「ディズニーはスペイン人である」とは『赤土色のスペイン』という随筆集の一頁にある。ディズニーのアニメの中の森の木が、ぐにゃりと笑ったり、カボチャが溶けて馬車に変わったり、……と、17世紀以後、「過剰」「悪趣味」の代名詞としてスペイン人の心の奥底、筋肉の隅々にトグロを巻いて今日まで生き延びた「バロック」のイメージそのものだと著者の堀越千秋さんは綴る。
ピカソの破壊的歪み、ダリの柔らかく溶け出した時計……、ガウディのグエル公園で、「何だこりゃディズニーランドじゃないか!」との実感溢れる観光客の叫びこそ、誠に正しかったのである、と堀越さんは続ける。
このペーソス溢れる笑いのセンスは画家にしておくのはもったいない。いやいやフラメンコのカンテの名手でもあるそうだが聴いたことはない。最近は陶芸も、水の漏る茶碗など国宝級も作る。そしてなお、あほらしくてくだらな過ぎてなぜか懐かしい超短編映像の巨匠になりつつある。私もでたいな1本。
ピカソの破壊的歪み、ダリの柔らかく溶け出した時計……、ガウディのグエル公園で、「何だこりゃディズニーランドじゃないか!」との実感溢れる観光客の叫びこそ、誠に正しかったのである、と堀越さんは続ける。
このペーソス溢れる笑いのセンスは画家にしておくのはもったいない。いやいやフラメンコのカンテの名手でもあるそうだが聴いたことはない。最近は陶芸も、水の漏る茶碗など国宝級も作る。そしてなお、あほらしくてくだらな過ぎてなぜか懐かしい超短編映像の巨匠になりつつある。私もでたいな1本。