「伊勢神宮125社めぐり」も6回のうち4回目となった。
今回は「宮川・滝原15社めぐり」ということで集合場所は宇治山田駅、解散場所は松阪駅であった。
先ずは豊受大神宮の摂社「清野井庭神社」(きよのいばじんじゃ)【祭神:草野姫命(かやのひめみこと)】に参拝。
今は伊勢市常盤町、昔は清野という原野であったそうな。井庭すなわち田畑に水を引き入れる為のセキ(堰)だそうで、伊庭の神様をお祀りしている。境内に敷き詰められた川の玉砂利は砕石のものとは異なり、靴底の感触がとても優しく気持ち良かったなぁ~
同じ伊勢市常盤に「草奈伎神社」(くさなぎじんじゃ)があった。境内に石を積み上げた高さ1メートルあまりの四角い台があって、まるで玄関を入ると廊下に置かれた“つい立”の如き物。目隠しの役目を担うものらしい。2つの社殿があって、 向かって右側が豊受大神宮摂社の「大間国生神社」(おおまくなりじんじゃ)で、国土生成、国造りの神様だそうだ。玉垣の中の2つの正殿の右が大間社【祭神:大若子命(おおわかこのみこと)】、左が国生社【祭神:乙若子命(おとわかこのみこと)】ということだった。
向かって左側にある草奈伎神社【祭神:御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)】は豊受大神宮第一の摂社で位の高い神社だそうだ。そう言えば鰹木は5本で玉垣の御門は扉だった。
次は伊勢市辻久瑠の地元の神社・上社(かみのやしろ)の鳥居をくぐるとすぐ右手にある豊受大神宮の末社「打懸神社」(うちかけじんじゃ)。祭神は打懸名神(うちかけみょうじん)で、宮川堤防の守護神である。
境内を進むと玉垣がもう1つあって、中に豊受大神宮の摂社が2つ。右が「大河内神社」(おおこうちじんじゃ)【祭神:大山祇神(おおやまづみのかみ)】で左が「志等美神社」(しとみじんじゃ)【祭神:久久能智神くのちのかみ)】でやはり宮川堤防の守護神だ。
奈良県の大台が原に大雨が降ると宮川が氾濫して人々は困り果て神様にお祈りしたのでしょうと説明して下さった。地理的には大台が原から川の1つは熊野川へそしてもう一つはこちらの宮川へと流れてくる。昔、宮川の近辺に製材所が多かったらしいが、川は木材を運んだり運輸には便利であった一方怖い水害もあって、この三社は揃って治水の神様であった。
ところでこの上社の社殿は、さらに奥、10段程の石段を上がった所にあるのだが、他に上社稲荷神社や両宮遥拝所や菅原道真公を祭る北の天満宮別所や橿原神宮遥拝所などいろいろあった。
佐八町(そうちちょう)に来た。皇大神宮の摂社「河原神社」【祭神:月読尊御魂(つきよみのみことのみたま)】が田んぼに囲まれた森の中にあった。元々ココは宮川の川原であり、祭神の名の月読の月は水の干満に関係があるので、今も水の神様として信仰が篤いそうである。
今回は見学場所が多く、神宮苗圃(じんぐうびょうほ)と言って神宮で使われる榊や宮域に植えられる杉それに、式年遷宮に使われる檜などの苗を育てる畑に来た。神宮に関わる木はDNA保持のためすべて種から育てられるそうだ。そして檜などは苗の時点で早や用途先が決められ、200年~300年かけて確り管理され大切に育てられるそうである。3世代に渡って管理が必要なだけに大変だなぁ。
栄養いっぱいの黒土の畑に数人の女性がこの寒空にもかかわらず作業をしていられた。ご苦労様です。
地盤が低く宮川が運んだ栄養いっぱいの黒土が広がるこの辺りは元は神宮にお供えする作物を作る神宮の御園であったそうだ。道理で皇大神宮摂社の「園相神社」(そないじんじゃ)の祭神・曽奈比比古命(そなひひこのみこと)&御前神(みまえのかみ)は園作りの神様であった。
(画像はクリックすると拡大する)
「次は姫路城の見学です!」と、訳がわからないまま付いて行くと見事な姫路城が築かれていた。
白鷺城とも言われる世界遺産・国宝の姫路城の400年前の姿を復元して今は現存していない部分まで造り、人や馬まで配置し、それはそれは立派なミニお城であった。材料費1800万円完成までの年月19年間、聞けば驚きの趣味!溜息が出るほど立派な造形を楽しませてもらったね。
ここは円座町。案内人さんが「8月15日盆の供養に、ここで『かんこ踊り』が行われるんですよ。」と踊り子さんの写真を見せてくださった。面白い装束姿の人が踊っていた。かんことは楽器の鞨鼓のこと、頭には長い白い毛の被り物、腰にはわらの腰蓑、鞨鼓が吊り下げられていた。念仏踊りと同じ様なものかな?
