めくりの字などどうでもいい、演奏がよければ。というなかれ。
その場に合うか、その演奏にふさわしいか、演奏を尚よいと思わせられるか等々、書く側はそこに命をかける(すこしオーバーだった)。
「道成寺」は、書き損じ率が高い一つ。気に入ったものがなかなか書けない。
今回は二つ道成寺がある。少しこちらなりに書き分ける。
まあ、大半の人、演者もふくめてどうでもいいであろうところに命までかけないが、命を吹き込もうとはする。
そうした自分自身の姿勢の定点観測の“めくり”。
とある全国展。最高賞もでた。下位の成績になった子もいた。
一生懸命に取り組んだ子は、結果は二の次でいい。
結果は、良ければ喜び、悪ければ気にしない、と私はいう。
自分なりに考え、迷い、また書く。そうしていく中で、強く大きく、前へ。
やはり一生懸命取り組むと、子どもなりに発見があるような気がする。
それは宝物の一つといえるんじゃないかな。
大人は?
無垢な心を持ち続けたいもんですね。
バスタオルの覆いをはがすと、大きいディズニーの枕。
子どものために?もらった?買った?の昔。
田舎にいるときは未だに使っていたことに気づく。
まぁ、ここまでがまくら、というやつですかね。
『まくら』のタイトルのままだったか、小三治師匠の著作を頂いたのは、和紙仲間だった三宅さんからだ。個展のときのプレゼントだった。上質!
その小三治師匠が亡くなった。車でラジオのナックファイブ「聴きたい時にはその落語家はいない」みたいなことを鬼丸が語る。なるほど~。
“まくらの小三治”。そうはなかなか。
合掌。
日野駅の構内を降りていくと、「誠」のポスターと、「燃えよ剣」のポスターがいっぱい。
結論からいうと、今度の「燃えよ剣」は、岡田准一の燃えよ剣、のようだが、彼の身体にかける情熱みたいなものには好感を抱く。
さて、硯を頂きに知人の社長を訪ねにあがる。そこには、嵐のMJと同じ名前の化学が専門の方がいて、いそうでいない面白い方であった。がそこでの話はまたあとで。
そこを後にし、ふるさと歴史館経由で、甲州街道沿いにでて、ぶらぶら。井上源三郎記念館の前に出る。ラッキーなことに、当主が庭にでていた。旧知の仲である。第一、第三日曜が、土方館、佐藤館も共通して開館日であるが、平日ながら開けていただく。駅を降りた後、源三郎の墓参りをして居たので、源さんのおはからいだと思った。
記念館でみた源三郎の書と土方の書の違いは、もともと違うのが当たり前だが、師匠の違いも大きいのかな、と感じた。その記念館の斜め前のお寺には「日埜義貴之碑」があるが、源さんはその方に習ったとか。わりと几帳面な字をかかれる源さんである。
また近くに、とんがらし地蔵があって、目がよくなるお地蔵さんは、剣士もいつ死ぬかわからぬ身であるから、辻々のお地蔵さんも大事にするとは現当主のお話し。
その日は、国立で夕方から教える日であったので、記念館で「土方歳三うどん」を生徒のお土産にする。井上源三郎うどんはない。
たしかに土方は、かっこいい。子孫のお嬢さんまできれいだ。だが、やはり人には一人ひとりの生き方があり、六番隊長の井上源三郎のいぶし銀にも惹かれるようになったのは、少し人生がわかってきたということか。こちらの現当主もなかなかの男前だが。
記念館のある付近もなんか落ち着いて気持ちいい場所だった。