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広島へ

2019-05-28 | 日記
5月26日、寒い北海道で気温が39.5℃になったというビックリニュースが流れた。5月にして全国の観測史上最高気温だそうだ。「フェーン現象」とやらが起きたからという。
東京都心でも3日連続で最高気温30℃以上の真夏日が続いたらしい。確かに我が県の気温もぐんぐん上がり、毎日の最高気温が27~33℃を前後して辛かった。

このような天候の加減かな?サボテンの花が急速に成長して25日にパッパッと咲いた。26~27日は広島へ行く予定だったのでひょとして見れないかもと思っていたが、嬉しいかな見れた!

  5月26日(日)
ツアーを利用して新大阪駅(午前8時39分発)から新幹線とJR在来線を乗り継いで宮島口駅に着いたのは11時28分。駅前に「令和 ようこそ宮島へ」の横断幕が張られ、新元号を祝う国民の気持ちが表現されている。
ホテル「みや離宮」に手荷物を預けて自由行動となった。彼はこの時間を利用して厳島(宮島)の島内最高峰・弥山を歩きたかったらしい。足が心配で余り乗り気でなかった私だが。。。。。

厳島神社が593年に御鎮座となり弥山(みせん)には三鬼大権現が祀られ、806年に弘法大師が開基して真言密教の修験道場となったそうだ。そして1996年、厳島神社は前面の海と背後の弥山原生林(国天然記念物)を含み世界遺産に登録されたらしい。
紅葉谷公園を抜け、宮島ロープウエー[ 紅葉谷駅ー榧(かや)谷駅ー獅子岩駅 ]に乗り、大抵の場合は獅子岩展望台(433m)で満足すれば済むものを、弥山展望台(535m)まで行った。坂道と石段が延々と続き、目指す人達は皆んなハーハー吐息で一生懸命!
途中振り返ると獅子岩駅舎が遥か遠くに小さく見えてちょっと感動する。(下段写真3枚目、画面の左上に見えるよ。)
ついでながら、紅葉谷駅~榧谷駅間はゴンドラ一台で循環式、榧谷駅~獅子岩駅間は二台の交走式であった。

        (画像はクリックすると拡大する)

紅葉谷コースは定番のコースで、約2.5km、約1時間半~2時間となっていた。
歩き出すと先ず弥山原始林石碑を見て→閼伽井堂(あかいどう)→弥山本堂、霊火堂(れいかどう)→三鬼堂(さんきどう)→観音堂、文殊堂→不動岩、くぐり岩→弥山山頂・弥山展望台→→→千満岩(せんまんいわ)→舟岩(ふないわ)→大日堂、そこから弥山本堂に戻り、元来た道を引き返す。獅子岩駅に着いて最後の力を振り絞り、獅子岩展望台へも上がった。
私にはそれぞれの箇所を楽しむ余裕など有るはずもなし、彼が思いを残さず目的を果たし、無事に揃って帰れるようにと祈るばかりであった。
今、写真&パンフを見ながら独り再びゆっくり山を歩いて納得しながら楽しんでいる次第。(笑)

            

1995年に再建された弥山本堂にはご本尊の虚空蔵菩薩(脇には大きな不動明と毘沙門天)そして平清盛の三男・宗盛が寄進したという梵鐘と弘法大師の像が祀られている。梵鐘は国の重文で、すんなり恰好の素敵な鐘であった。向かい側のお堂・霊火堂には火が炊かれ、その火は弘法大師が弥山で護摩を焚いて修するのに使われた火を「消えずの火」として1200年経った今も守り継がれているそうである。霊火堂は1950年に新造されたお堂で、昔のは「求聞持堂」(ぐもんじどう)と呼ばれていたとか。

巨岩・奇岩を見て潜り抜け、弥山展望台に立てば瀬戸内の景色360度のパノラマで、確かにココまで頑張った甲斐あり!であった。それに下山途中で見た「千満岩」(せんまんいわ)の前にある岩穴の水は満潮の時は溢れ干潮の時は乾く、塩水で、弥山七不思議の1つだそうだ。ホント こんな高所の小さい穴に塩水が貯まるなんて不思議も不思議だよな。
もう1つ、大日堂のお堂が美しい繊細な造りであるのが、私には特に印象的であった。

           
               
      
厳島神社の拝観は午後6時まで、ホテルの夕食は6時から、を念頭に彼の後から一生懸命に足を運んだ。
宮島のシンボル大鳥居は、6月から屋根葺替や塗装や痛んだ箇所の修繕など大規模な修理工事が始まり、暫く見納めとなる。昼間はボートも走り観光客で賑わっていたが、夕方はさすが人の数は随分少なくなっていた。
以前訪れた時は引き潮で大鳥居の下まで行けたけれど、今回は行けず靴下を脱いで水の中に浸かってみた。

           
  
