志方町をゆく(120) 野尻新田(3) 玉田黙翁(もくおう)
黙翁は、野尻(志方町野尻)に生まれた江戸時代の高名な儒者です。
玉田家は、代々医を業としており祖父、父(柔庵)も医者でした。
黙翁は、医者としてだけではなく、学問の道を究めました。
そして、野尻で塾(虎渓精舎・こけいしょうじゃ)を開き、多数の門弟を指導しました。
今もその跡が、野尻の虎ヶ谷の黙翁の墓のそばに残っています。黙翁は、ほとんど虎ヶ谷の地を離れることなく門弟を指導しました。
黙翁のことを知った小田原藩主は、彼を江戸に招いています。
二度ばかり、江戸に行ったのですが、二度とも一年で帰郷しています。
門弟には、姫路藩の儒者など多数がいました。
黙翁は、天明五年(1785)に75才で没しました。
黙翁は、元禄10年(1697)野尻新田に生まれ、号を虎渓庵・敵山・黙翁としています。
陶淵明に私淑
彼は、陶淵明(とうえんめい)の生活にあこがれを持ち学問にはげみました。
彼の生活は、まさに陶淵明と重ね合わせることができます。
父が亡くなった時、黙翁はすでに46才であったので、それまでに父の庇護のもとで十分学問に打ち込み、才能を伸ばすことができたと思われます。
彼は儒学・文学だけでなく医学にも詳しく、弓馬剣術、村の経営にも通じていたといわれています。
虎 渓 精 舎
野尻の玉田家の墓地の入り口のところに、学問所「虎渓精舎(こけいしょうじゃ)跡」があります。
虎渓精舎は、祖父・修斉が書斎として建てたもので、父もこの部屋を書斎とし、時には講義の場としていたようです。
黙翁は、修斉の墓を守り、この清閑な地で隠棲して、一切の名誉を望まず、孤高の生活を楽しみました。
そこでは、まさに陶淵明にあこがれた黙翁の生活でした。
<蛇足>
陶淵明の有名な詩「歳月人を待たず」の最後の部分を載せておきましょう。国語の授業を懐かしく思い出してください。
◇歳月人を待たず◇ 陶淵明
・・・・
盛年不重来 盛年(せいねん) 重ねて来らず
一日難再晨 一日 再び晨(あした)なり難し
及時当勉励 時に及んで当(まさ)に勉励すべし
歳月不人待 歳月 人を待たず
*写真:黙翁墓標(野尻)