昼食は「バザールわたらい」で、度会(わたらい)町の町長さんがお出迎え。伊勢と松阪の中間地、お茶の産地でもある「わたらい」のPRをされているのを聴いていると、春には桜のお花見もいいなぁ・・・牛乳風呂にも入ってみたいなぁ~等とついその気になる私であった。。。(笑)
皇大神宮摂社の「久具都比賣神社」(くぐつひめじんじゃ)【祭神:女命&久具都比古命&御前神】に向かう途中、はげ山のように見える「神宮萱場」が車窓から見えた。神宮の葺き屋根を作る茅を育てる用地である。ここからは23000束のカヤが献上されるそうである。
神宮に関する話、何を見ても聴いても恐れ多くびっくりすることばかりだなぁ~ホント!
40分ばかりのバス移動で宮川の右岸にある皇大神宮の摂社「多岐原神社」(たきはらじんじゃ)【祭神:真奈胡神】に来た。
倭姫命が天照大御神のご鎮座地を探し求めて宮川をさかのぼり今は久具都比賣神社である所に久求社を定められた際の事、宮川を渡る助けをされたという真奈胡神は今も土地の神様「まなこさん」と親しまれ、信仰の篤い神様であるらしい。
確かに久具都比賣神社の裏手は宮川で渡し場があったという。
カメラに収めた画像を順に繰っていると、ついに10社取りあげることになってしまい少々疲れてきた。が、ここまでくればもうひと息。残る5社をも書いてしまおう。
皇大神宮の遥宮(とおのみや)と言われている皇大神宮別宮・「瀧原宮」(たきはらのみや)【祭神:天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)】は特によかった。
大きな鳥居から600メートル、小雨降る中、傘をさして杉の大木が茂る参道を歩いていくのであるが大そう風情があった。手水舎はなく五十鈴川の支流・頓登川(とんどがわ)で手を洗い口をすすぐと、谷川の水のなんときれいで清らかなこと!すがすがしく感じた。
広い宮域には他にもう1つの別宮と3つの社殿があった。
皇大神宮別宮・「瀧原竝宮」(はきはらのならびのみや)【祭神:天照大御神御魂】と瀧原宮所管社・「若宮神社」(わかみやじんじゃ)【祭神:若宮神】と瀧原宮所管社・「長由介神社」(ながゆけじんじゃ)&御同座の瀧原宮所管社・「川島神社」(かわしまじんじゃ)である。お参りの順番を書いた立札を読むべし。
両別宮の鰹木は勿論偶数6本で千木は水平切の内削ぎ、周りは二重の御垣(瑞垣と玉垣)で囲まれ御門も二つ、それはそれは心静まる立派なお宮であった。新年正月、ここに参拝できたのは伊勢神宮・内宮に初詣に来たような気持ちになって有難かった。
順番?についての注意はね
向かって左が瀧原竝宮で右の瀧原宮からだよ!了解。
今回は「宮川・滝原15社めぐり」ということで集合場所は宇治山田駅、解散場所は松阪駅であった。
先ずは豊受大神宮の摂社「清野井庭神社」(きよのいばじんじゃ)【祭神:草野姫命(かやのひめみこと)】に参拝。
今は伊勢市常盤町、昔は清野という原野であったそうな。井庭すなわち田畑に水を引き入れる為のセキ(堰)だそうで、伊庭の神様をお祀りしている。境内に敷き詰められた川の玉砂利は砕石のものとは異なり、靴底の感触がとても優しく気持ち良かったなぁ~
同じ伊勢市常盤に「草奈伎神社」(くさなぎじんじゃ)があった。境内に石を積み上げた高さ1メートルあまりの四角い台があって、まるで玄関を入ると廊下に置かれた“つい立”の如き物。目隠しの役目を担うものらしい。2つの社殿があって、 向かって右側が豊受大神宮摂社の「大間国生神社」(おおまくなりじんじゃ)で、国土生成、国造りの神様だそうだ。玉垣の中の2つの正殿の右が大間社【祭神:大若子命(おおわかこのみこと)】、左が国生社【祭神:乙若子命(おとわかこのみこと)】ということだった。
