OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

とほほ

2011年07月27日 | 文化・芸術
今日は業界の展覧会を観に新国立へ。
乃木坂駅の階段をのぼっていくと、「休館」の文字!
とほほ…。

気を取り直して、はじめてスポットの赤坂の日枝神社に参拝し、神保町の檜画廊へ。
「全部嘘」というタイトルの堀越千秋さんの展覧会である。日本の社会を予言したかのようだ。スペインで昨年制作された仕事ということだ。

そして麹町のセルバンテス文化センターでの「わが腸のスペイン」堀越千秋展へ。今日は堀越ディとなる。

オープニングが7時からで、堀越さん自らフラメンコの歌い手(カンテ)として、逢坂剛さんらとスーパーライブが予定されていた。
その前に早くいってしまったら、堀越さんはつなげる名人で、何人かと初対面で親しくなってしまった。

小堀遠州流の宗峯さんのお手前でお茶も一服いただく。茶筅さばきも違うもんだけど、千秋茶碗の凸凹も受け入れ、見事なさばきだった。
そうしているうちに、知人もちらほら。ワインも、料理も並んで、美味しそう。

そんなとき、電話が。
「いまどこ?」と。
あー。「今日だっけ!!??」
「みんな集まってるよ!」
関係組織の打ち合わせを忘れていた。

「それではみなさま…」と場内にアナウンスが流れ始めた時、私はエレベーターに乗って、打ち合わせに向かった。
とほほ…。

堀越千秋展は、8月11日から17日まで休館だが、9月10日まで。
会期中、無料でいいの? という方々のスーパーイベントが毎週のようにある。

大きな入れ物で一見雑な要素が多いようにみえるが、そこから発するものはあきらかに美のエナジーなのだ。
これがスペインならば、やっぱ行かなくっちゃなー。





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掟破り

2011年07月25日 | 書道・筆文字
掟破りはいっぱいの私だが、書には二度書きはなじまない。
今日はそれも咎めず、書き順も、ま、いいっかー、というノリでのワークショップだった。

写真は掟破り①の私の見本。90センチ四方の紙に、
太めの筆で一画目。
細い筆で二画目。
三四画目は、刷毛。
使う筆の見本である。作品じゃないよ。

そして今回のWSにお付き合いしていただいた方は日本舞踊家を目指す若手の方中心。
書家の発想にはない面白いものたくさんありました。

「空」を書いていったら、犬の顔になっちゃった。
と、その通りに。
「鴨」が上下に伸びて、4つの点は、こぼれるように下に流れたが、パンチが利いた点でいい仕上がり。
末広がりで、という「八」は、パリに持っていっても観られる作品。
とかいろいろ。

今日は、デザイン書やインテリア書という概念をとらえてみよう、という発想であった。
前売り口上に「中途半端なデザイン書やインテリア書…」と書いた私ですが、心あるデザイン書家やインテリア書家の方には失礼な言い方であった。
ただ、大勢は、中途半端で、みるのが辛い。
ただ、大勢の、伝統書も辛いのだ。

以前紹介させていただいた「鶴」はこの4日間のイベントで3度目の展示。思いがまたつながったかな。
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芽かき

2011年07月20日 | 和紙作り


7月の海の日を入れた巷の3連休、この節電騒ぎで知人の勤める自動車メーカーは木金が休みで土日は出勤とか…。
私も土曜は教える日だったが、次の日は、小川へ行って、仲間と楮畑の管理。草刈りと楮の芽かきに。

写真をみてわかってもらえるだろうか?
ちょっと撮る場所が違ってしまったが、葉枝の上に、芽が出る。というより、もう枝に成長しているが、それを、枝のない一本の幹に育てるため、芽を摘み取る。枝をつまむ。

いい和紙を作るには、この原料からこだわるのがいい。

次の海の日も、小川にいて、この正月に刈り取った楮の表皮を削る小川地方の言い方で“かず引き”を留守番をしながら一人で行った。
なでしこジャパン快挙の余韻にしたりながら、「本引き」ではなく「なで皮」をつくる。

本引き=大吟醸酒みたいに、削る部分が多い。虫がつきにくいので、修復用などに向く。
なで皮=純米酒みたいなものか。表皮のみ取り除く。

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煽ぐ

2011年07月11日 | 書道・筆文字
昨日は朝から晩までのワークショップ。それも草書がテーマ。
とっつきにくいテーマだったが、いつものメンバー他、長野や群馬からも参加してくれて感謝。

ずーと慣れない草書と向き合い格闘しているなかで、様子をみはらかって夕方、主宰者と相談しておいた団扇に、ひょいと草書でなんでもいいからと書いてもらった。

夜8時過ぎに終わったWSだったが、その後、夕食をとりながら、主宰者が自らしたためた「月」の団扇で煽いでいると、「あ、それいい!」とKさん。みんなも「ほんとだ~」と。

半紙にイメージとして書いたものはよかったが、団扇に書いたのはイマイチ…といっていた主宰者の方であったが、煽ぐとその「月」がかがやくのであった。というとオーバーか、動き出していい味になるのである。

どれどれと、比べて私の見本用に書いた「舞」を取り出し、煽いでみると、踊ってくれなかった。
先生役をやると、先生のような「舞」であって、あくまで見本である。そこには感動もない。だからといって、思わせぶりの書もいけない。

