OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

凸凹と凹凸

2010年01月15日 | 書道・筆文字
でこぼことかくと「凸凹」で、オウトツとかくと「凹凸」になるこの漢字らしくない漢字の書き順は、結構難しい。一筆で書く気ならかけるけどね。
書き順というのは、学校では決まった書き方を教えるけど、理がわかるように教えるのは難しい。「書」なんてのも、大人のどのくらいの数が、今の学校で教える書き順で書いているのだろう。「書はもともとタテ画が突き抜けていた」とすれば、今の学校の書き順も随う気になる。書家の多くは、タテ画を最後に書くというと、これまたびっくりされてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010EU文化首都

2010年01月14日 | 文化・芸術
ハンガリーからメール届く。
そうなんです、今年2010年はハンガリー南部、ペーチ市がEUの文化首都として、様々なイベントが行われる年なんです。
ブダペストもいいけど、ペーチは最高! 文化芸術が凝縮している街です。そこがこの一年文化芸術イベントが続く……行きたいなー。誰か行ってください。

そうそう、2月4日から7日まで、徳島市の四国大学交流プラザで、「藍のであい―阿波藍・ハンガリー藍染展」あり。ハンガリー側の作品はなかなか面白い。日本側のは見ていませんが、本場徳島の作品もきっといいでしょう。日本のは素材そのものがいいですね。モホル・ナジ芸術デザイン大学からの研究者ホルバート・ハンガさんの作品も楽しみ。
これも私は行けそうもないので、誰かこれ見た人行ってみて。
ハンガさんがきっと丁寧に説明してくれます。2月6日11時から、ハンガさんの講演もあり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年01月14日 | 書道・筆文字
新国立美術館へ。独立展は小木太法「密」が存在感あり。
目玉は手島右卿の一番弟子「山崎大抱展」。大きく広く深く底知れぬ人間性から、手島右卿と好対照なす作品を生んだ。
独立は大作主義。安楽千鶴子が今回いい仕事ぶり。墨運堂から大作用の墨として「大玄」が発売された。煤と膠の割合が5対5らしい。一般の墨は6対4とか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二世

2010年01月12日 | 書道・筆文字
小5の長男、明日、校内で書初め大会があるのを知って、妻は
「練習しなさい!」と。
「いいよ、もう……」
「いいじゃなく、やれっていってんだよ!!」
「(冬休みの宿題だった書初めの課題は)終わってるし!」
「あれじゃひどすぎるから、書けっていってるんだよ!!!」
「えー、あれ上手いよ、○○より、○○より、○○より上手いし」(下には3人ほどいるらしい)
「上手いとか下手とかの前に、お前のそういういい加減なところが許せないといってるんだ!!!!」
「アー……」という調子で子どもはいやいやお習字練習に。
もちろん、私も付き合わされることになる。

数ヶ月前、学校で個人面談があり、妻は担任から長男のことを、
「とってもクラスでもみんなと仲良くやってるし……」と担任は、勉強はさておき、いいところをみてくれている。続けて
「ただ、字がね(ひどいですよね)……。お父さんはねえ(書家なのにね)……」
「ええ、まあ」と言うのがやっとの妻。

私は鉛筆の持ち方も矯正する。講座では。でも家では無能である。「いいんだよ!!!」といって、とんでもない持ち方で、いい加減に書く長男。
(私の生徒のつめの垢でも……と思う日々)

書道界では、二世、三世も多い。政治の世界といい勝負か。ただ、なかなか芸術性の深いところでは先代を超えられるか、というと難しいところもある。技術はそこそこにやれば伸びるので書家にはなれる。(書を続ける環境があれば、とりあえず書家にはなれる)
大きいのは、今まで書道業界でそのトップ(さまざまなトップがあるが)に立てば、「食える」職業であった。それは誰かが引き継がなくてはならない状況がある。

でもそういうのが書の堕落を招く要因になることもある。
芸術は一世である。二世、三世も、それを肝に銘じて精進するしかない。
うちは早いうちにその芽を摘んだ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かしき

2010年01月11日 | 和紙作り
9日、10日と「かしき」だった。
人を大勢きてくれた。
今日も。

今日の夕食は、初めて小川に来た知人たちと玉井屋へ。
おいしかった。
昨夜は半切を書いていて、つい寝不足に。今日は連日の肉体労働も重なり、眠いぞー。

そういえば、昨日、「ブラジルの木」なるものを知る。ここからブラジルの国家名が生まれたとか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑体書

2010年01月08日 | 書道・筆文字
篆書や隷書、楷・行・草などの各体を交ぜて書くことを雑体書と呼ぶが、現在、あまり行われていない。それを専門のようにやっている方もいないわけではないけど。
日本では空海の書を模写したといわれる「益田池碑銘」が有名だ。古隷的なものと金文を合わせてみたりした作品が私にもあるが、そうでなくてはいけない状態にまで持っていくことが肝要かと。
今日は金文を臨書しているうちに、そこにハングルをいれる。雑体というより気まぐれ体か。ハングル書道では、楷書的なハングルもあるが、ハングルには金文がよく似合う。富士と月見草より、野村監督と月見草より、もっと。

なんでもありだが、格調には神経をとんがらせたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楮の刈り取り作業

