私をドナウ川まで連れて行ってくれた後藤さんが、この11月に亡くなっていたことを知った。
儀式的なことはしなかったようで、位牌もないようなことを聞いた。
後藤さんの生き方の集大成だったのかもしれないと考えている。
ドイツの作家にゲーテ時代に生きたシラーという詩人がいるのをご存じでしょう。
彼の生き方や美学を説いたカリアスという学者が、その「カリアス書簡」のなかで“美的自由”という言葉を残しています。
すべて美しいものは自由である。精神の自由、自然の自由(直線はありえない…松の枝の美しさを見よ)、つまりは何にも束縛されない状態を指しているようです。
後藤さんとは、実際に会ったり、また電話で話すことが多かったが、たまたま後藤さんが私に間違ってメール送信し、そのやりとりのなかでのメールが残っていた。その一部分が上記の文である。
見事2010年のEU文化首都となったペーチですが、それが決まる前の年、我々はぺーチでも展覧会を開催した。食事の帰りだったか、夜の小さな広場で、後藤さんはドイツ語で歓喜の歌を少し歌ってくれました。
秩父の山小屋に発病後作られた自慢の岩風呂に一緒に入ったことも、娘さんたちのコンサート、新宿西口交番前の待ち合わせ、いろんなことが浮かんできます。
後藤さんて、一言でいうと、ロマンチストだったと思う。国際感覚を持った。
儀式的なことはしなかったようで、位牌もないようなことを聞いた。
後藤さんの生き方の集大成だったのかもしれないと考えている。
ドイツの作家にゲーテ時代に生きたシラーという詩人がいるのをご存じでしょう。
彼の生き方や美学を説いたカリアスという学者が、その「カリアス書簡」のなかで“美的自由”という言葉を残しています。
すべて美しいものは自由である。精神の自由、自然の自由(直線はありえない…松の枝の美しさを見よ)、つまりは何にも束縛されない状態を指しているようです。
後藤さんとは、実際に会ったり、また電話で話すことが多かったが、たまたま後藤さんが私に間違ってメール送信し、そのやりとりのなかでのメールが残っていた。その一部分が上記の文である。
見事2010年のEU文化首都となったペーチですが、それが決まる前の年、我々はぺーチでも展覧会を開催した。食事の帰りだったか、夜の小さな広場で、後藤さんはドイツ語で歓喜の歌を少し歌ってくれました。
秩父の山小屋に発病後作られた自慢の岩風呂に一緒に入ったことも、娘さんたちのコンサート、新宿西口交番前の待ち合わせ、いろんなことが浮かんできます。
後藤さんて、一言でいうと、ロマンチストだったと思う。国際感覚を持った。