OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

ドナウの真珠

2010年12月31日 | 日記
私をドナウ川まで連れて行ってくれた後藤さんが、この11月に亡くなっていたことを知った。
儀式的なことはしなかったようで、位牌もないようなことを聞いた。

後藤さんの生き方の集大成だったのかもしれないと考えている。


ドイツの作家にゲーテ時代に生きたシラーという詩人がいるのをご存じでしょう。
彼の生き方や美学を説いたカリアスという学者が、その「カリアス書簡」のなかで“美的自由”という言葉を残しています。
すべて美しいものは自由である。精神の自由、自然の自由(直線はありえない…松の枝の美しさを見よ)、つまりは何にも束縛されない状態を指しているようです。

後藤さんとは、実際に会ったり、また電話で話すことが多かったが、たまたま後藤さんが私に間違ってメール送信し、そのやりとりのなかでのメールが残っていた。その一部分が上記の文である。

見事2010年のEU文化首都となったペーチですが、それが決まる前の年、我々はぺーチでも展覧会を開催した。食事の帰りだったか、夜の小さな広場で、後藤さんはドイツ語で歓喜の歌を少し歌ってくれました。
秩父の山小屋に発病後作られた自慢の岩風呂に一緒に入ったことも、娘さんたちのコンサート、新宿西口交番前の待ち合わせ、いろんなことが浮かんできます。

後藤さんて、一言でいうと、ロマンチストだったと思う。国際感覚を持った。
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明るく行こう

2010年12月27日 | 書道・筆文字
年末年始の西友、レヴィン、サニーのポスター類が張り出された。
笑ってください。

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不立文字

2010年12月25日 | 文化・芸術
昨日は秩父の奥へ。
そして今日は市ヶ谷の日本棋院へ。

昨日は不立文字の世界。
今日の日本棋院では柳田泰雲60代の書を観る。
行草で囲碁を打つ時の十訓が書かれていた。
いい動き。なにより格式を感じる。
川端康成の書もあったが、魔性の書ともいわれるが、この一作、名前と言葉で評価される部類か。
「本因坊」なる名跡も面白い。池坊と同じようにお坊さんだったんですね。

囲碁の雅称として、中国は晋時代「忘憂」が初見されると。「忘憂」は酒の別称だけではなかったようだ。
その後、「手談」ともいったらしい。わかる気がする。


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街を観察してみる

2010年12月17日 | 書かない書道!入門
「書かない書道!入門②」である。

街には表現があふれている。
電車に乗れば、車内の中吊り。窓からは、商業看板。住宅地を歩けばさまざまな表札などなど。
そういうものを意識して観ることの勧めである。
まずは自分との相性でいい。あまりそういうものに信頼を寄せなくてもいい。なかには気に入ったものがある。気になるものがある。それでいい。
表札とその家の雰囲気はどうなの? 表札からその家の趣味や性格まで見えてきそうになる。
老舗のお店の字はさすがにいいな、とか。

酒を飲んでもその商標ラベルの悪いのはいただけない、とか。昔からの酒は髭文字など多いが、大正、昭和と筆文字で大御所が書いているものも多い。月桂冠は日下部鳴鶴、松竹梅は誰もが好きな昭和の三筆、日比野五鳳とか。
さて、美味しい酒で大御所が書いているものの代表は何か?
意見が分かれるところだろうが、明治の画家だけど書家としても面白い書を残した中村不折の書を使った長野の「眞澄」が手堅いところか。
そういえば、山形の酒で美味しいけど字がいただけないので気になっているところがある。
さて、酒のラベルはきりが無い。

TVタイトルなども批評精神を持ってみるといい。また、広告の仕事も、上手さではない。狙いを持つ中で、どれだけ訴えられるか、ディレクターをはじめとしたスタッフとの共同作業である。しかしだ、ディレクターやデザイナーも今や書の善し悪しがわからない方も多いようである。目にする仕事の質の低下は著しい。

会津八一は新聞の活字が書の勉強にいいとした。一理あるが、会津は書の古典を愛して傍に置いていた大家である。
最近のフォントには微妙な違いを意識できない私だが、一昔前は、デザイナーは微妙な書体の違いを熟知していた。そして一ミリ以下の詰めを指定して明朝の組打ちがなっていた。

長くなってしまった。ということで、批評精神を持って街に出よう!


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原風景

2010年12月11日 | 書かない書道!入門
冗談!?通信講座
「書かない書道!入門」①
いい字を書きたければ、まず、筆を待たず、目を閉じてみろ! (というノリで……)

「浮かんでくる字や書はどんなもの?」
「あなたにとっていい書って何?」
「読めなかったけど、なんかいいなー、と思い出す書はある?」
無念無想とはいかないあなた、そんなことをボーと思いながらでもいいのである。

教わる前に自分の原風景の書の姿をおぼろげでもいいから身体のどこかに入れておくといい。

まず、自分の原風景を大切にしたい。歳を重ねれば重ねるほど、これは大事な“起筆”である。
書家以外は、上手い字を書こうとしない方がいい。自分らしい書が生まれることを願うばかりである。
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一世代