向かって左側にある草奈伎神社【祭神:御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)】は豊受大神宮第一の摂社で位の高い神社だそうだ。そう言えば鰹木は5本で玉垣の御門は扉だった。
次は伊勢市辻久瑠の地元の神社・上社(かみのやしろ)の鳥居をくぐるとすぐ右手にある豊受大神宮の末社「打懸神社」(うちかけじんじゃ)。祭神は打懸名神(うちかけみょうじん)で、宮川堤防の守護神である。
境内を進むと玉垣がもう1つあって、中に豊受大神宮の摂社が2つ。右が「大河内神社」(おおこうちじんじゃ)【祭神:大山祇神(おおやまづみのかみ)】で左が「志等美神社」(しとみじんじゃ)【祭神:久久能智神くのちのかみ)】でやはり宮川堤防の守護神だ。
奈良県の大台が原に大雨が降ると宮川が氾濫して人々は困り果て神様にお祈りしたのでしょうと説明して下さった。地理的には大台が原から川の1つは熊野川へそしてもう一つはこちらの宮川へと流れてくる。昔、宮川の近辺に製材所が多かったらしいが、川は木材を運んだり運輸には便利であった一方怖い水害もあって、この三社は揃って治水の神様であった。
ところでこの上社の社殿は、さらに奥、10段程の石段を上がった所にあるのだが、他に上社稲荷神社や両宮遥拝所や菅原道真公を祭る北の天満宮別所や橿原神宮遥拝所などいろいろあった。
佐八町(そうちちょう)に来た。皇大神宮の摂社「河原神社」【祭神:月読尊御魂(つきよみのみことのみたま)】が田んぼに囲まれた森の中にあった。元々ココは宮川の川原であり、祭神の名の月読の月は水の干満に関係があるので、今も水の神様として信仰が篤いそうである。
今回は見学場所が多く、神宮苗圃(じんぐうびょうほ)と言って神宮で使われる榊や宮域に植えられる杉それに、式年遷宮に使われる檜などの苗を育てる畑に来た。神宮に関わる木はDNA保持のためすべて種から育てられるそうだ。そして檜などは苗の時点で早や用途先が決められ、200年~300年かけて確り管理され大切に育てられるそうである。3世代に渡って管理が必要なだけに大変だなぁ。
栄養いっぱいの黒土の畑に数人の女性がこの寒空にもかかわらず作業をしていられた。ご苦労様です。
地盤が低く宮川が運んだ栄養いっぱいの黒土が広がるこの辺りは元は神宮にお供えする作物を作る神宮の御園であったそうだ。道理で皇大神宮摂社の「園相神社」(そないじんじゃ)の祭神・曽奈比比古命(そなひひこのみこと)&御前神(みまえのかみ)は園作りの神様であった。
(画像はクリックすると拡大する)
「次は姫路城の見学です!」と、訳がわからないまま付いて行くと見事な姫路城が築かれていた。
白鷺城とも言われる世界遺産・国宝の姫路城の400年前の姿を復元して今は現存していない部分まで造り、人や馬まで配置し、それはそれは立派なミニお城であった。材料費1800万円完成までの年月19年間、聞けば驚きの趣味!溜息が出るほど立派な造形を楽しませてもらったね。
ここは円座町。案内人さんが「8月15日盆の供養に、ここで『かんこ踊り』が行われるんですよ。」と踊り子さんの写真を見せてくださった。面白い装束姿の人が踊っていた。かんことは楽器の鞨鼓のこと、頭には長い白い毛の被り物、腰にはわらの腰蓑、鞨鼓が吊り下げられていた。念仏踊りと同じ様なものかな?
