別子銅山跡 2012-11-20 13:00:18 | お出かけ&旅 東洋のマチュピチュだって‥ 昭和30年~40年代には3800人がここ別子東平(とうなる)で暮らしていた。 « 瀬戸内東予国民休暇村 | トップ | 祖谷のかずら橋 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ■まるちゃんへ■ (ひらりん) 2012-11-21 13:53:28 鉱石の貯蔵庫に使っていた大きな建物の壁だけが残っています。マチュピチュってのも恥ずかしいけどなぁ。 返信する 仲良く・・いいな! (まる) 2012-11-20 15:41:08 東洋のマチュピチュって例えは山の上の方だと良く聞きますね、ご主人頑張ってますね、良い旅をね!別子東平の昭和30年代って私、鼻たらしておままごと遊びの時代ですわ(笑) 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
マチュピチュってのも恥ずかしいけどなぁ。
別子東平の昭和30年代って私、鼻たらしておままごと遊びの時代ですわ(笑)