OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

にんげんだもの

2019年04月30日 | 書道・筆文字
昨日は、動物画家の知人に誘われ、ピンチヒッターとして、彼女と縁のある岩崎さんのコンサートへ。
やはり岩崎さんと縁のあるテディベア作家の吉川さんらと合流して、つかのま、10代に戻った気分少々。
さて、その時は、少々早く国際フォーラムへついた。

東芝ビルからオープンした国際フォーラムへ移った相田みつを美術館。
東芝ビルの時から、どこか気になりながらも、いくまでもない、とおもい続けていた。

アンチ相田みつをかと問われれば、そうでもない。
まだ、相田みつをが「にんげんだもの」で一気に売れるずーと前から、じつは、

わたしの部屋には、相田みつをの色紙が飾られていた。

中学生の時である。中三トリオや高校になって岩崎さんら同じ年のアイドルが活躍する前に、
私のアイドルは相田みつを? それはない。笑

しかしだ、どこか気になり続けていたのだろう。初めての相田みつを美術館へ。


今の、あの、結果としての、あの、相田みつを、の字。書。

それは、突き詰めていった結果。表現としての苦悩の連続。
気の利いたコピーライターでもなければ、似非仏教者でもない。
彼は、書家だ。そう強く思った。

昭和の懸命さが作った一作家だと思った。

自分の、人間の、弱さをみつめながらも、人間を讃えている。

私の方が、…にんげんだもの、と最後につけて、自分を救いたい気分になった。


美術館としての見せ方も上手で拍手。
そこそこ書の美術館もできたが、これほど成功している書の美術館もないだろう。


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土方歳三展

2019年04月20日 | 気になる展覧会
4月20日から6月30日まで。

没後150年 特別展 土方歳三

日野市立新選組のふるさと歴史館で。
日野駅から徒歩15分程度。

今日は、関係者の内覧会。
明治維新、戊辰戦争…いま、見方が広がっていると感じるが、どちらにしろ、その時代を生きて、敵味方になった人々がいるわけだが、
土方歳三の子孫で記念館の館長をしている土方愛さんの挨拶のなかで、次のようなニュアンスの言葉が胸に響いた。

その時に生き死にをかけてこの国の形を作ろうとした人々の思いを無駄にしてはならない。

ちょっとファンになりました。
さて、今回の特別展は、じっくりみれれば、なかなか面白そうだ。
イベントもなかなか充実。ぜひ歴史館の検索を。


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カタルーニャ

2019年04月13日 | 書道・筆文字
長くバルセロナ近くの街で鍼灸師をしている方の「光明」である。

小学校以来ほぼ筆はもっていない、という。
一か月日本に滞在し、そろそろ帰国らしいが、50年ぶり?に書である。
少し基礎を教えて最後に好きなものを、というと、ご母堂が眠るところの住職さんからいただき、肌身離さず持って、毎日ではないがほぼ眺めているという浄土宗の経典のなかから、「光明」。

鍼を打つのに、気があるかないかでは全く違う。
とは実感がこもっていた。

子どもの教育を日本かスペインか迷った末に、スペインの小学校で観た子供の絵を観て、スペインに決めたという。
色使いがポイントだったという。形は教えられるが、色は感性だ、という。

わかる気がした。

しかしだ、日本の優れた教育者の中には、墨一色を使い、無限の色を感じさせ、色を超えた世界を感じさせる人がいる!
といいたい。
がんばろー、心ある人よ!
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令和狂騒

2019年04月02日 | 書道・筆文字
官房長官が掲げた「令和」に日本中が心躍った。

いろんな見方があるようだが、凛とした響きを持つ令和を歓迎したいと思う。

免許証くらいは西暦表記にしてほしいが。「平成35年まで有効」、となっていても戸惑う。

さて、「令和」が掲げられた瞬間、「あっ!」と思った。

令の最終画は縦棒でトメてある。
明朝体そのままを筆文字で表した感じ。

肉筆では、一般的に最終画は、点を引く(打つ)というイメージ。

そこまでは、ま、いいとしよう。
その後、ニュースや新聞などをみていると、書道塾がさっそく「令和」と書くのだが、みんな縦棒トメ。
神社で奉納するという着物姿の書家の「令和」もそう。

結論的にいうと、棒でも点でも、どちらでもいいのであるが、発表された「令和」を真似て、まったく無自覚に書いているように映った。

そういう中、銀座和光のショーウインドに大きく掲げられた「令和」の最終画は点を引いた形。
官房長官が掲げた後すぐに、それと違って、肉筆で多く使われる「令」を書いてくれたので一安心。
筆写は石飛先生だった。

「令」を縦棒でなく点で書いてしまうと訂正させられることがある時代になって、それを助長させるような行動が今回の「令和」狂騒にみえた。



 
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