昼食は「バザールわたらい」で、度会(わたらい)町の町長さんがお出迎え。伊勢と松阪の中間地、お茶の産地でもある「わたらい」のPRをされているのを聴いていると、春には桜のお花見もいいなぁ・・・牛乳風呂にも入ってみたいなぁ~等とついその気になる私であった。。。(笑)
皇大神宮摂社の「久具都比賣神社」(くぐつひめじんじゃ)【祭神:女命&久具都比古命&御前神】に向かう途中、はげ山のように見える「神宮萱場」が車窓から見えた。神宮の葺き屋根を作る茅を育てる用地である。ここからは23000束のカヤが献上されるそうである。
神宮に関する話、何を見ても聴いても恐れ多くびっくりすることばかりだなぁ~ホント!
40分ばかりのバス移動で宮川の右岸にある皇大神宮の摂社「多岐原神社」(たきはらじんじゃ)【祭神:真奈胡神】に来た。
倭姫命が天照大御神のご鎮座地を探し求めて宮川をさかのぼり今は久具都比賣神社である所に久求社を定められた際の事、宮川を渡る助けをされたという真奈胡神は今も土地の神様「まなこさん」と親しまれ、信仰の篤い神様であるらしい。
確かに久具都比賣神社の裏手は宮川で渡し場があったという。
カメラに収めた画像を順に繰っていると、ついに10社取りあげることになってしまい少々疲れてきた。が、ここまでくればもうひと息。残る5社をも書いてしまおう。
皇大神宮の遥宮(とおのみや)と言われている皇大神宮別宮・「瀧原宮」(たきはらのみや)【祭神:天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)】は特によかった。
大きな鳥居から600メートル、小雨降る中、傘をさして杉の大木が茂る参道を歩いていくのであるが大そう風情があった。手水舎はなく五十鈴川の支流・頓登川(とんどがわ)で手を洗い口をすすぐと、谷川の水のなんときれいで清らかなこと!すがすがしく感じた。
広い宮域には他にもう1つの別宮と3つの社殿があった。
皇大神宮別宮・「瀧原竝宮」(はきはらのならびのみや)【祭神:天照大御神御魂】と瀧原宮所管社・「若宮神社」(わかみやじんじゃ)【祭神:若宮神】と瀧原宮所管社・「長由介神社」(ながゆけじんじゃ)&御同座の瀧原宮所管社・「川島神社」(かわしまじんじゃ)である。お参りの順番を書いた立札を読むべし。
両別宮の鰹木は勿論偶数6本で千木は水平切の内削ぎ、周りは二重の御垣(瑞垣と玉垣)で囲まれ御門も二つ、それはそれは心静まる立派なお宮であった。新年正月、ここに参拝できたのは伊勢神宮・内宮に初詣に来たような気持ちになって有難かった。
順番?についての注意はね
向かって左が瀧原竝宮で右の瀧原宮からだよ!了解。