志方町をゆく(117) 細工所(17) 大庄屋・玉田家
正之、玉田姓を名のる
細工所は、玉田家が大庄屋を務めました。
細工所大庄屋玉田家について『志方町誌』の記述をお借りします。
(*文体を変え、一部加筆しています)
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玉田家は赤松の出で、正之はその妻・阿江(あえ)氏の縁により一時飾磨郡玉田村に移り、その後永禄年間(1558~1569)に細工所へ来たために姓を玉田に改めました。
・・・略・・・・
細工所組大庄屋・玉田家
正之の長男・正次は元和元年に父の業を継いで大庄屋となりましたが、病のため弟の直義に譲りました。
そして、その長男正信(修斉)に大庄屋を譲っています。
この正信が野尻新村の開発に当たり、細工所の経営は後に弟の成紹に譲っています。
一方、正信の三男・定好は、細工所で別に玉田家を起こし、その後玉田家は、代々重太郎を称し、明治維新まで大庄屋を務めました。
玉田家による野尻村開拓については、次号で紹介しましょう。
明治時代になり、明治23年の新町村制発布と共に玉田家の範威は東志方村の初代の村長として明治31年9月20日、44才で没するまで在職しました。
現在、大庄屋を務め、そして明治時代初代東志方村の村長を務めた範威へと続いた玉田家は細工所では続いていません。
*写真:玉田定好の墓標