2010年12月09日 | 日記
一世代は30年だとか。

昨日12月8日はジョンレノンが銃弾に倒れてから30年だという。
そう、あの日、私は高田馬場にいた。
早稲田通を歩いていると、知人とばったり遇った。
「ジョン・レノン、しんじゃったね…」と挨拶代わりに知人はいった。
通りにあるジャズ喫茶に入った。
知人は自分の劇団のポスターを抱えていて、喫茶店まわりだった。
会わなくなって二年ほど経っていたが、たいした話はしなかった。

それから何年たってからだったか、古い文字の金文でタテに「十九」と和紙に二文字書いて作品とした。
その作品は地元のインド民芸店の店主が観てくれて、とても気に入ってくれて、ピン止めしてしばらく店に飾ってあった。

その後、すべて思い出になった頃、新たに「十九」を作品とした。
フランス個展の時にわりと評判よくフランス人が買ってくれた。

いまはむかしのものがたり…。




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鳥の記憶

2010年12月08日 | 文化・芸術
小冊子「鳥の記憶」が荒川尚也さんより届く。

荒川さんはガラスを素材とした制作者として知られているが、ガラスの詩人なのだ。
今回の冊子は、2009年6月、京都の堺町画廊での個展のレポートとしてまとめられたものだが、荒川さんは、今年も群馬だったか栃木だったかで、大胆と思える場所で展示をしたな、確か。その案内チラシの洒落ていたことよ。

京の町家の画廊でのレポートは、印象的な場所、空間を求め続けている作家の意思を表すものらしいが、この堺町画廊と荒川さんの関係にはドラマがある。
『トリキチ誕生』1959年理論社 
がキーワードである。
今回はなぞのまま私の中途半端レポートとする。

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アントニオ・ストラディヴァリ

2010年12月03日 | 書道・筆文字
師走になると、コンサートも多い。この時期の活動は、一部では“餅代稼ぎ”という、と某声楽家に聞いたことがある。

18世紀の名器であるストラディヴァリウス11台を用いて、ベルリンフィルの弦楽奏者13人のコンサートがあると今日の新聞広告にあった。
日本でもこの名器を使っている奏者もいるらしい。すでに文化財であるし、オークションにでても何億もするので、組織からの貸与もあるし、お金があれば力量はさておき所有する者もいるらしい。

さて、文房四宝もさまざまだが、筆も半紙に数文字書くくらいの筆で何万もする筆を使う人もいれば、数千円の人もいる。私はかつて前者だったが、今は数千円どころか数百円の場合もある。
いい筆は“筆の先が利く”とか“腰がつよい”とか……。

音楽と書は、一回限り、一回性、強弱、リズム等々、似ていることも多い。しかし、音楽家が一音ずれてしまったら大変であるが、書はそれも許容する。伸びるところで伸びなくてはどうしようもない曲に対して、書はそれでも魅力的に映してしまう場合がある。

プロの書家はいい線を願うが、あまりそれを意識しすぎると書の本来の味を忘れる。
“弘法筆をえらばず”じゃなく、本当は“弘法筆をえらぶ”だとプロは教える。その通りだが、また“筆をえらばず”も書の魅力の根源的な姿であると思う。

この秋も失礼した展覧会・イベント多数。深謝。抱えている仕事やなにやら無い場合にはひょっこり顔を出させていただきます。

ご縁あるお勧めイベントは、

染織iwasakiとekka
『ゆきかうものⅩⅢ』は、4日から10日まで、新高円寺近くの、GALLERY工。
あったかい製作者の岩崎夫妻と九州と東京をまたにかけて活躍するデザイナーのコラボは、毎回人気のようですが、このギャラリーもいいです。

土屋典康作陶展
5日から13日まで、歌舞伎座、東銀座駅近くの、ギャラリー江で。
書と陶芸は趣味的に成りすぎて、いいものが分からなくなってしまった時代。ひとつのあり方として、陶の気を伝える求道的作家だと思う。

さて、私はこれから、新国立美術館へ。
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歓喜の歌

2010年12月02日 | 文化・芸術
今年の年末「歓喜の歌」は吉祥寺の前進座劇場で聴くことになった。
ぷろだくしょんバオバブプロデュース公演は、5組の家族が織りなす物語。
いい作・演出だった。素直に笑えるものが多かった。
声優で活躍する人が多いようだが、魅せる魅せる。
5日までだが、これは見ても損はない。来年もこの路線でいいので見たい。
野村須磨子さんはどんな役でも見事に演じる方だが、一時期、書と関わりをもってくれました。

書と関わった演劇人といえば、爆笑王小倉と高畑。彼ら「娯楽天国」公演は先週観た。今年の“お祭りしましょ”は、ちょっと時事問題の野暮が気になったが、はじめて接した地元中学の演劇部を思いだすほど、引き込まれるんだな、ここは。

さて、今日の午後は国立ノ―ション教室。「凸凹」や「茂」の書き順は? では「昇」は? そして「龜」の書き順はどう書くか?
そこから「龜龍壽」を書くことにする。「壽」も活字通りに書かない代表例である。

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