしょうが、とにかく苦しい農民の姿が浮かんできます。

 そのため、農業の合間には男は薪取り・草刈・縄俵こしらえに励み、女は木綿織に精を出したことが明細帳から知ることができます。



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