夕食時間ぎりぎり滑り込みセーフで間に合った。でもその後のホテルの和太鼓ショーや鳥居のライトアップも昼間の疲れで見ずじまいとなり、少々心残りである。(笑)
夜の大鳥居と言えば、宮島水中花火大会で見た幻想的な大鳥居を思い出しながら、ライトアップの光景はどんな?だったのだろうと・・・・・

  5月27日(月)
朝6時、お風呂で窓越しに見た厳島神社の社殿と大鳥居の景色に大満足した。
午前8時45分、宮島桟橋に集合。今日の予定は「岩国錦帯橋」(5連アーチの美しい木造橋)と「広島平和記念公園」(世界遺産の原爆ドーム、原爆資料館)、そして「お好み村」で昼食となり、その後は尾道の「千光寺公園」だった。

錦川に架かる錦帯橋(全長193.3m、幅員5m)は組木の技術で造られ、1本の釘も使われていないそうだ。創建は1673年、現在の橋は1953年(S.28)に建造当時のままに復元されたものらしい。
橋を渡り切るには登って降りて登って降りての繰り返しで、段の無い部分は滑り易く体力が要った。もし雨だったら危険で大変だが、快晴のお陰で何度も一服して景色を楽しみながら渡りきれたので達成感が大きかった。錦帯橋の右手向こうに日本100名城の一つ岩国城が見えていた。

             

渡り終えた所にある松の木は「槍倒し松」(やりこかしまつ)と呼ばれている。昔、諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが礼儀だったのに、それを守らない大藩がいて横枝のはった松の木を植え、どうしても槍を倒さなければ通れないようにしたのだそうだ。
説明板に書いていた言葉、「溜飲(りゅういん)を下(さ)げていた」とは、怒りでむかむかしていた胸が、スカッと晴れる言葉だと、今、解って、私もスカッとした。(笑)

次は原爆ドームを見て広島平和記念公園にある平和の鐘を撞いて慰霊碑に手を合わせた。その後資料館に入ったが、目にした物の凄まじさをココに書く言葉が出てこない。ふと我に返って辺りを見回すと、全ての人の表情は固まっていた。
かつてアメリカのオバマ元大統領が慰霊碑に花を捧げ、被爆を体験した人の肩を優しく抱いていた姿を思い出す。テレビで見たあの映像は2016年の今日、5月27日だったそうである。千羽鶴を奉納した修学旅行生達にも強烈な印象を残しているに違いない。世の中を動かす大人になっても平和を願う心をどうか忘れないで欲しい。

          

12時58分「お好み村」に着いた。「お好み共和国」で “かき入りの広島焼き”を食べた。広島焼きなる物を食べたのは人生初めて、丁寧に焼かれた本場専門店のそれはとても美味しかった。真昼間からビール片手に何という贅沢!?・・・いえいえ、今ここでしか味わえないささやかな贅沢、許されるよな。(笑)

       

午後3時半、尾道市の千光寺公園に到着。
千光寺山の頂上(136.6m)に在る八畳岩や展望台からの眺めは、尾道市街や瀬戸内海が一望出来て素晴らしかった。「しまなみ海道」も見えた。
愛媛県今治市の方からスタートして、多々羅大橋等の良き思い出はあっても広島県尾道市側の思い出は無く、途中挫折を悔やまれる。
  
『文学のこみち』を下った。正岡子規、十返舎一九、金田一京助、志賀直哉、林芙美子、緒方洪庵etc.の句碑が有ったが、集合時間があるのでゆっくり読む余裕はなかった。
途中、千光寺ロープウェイが頭上を通り過ぎて行った。へぇ~ ロープウエイも有るんだと思いながら、千光寺の裏門に到達して、裏口から本堂へと慌ただしい参拝となってしまった。
岩盤に不思議な物を見た。一瞬、日時計かなと思ったが違っていて、張り紙を読むと【梵字岩 (曼陀羅磐)この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東都湯島霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌り書き遺されたものなりと云う 円型の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれております】と書かれていた。
 ★ 留錫(りゅうしゃく)とは行脚中の僧が一時他の寺院に滞在する事、そして「砌り」(みぎり)とは 時を意味するらしい。難しいなぁ~。
  
           

福山駅17時59分発の新幹線に乗る事になっていた。
駅の駐車場を下りるとすぐ近くに、福山城跡・五層の綺麗な天守が見えた。
この城は1619年福島正則の改易によって徳川の譜代大名、水野勝成が入封して築いたそうだが、太平洋戦争で焼失、昭和41年に外観復元され現在は博物館として利用されているそうだ。
2006年に日本100名城に選定されている。あの石垣は打ち込み接ぎだよね。いつか本丸をゆっくり歩いて、天守郭へも登ってみたいなぁ~。

沢山の写真を残したなぁ~、少々疲れたよ。(笑)













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