「伯牙絶弦」の故事の話からはじまった一中節の演奏会。
初世都一中没後300年記念ということであるが、家元の了中さんの初めの挨拶のお話であった。
中国の春秋戦国時代の故事というのだから、紀元前である。
伯牙は国随一の琴の名手。それを理解する鍾子期。
その鍾子期が死んでしまって、伯牙は、自分の琴のよさをわかってくれる理解者がいなくなって、琴の弦を切ってしまった、という故事だ。
今日の演奏会は、5段。一中さん,、了中さん以外にも、ベテランや若手も出ていた。
浄瑠璃のなかに了中さんの弟子が出ていて、その方は本来、琴の方だ。
その方が芸大生の頃、たまたま私の個展会場に来ていて会っている。何十年も前の話だ。そのうち、挨拶でもしてみよう。
さて、今日は、自分を伯牙にさせてもらおう。
私の筆文字のいくつかを観て、書家の字は好きではないが、あなたのはいい、と言ってくれた方がいた。お茶にも精通して文化全般に通じる方である。その方を、今日は、鍾子期にしてしまおう。
そういう方がいてくれると、なにはなくとも、明日も生きる勇気が湧いてくるのだ。
観る目のないファン一万人より、鍾子期一人でいいだろう。
伯牙と鍾子期の話は、田舎のお寺の本堂に、たぶん寄贈された行草書の屏風があり、それを読まされたとき、難解な行草書をなんとか読み進めていくと、『列氏』からだったか、その故事の部分だった。その時、この故事を知った。