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雨の寒霞渓バスツアー(2)

2016-11-30 | 日記
  11月28日(月)
午前8時ホテル出発。
小豆島の真ん中、中山地区の千枚田は車窓観光。800枚以上もあるという大小の田んぼは絵になる景色であった。青田の頃や実りの秋にはもっと感動的な素晴らしさを呈することだろう。

さて、今日の観光のメインとなる「二十四の瞳映画村」に着いた。
海岸沿いに大正、昭和初期の小さな村が再現されている松竹映画「二十四の瞳」の舞台である。映画の幾つかのシーンが薄っすらと蘇ってくる。この小説の作家・坪井栄はこの土地の人だったそうである。貧困と悲劇をもたらす戦時中の大石先生と12人の子供たちの絆がここでずっと語り継がれるわけで、訪れる人々の心に訴えるものは大きいと思う。
岬の分教場辺りから海を眺める景色は素晴らしい。この時期、敷地にはコスモスが咲いていて「せんせ あそぼ」のモニュメントに華を添えていた。昭和人間にとって一年中いつ訪れてもほのぼのとする所ではないだろうか。
        ← あれっ 校長先生もお仲間入り??
             ←昔懐かしい机と椅子

老舗の佃煮店(京宝亭)を経てオリーブ公園に来た。
「オリーブの島」と呼ばれる小豆島に日本で最初に栽培され始めたのは1910年頃という。葉っぱが銀色に輝く大樹が沢山沢山植えられ、正にオリーブの園である。120種類もあるらしい。
「オリーブ記念館」の前に立つと瀬戸内海のはるか向こうに「二十四の瞳」の村が小さく見えた。(下段写真左端、オリーブの葉で作られたオブジェ・ハートの中央にある極小さい所)毎日自転車でさっそうとこの岬の分教場まで走る大石先生の姿が目に浮かぶ。
海に面する広い芝生の斜面に巨大な「ギリシャ風車」が建っていた。ギリシャのミロス島との姉妹都市の証として平成四年に建てられたそうだ。

オリーブ収穫の最盛期は過ぎたようだが枝に残るオリーブの実を見て驚いた。へぇ~こんな風に付くんだと。トルコでオリーブの産地を訪れた時以上の感動を覚えた。落ちた綺麗な実を拾った。添乗員さんが教えてくれたように手で潰して擦って、オリーブの油分を試してみたかったのだ。熟した黒い実1つを指先でちょっと皮を剥ぎ、舌先に当ててみると渋みを感じた。
白い小さい花が咲くという5~6月、園はまた趣の違う素敵な安らぎの場所になるのだろう。
ついでながら記念館内に立っている巨大な像はルーブル美術館から贈られたオリ-ブの神・アテナ像のレプリカらしい。ふぅ~ん・・・
           

次は何処?
小豆島ふるさと村に在る「手延そうめん館」であった。
うどん県・香川県の素麺には興味津々である。『島の光』試食もあって、そのコシの強さに驚いた。見学させてもらった「箸分け作業」、一瞬にして伸びるあの見事な手さばきは訓練すれば誰にでもできるのかな。上手下手は味に影響するのかな?この疑問はすぐに解けて関係ないらしい。(笑)
それから素麺の2年~3年物(ひねもの)が美味しいというのは温度管理がキッチリ出来ている場合の話で、私達の家での保存ではそうではないとの事。そりゃそうだよな。

小豆島観光のシンボルともいえる「平和の群像」ブロンズ像は、土庄港(とのしょうこう)の玄関口でオリーブの大樹に囲まれて建っていた。「二十四の瞳」の映画化を記念して永遠の平和と幸せを願って造られたそうだ。
目の前のオーキドホテルで、"ひしお陶板御膳"昼食。「ひしお」(醤)と言えば、そうそうマルキン醤油はこの小豆島で生まれたのだそうだ。大きな木桶を見かけたよな。
         

午後2時、いよいよ大部港も近くなって最後は「大阪城残石記念公園」であった。
残石というのは、大阪冬の陣(1614年江戸幕府と豊臣家の合戦)・夏の陣で落城した大阪城の石垣修築の為に切り出されたが使われることなく放置された石の事。各種の刻印や刻文が刻まれ歴史的な価値が認められ、ここ土庄町小海(おみ)に集められたそうだ。資料館には当時の石の運搬に使われた道具類他それに関わる色んな道具等が展示されていた。小海の他にも石切り丁場(原石を切り出した岩山)はあちこちに在ったらしい。400年も前の歴史がここで語られている。
      


私達2人には不思議と縁の無い寒霞渓の紅葉、実は数年前にマイカーで来る予定だったのに当日は台風並みの悪天候で計画倒れになっていたのである。今は高速道路も眠りながらの往復で、知らない方々と和気あいあい気分であちこち廻れる事に感謝しなければと思う。。。。。



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