志方町をゆく(124) 細工所(20)
伊能忠敬測量隊、加西道をゆく!
文化八年(1811)3月5日(旧暦)、伊能忠敬の測量隊(別働隊)が細工所を測量しました。
もちろん、正確な日本地図の作成のためです。
まず、図で加西の坂本をお探しください。
測量隊は法華山のある坂本から二手に分かれ一隊は社から立杭方面の測量をしています。
そして、別働隊が三口から南下して、志方細工所方面の調査をしました。
この日は、晴天であったようです。
伊能忠敬測量隊(別働隊)、昼食は、吉広(現:広尾西)の庄屋宅で
その測量の様子を『加古川市史(二巻)』に見てみます。
「・・・伊能の測量は、主な街道の距離の測量をするかのように見えるが、正確な地図を作成するには実はそれよりも大切なのは、主な山・島で方位を測量すること、夜間に宿泊で行う天測によってその地点の緯度を算定することにあった。
・・・・・(測量隊一行は)文化八年(1811)には法華山一乗寺のある坂本村の庄屋宅・百姓家に宿泊し、別働隊は三口から高砂道を南下して、大沢・細工所・同村安楽寺門前を通り、岡村字田中・下条・中才を通り、吉広・柏尾(以上志方町)・一本松新・小畑・西山・山角(以上加古川市平荘町)・小野・薬栗・見土呂を通り、滝野川(加古川のこと)を渡って国包(以上加古川市上荘町)にいたる。・・・」
日記によると春なお遠い3月5日(旧暦、現2月)、伊能忠敬の測量隊一行は安楽寺(細工所)門前から加西道へ入り、その日の昼食は吉広村(現:広尾西)の庄屋宅でとっています。
測量隊のたどった細工所から平荘の芝村(現:養老村)の河岸(かし・川の港)までの加西道は地図をご覧ください。
芝村の河岸を起点としたこの道は、細工所で北条街道とつながる4.1㎞の道でした。
*図:伊能忠敬の地図(播磨部分)・・・赤い線が伊能測量隊の測量した行程