煽いでちょうどいい作品になるとは、いやはや団扇の書の境地をみた。





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三つ

2011年07月07日 | 文化・芸術
今日は三つのスケジュールをこなした。
一般の方々にとってはあたり前のことかもしれないが、北京遊学以後、一日一件をこなせれば充分、という感覚になっている。もう20年だ。
今日は、日本橋のブリヂストン美術館、国立の教室、青山のライブと三つ。

ブリヂストン美術館は、大戦後パリで起こった非定形で意識下の心的状態を想起させるあらたな抽象主義「アンフォルメル」をとりあげ、7月6日が最終日ということで、どうにか間に合った。
某劇画の原作ゴーストライターをしたとき、このアンフォルメルの代表的画家ピエール・スーラージュを取り上げたことがあった。そして私は今も生きているとは思わなかったのだが、この3月、スーラージュにインタビューが行われているのを知り、びっくり。その作家として日本に1958年に来ている。
スーラージュは、小さい頃、雪を描くのに黒を使っていた、と周りが記憶しているらしいが、黒が好きだったらしい。それは、光を得るためだったから、のようなことを言っているが、書に似た感覚。
私は、当時の書と西洋の絵画(アンフォルメル運動)がお互い影響を与えた、とその原作の主人公に語らせたが、スーラージュは、自分自身の発想であってどこからも影響を受けたものではないというようなこともいっている。だが(時代の)空気は意識にはないものだと考える。
遠近法も幻視、だとさらにいい、絵画は表現ではない、存在そのもの、というようなことも。作者、作品というモノ、そして観る者、それによって変わり、あるものは存在のみ、と。

国立は、個人的節電うちわプロジェクトである。みなさん手本がなくてもそれなりにまとめ、発想も豊か。今日は水墨もやったが、斉白石的金魚は山椒魚のようなのもあって笑えた。
  
青山CRYは、木津茂理ちゃんから誘われたが、今日は仙波清彦さんが観たかったので、一、日三件という私にとってはなかなかない行動力で無理して行った。この方は邦楽の家元の長男に生まれその世界だけでなく洋楽やアジアの音楽までに精通していて、生まれたときからの音楽家らしい。坂田明さんもトークもなく、いい魂でやっていた。澤田師匠はいつもアドリブでいいね。茂理ちゃんはおじさんたちのなかできりっとしてゾクッっとくる表情が素敵で、日本の唄がかっこよく思えるにはあなただなー。
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おとなり

2011年07月04日 | 日記
昨夜はJリーグ、横浜対川崎をニッサンスタジアムまで。
神奈川ダービーで盛り上がっていたが、私はサイタマ育ち。
ま、どちらでもいい。

さて、その前に元町・中華街で降りて、元町方面へ。アメリカ山から外人墓地をいったところの洋館で開催中のドイツの旅の写真展を観た。
拙宅のお隣のご主人が、ミュンヘンより南の村オーバアマガウで行われる村民による10年に一度のキリスト受難劇を10年ぶり二度目の観劇をし、そこからブレーメンまで上る旅の途中の写真である。
写真展に先立ち、旅行記を冊子にしたためたものをいただいていたので、ドイツ精神とそのご主人の心持ちがよく理解できた。
しっかりした生き方を持っている方である。


ドイツのいなかもいいな~。
のんびりの旅もいいな~。
とその写真をみていて思った。

そのご主人はサイタマよりも横浜に長く住み、その山手にある教会の信者でもあるので、とりあえずマリノスファンかな。
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あれ!?

2011年07月03日 | 書道・筆文字
大人は今年、省エネ推進のため?団扇に書くことをやっている。
書きぶりによっては言葉がべたでも面白いものができた。「涼」などね。

七夕が近くなって、一か所だけ教えるこども書道では、わざわざ小川和紙の大きめの短冊に願い事を書かせた。
作家や建築家になりたい…から「家族元気で…」などなどさまざまだけど、小学生ながら「祈大震災復興」と端正に書かれた一葉には驚かされた。

そして、硬筆では、こと座のベガまではよかったが、わし座のアルタイルをアルタイトと書いていた私。
子どもたちに指摘された。

そういう子どもたちだから、「與」は「与」の旧字である、といったら、「エッ―」といわれて、「あれ、違っていたかなー」と思わずアシスタントをしてくれている方に確認をしてしまった。

ちなみに今年の七夕は旧暦でいくと8月6日だそうだ。
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今どき

2011年07月01日 | 文化・芸術
寒玉の作品も狙いすぎないよさがあった。詳細は業界誌に書く。

さて、三越本店で行われている京都の若手日本画の展示を観に行った。
売れっ子の感性に触れるが、そういうなかで、“一見”や“気を引く”や誇張などなど、いわゆるメディア受けするようなものと遠いところにある小田さんのかりんの画(F100号)がいぶし銀の味である。

昨年だか、著名月刊誌の目次ページの画を描いた小田さんだが、小田さん不在の時、月刊誌の編集長がその場に観に来て、縁もない小田さんの画が気にいって、後に連絡があったとのことだ。
小田さんにとって大きな仕事であるかなしかは別にして、今どき、そういう出会いがいい。
メディアの眼が腐っていると思う時代に、観る眼のある人がいてうれし。

東江寺には伺えず。今回はご容赦を。

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