2010年01月07日 | 和紙作り
和紙の代表的原料の楮(こうぞ)。
5月頃芽がでて、夏には葉は青々。秋を過ぎると葉も落ち、お正月すぎて立春までに、成長しきった楮を刈り取る。
楮を蒸して、その皮を剥ぎ、昆布のように干して乾燥させる。
漉きたいときに、乾燥した楮の皮を、水で戻し、表皮を削り、煮る。
柔らかくなった楮を叩いて、やっと漉ける状態になる。

そうした一連の紙漉き作業は楮を育てるところから始まるが、楮を刈り取り、楮を蒸して皮を剥ぐ。この皮を剥ぐ作業を小川では「かしき」と呼ぶが、この作業が、和紙事始め。
それが和紙体験学習センターでは、9日から始まる。
その準備である。今日は7人で1反弱刈ったか。
今年の楮は今までで最悪。みんな枝が細く、チェホンマンやボブ・サップみたいな大きな枝は皆無(そこまででかくなくていいけど)。

今日の昼飯は小川産米のしおむすびと手伝いにきてくれた有機農法家のシオッチ産、根岸産の野菜でけんちん汁。うまかったなー。農作業には王道の昼飯だった。

さて、楮は、繊維が長く、無骨な感じもあるので、男性的と一般的にいわれる。
がんぴも王様の貫禄。三椏は女性的。
中国画仙は墨をのせることを待っているのに対して、和紙は、和紙そのものが主張している。
だから書かないほうが美しい場合も多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイート リトル ライズ

2010年01月06日 | 文化・芸術
来たー! 矢崎仁司が撮った映画が観られるぞー。
この3月、渋谷シネマライズ、有楽町スバル座、新宿武蔵野館他、全国各地でロードショー公開されるという。
江國香織さんの恋愛小説「スイート リトル ライズ」を映画化したもので、主演女優は中谷美紀さんだという。

最近、映画館で映画を見ていない。これは観にいくぞ。アメリカの超大作の娯楽映画もいいけど、矢崎さんのは見たい。毒されている奴はみなくていい。

もう25年以上も前かな、「風たちの午後」という横浜映画祭グランプリ作品を観たのは。繊細な作品と違って、矢崎さんも黒いサングラスかけてつっぱてたなー。映画専攻の学生に矢崎さんと一緒になって「表現者はだなー」なんて説教してた(恥ずかしいー)。あれは東松山のやきとり屋だったかなー。
再会は4、5年ほど前、自分の作品展案内を、それ以来の便りとして出したら、来てくれた。
手土産もって、目じりのさがったいいおじさんになっていた(自分のことはさておき)。うれしかった。感動的でもあった。

街で矢崎仁司という名前を目にしなくなったあと、矢崎さんはロンドンで映像を見つめなおし、ロシア?だったかで作品を作ったりして至福の時間を過ごしたという。その後、故郷の山梨と東京をいったりきたりしながら今を生きる。
繊細な感情表現は今も健在か。アメリカ映画中心の日本ではどれだけ受け容れられるか、観る日本人の質の方が心配だ。

この映画のロゴも、フイルムで構成したような感じで、裏表が絡み合って、すてき。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハングルの書

2010年01月05日 | 書道・筆文字
あれはいつだったのだろう……。
韓国で学生運動があった頃、当時の読売新聞に載った一枚の写真。
窓ガラスに書きなぐってあったハングル。
それを美しいと思った。というか、その空間に引き込まれた。

書は漢字とひらがなで書くことが多い。他の国の言葉で書く人もいる。
最近は韓国も書が盛んで、ハングル作品もある。
そういうなかで、あえて、今回、私もハングルで作品にしたい。
全紙版に書きなぐっている状態。
模索中である。

頭をからっぽにして、家に帰ると、玄関脇ポストにジャパンタイムスの切り抜き入りのメモが。
この上の上の上には、英文学が専門の元大学教授の方がいらして、時々連絡をいただく。今回は、「独立書展」の広告が載っていて、面白いので差し上げる、とのことだった。
その広告には、小林抱牛先生ら幹部4名の作品があり、その下には、作品名のほかに「Meaning」「Artist's comment」もある。親切だなー。
公募展は数が多すぎることだし、一部作品には、こんなコメントなどあってもいいなー、と思う。作家が少し近くなる。「あんたの目だけでみてほしい」というのもありだけど、そういうの多すぎるから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新春の一句

2010年01月04日 | 文化・芸術
ゆうるりと
かいなかえして
初湯浴み

金子敦は俳壇賞なる賞までもらって、書より俳句に力が入っている。今をときめくペン字の鈴木啓水さんの紹介で、教育書道団体のアルバイトをしたとき、新入社員として、そこにいたのが金子敦さん。とてもおとなしそうな人であった。あれから30年。金子さんは、私もかつていっぱい持っていた純な部分を今でも持っている。彼の句集に目を通すと、そう感じられる。
その彼に対抗して賀状のお返しに巻頭の一句を添えた。即興ではある。
「どう?」と添え書きもして。
みなさんも、「どう?」

書って、他人の言葉や詩を書くことが多い。自詠自書が理想、という方もあるが、一概にそうとも言えない。むしろ自詠自書でいい書を残している人は少ないかもしれない。そんななか、會津八一などは自詠自書としての代表的成功例か。
また、いい詩歌がいい書作品になるともいえない。また、書にしてこそいい詩歌になることさえある。巻頭の一句は、書にしてこそ、狙いしかないか……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする