OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

コラボ

2012年03月30日 | 書道・筆文字
「如水(水の如し)」と呼吸を大切にしてなったものに、添うように扇子のデザインをしてくれたのが久保紀波さん。

染色作家として着物や帯など墨を基調とした作品に人気があるが、もともと扇子作家として知られた方だ。
小川の和紙組合が彼女に講演をお願いしたのが縁で知り合い、今はなくなってしまって残念でならない青山「寿々木」での彼女の個展で、初コラボ。

扇子のことはよくわからなかったが、品格をもった扇子は耀いてくれた。
あれから10年くらいになるかもしれない。

前に評判が良かったので同じようなもの、ではいけない、と悩んだ。
紀波さんも同じだった。
画家中川一政は随筆の中でたしか、そういうものは「贋作」と位置付けていた。

銀座5丁目、三笠会館並びの「日々(にちにち)」に、久保紀波さんとのコラボ扇子が久々に並びます。

久保紀波展
時 4月13日から18日
所 銀座・日々


場所など詳細は、私のHP「ニュース」の中から「日々」にとべますのでよろしく。


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燕山夜話

2012年03月25日 | 書道・筆文字
「『燕山夜話』って文革の引き金になったんだって」なんて話がでたことが思いだされた。確か、今はTスポデスクの大沢との雑談だった。
四半世紀前北京師範学院校内での事を思いだした。

“これから羽田に戻るが、時間が空いたので中国美術館に来ている”と、しょっちゅう海外出張している某ガス会社部長。名品の数々をみながら、トウ(登+おおざと)拓の書を解説してくれ、とそこから掲出の写真付メールが届く。

土曜は精魂傾けてこどもたちに書を教えている日。昼休みにラーメンをすすりながら北京に返信したのだが、携帯メールを早く打てない私。
“トウ拓は毛沢東時代の北京副市長で美術にも造詣深かった人だが、文革で失脚、殺されたんだと思う。すごい時代を生きた筆致を感じたい”と送るのが精一杯。

そういえば家にトウ拓コレクションの画集があったな、と思って探したが、乱雑な部屋から探せなくて、代わりに出てきたのがトウ拓の書法作品集。
そこで経歴をあらためてみてみると、1912年福州出身で、新中国後、「人民日報」総編集長兼社長、北京市党文教委員書記?、文革時自殺。
記憶は当てにならない。

『燕山夜話』『三家村札記』が毛沢東批判ととられ、文革の引き金となって、粛清させられる。
今でいうと美術や歴史に詳しい作家、詩人、エッセイスト、評論家であり、政治家でもあったという感じが合うか、いや、もっと影響力があった感じ…。言論がもっと政治に直接影響を与えた感じか。

後に名誉回復がなされたのは当然だが、掲出の書は「四海翻謄雲水怒…」と毛沢東の詩の一節を1965年に書いたもの。その翌年自殺。
どんな思いで毛沢東の詩を書いたのであろうか。その時の筆致にはどんな懸命さがあったのであろうか。

文革時の自殺は、自殺ではない。
さて、トウ拓という人は、日本でもよく知られた篆刻家で画家の銭痩鉄とも縁が深かった。この方も文革で自殺ともいわれるがそう簡単にいいきれない。

私は縁あって、北京を離れる頃、トウ拓の息子さんに会いにいったことも思いだした。
「なんで今頃来たんだ!(もっと早く来なければ…)」と言われた。
だって、はじめ中国語がしゃべれなかったんだもの。そして、なんか重かったんだな、トウ拓という存在は。








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予感

2012年03月21日 | 書道・筆文字
三椏紙、雁皮紙、料紙は半懐紙、短冊などを使い、墨も変え、筆も変え、はじめてのかな。
それも高野切や関戸本古今、粘葉本和漢朗詠の王道を中心に、寸松庵色紙や香紙切まで、はじめてのかなにしてはもりだくさんである。
それも変体がなもまともに教えもせずに。

でも、手探り、も悪くない。
自分も反省するのであるが、すぐ直す、のが書の先生だったりする。
丸しかつけない、とは小学校の教師をして三十歳で逝った同級生の徹。
徹になるのは難しい。徹はまあ、直せないからだったが…。

そう、その人の能力をしっかり出させてみると、すごい力があったりする。
字をしっかり学ぶ前に、動きをしっかり感じるのもいい。
動きがいいと、短冊でも半懐紙でも見事な空間把握となる。

筆の持ち方も最終的には自由であるのだろうが、一番理にかなった持ち方を探る、姿勢もそうである。
そういうことは大事なんだろう。

丸一日ワークショップで、遠目には、相当の名品が生まれた。
遊びながらの集中力の力である。

「日本人を感じる」「日本人に生まれてよかった」とは、かな受講の感想。
“古典がなは、読めない”とかで敬遠される向きもあるが、そりゃ短絡的だ。
むしろ今の時代、しなやかに、のびやかに生きるために、かなも悪くない。

最後に、急に手術のためにこれなくなった方に、みんなで、巻紙の寄せ書き便りを書いた。
その便りを受け取ると、すぐ元気になるだろう。
そんな予感がその筆文字にはあった。
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こひ

2012年03月19日 | 文化・芸術
藍染の森君が滋賀から出てきていたので、稽古帰りに国立で会った。
ノ―ションのお母さんお勧めの、イタリアンレストランへ。
お母さんお勧めの、名前は思い出せないが、さかなを水で煮込むと奇妙なものになった、とかいうイタリア語の料理を頼んだりして、男二人でよく食べた。
お店の名前も覚えられない。

歴史的仮名遣いでは、森君の藍は「あゐ」で、愛は「あい」だ。でも恋は「こい」ではなく「こひ」だ。
愛には秘密が似合って、恋には“こふる”が似合う。

その日、子どもたちの課題は、巻紙。
恋文はなかったが、思いはけっこう綴っていて、頼もしい。
表現の根本は思い、かもしれぬ。

そこのデザートの生チョコは“濃い”。

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可能性

2012年03月15日 | 文化・芸術
詩歌には縁がある方だと思う。
自慢じゃないが、俳句では賞までいただき、北京にいた時は、中国語で詩を作り、原稿料まで頂いたことがある私だ。
(かなり今どきの胡散臭さである。実はある俳句結社の新人賞みたいな賞と、たまたま応募した外国人文芸コンクールみたいなものがあり、欧米人は話せても書けず、日本人は話せなくても書ける優位さをもって、たぶん作品が多く集まらず、しかたなしに新聞に載せて、8元・当時240円の原稿料をいただいた。仲間7人をつれて“今日はオレのおごりだ!”といって路地にある水餃子屋に行った、という自慢にならない思い出話である。まあ、それと同じくらいのレベルでそれなりの賞があるのも今のご時世であるが…いや、もっとひどい詐欺みたいな賞もありますね)

さて、前置きが長くなったが、英詩とは縁がない。
それどころか中1程度の英語力である。
ちょっと上に声をかければ届きそうな距離に私と世間話をするかわいいおばさまがいるが、その方の著作が届いた。
そのおばさまは長く大学で教えていたなかで、今どきの学生を観察しながら皮肉の効いたいいエッセイ集は辛口だったが本物の香りだった。

今度届いたのはその方の専門とする英詩の論考集である。
私は読みこなせるのか?
 
「Never seek to tell the love」
決して 君の愛を語ろうと努めるな

はじめに出てきたのが、「愛の秘密」考 である。
「愛」をキーワードに読み解こう。

この『言葉とヴィジョン』、なんか詩の持っている、
今なかなかないような詩性みたいなものに触れている感じ…。

自分で自分の能力を決めつけないようにしよう!
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ソウルフル

2012年03月13日 | 日記
いやあ、忙しかった…といっても、サラリーマンの方に比べれば、ふざけんじゃない! といわれそうである。

先週の金曜は、横浜の稽古の帰り、木津さんと澤田師匠の青山CAYへ。今回はドラマ―たち4人との共演。
伊藤大地ファンという和紙仲間の千晶に誘われていったら、染織の岩崎さんとか紀波さんのつながりでよく出会う大野さんらと遇い、同じテーブルに。
大野さんは、むかしからドラムが一番好きなんだそうである。

今回、ドラマ―4人は一人ひとり個性的でみんなよかったけど、一バチ一バチに魂をいれるようなスティック捌きの伊藤大地、お父さんもいいけど坂田学の全身からのいい動きには感心。なぜ、坂田明は子どもに「学」と名づけたか、きいてみたい。

ちなみに私の高校の同級生で教員をしている男は、長男に「学」と名づけた。
「あ~、(あなたが)先生だからね~」といわれることが多かったというが、今でも世界の山々に挑んでいるその男は、山岳の岳をそのまま使うのは芸がないと思ったのか、ひとひねりして「岳(ガク)→学(ガク)→学(まなぶ)」とした。
が、「岳」でよかったかもしれぬ。そういうことはいっぱいあるのが人の世だ。

話が飛んだが、千晶いわく「木津さんきれい」と。
私もそう思った。一番輝いて見える時である。
澤田師匠も「んだっ」で会話がだいたい済むのもすごいが、いい表情を持った人だ。
前の日は細野晴臣さんも最後にステージに上がったらしいが、「つるとかめ」は世界に発信できる日本の平和兵器である。
ジャンルは、民謡でなくソウルである。

私はソウルでなく釜山へいくのが5月下旬から。ツアーもあります。詳細はまた。

土日が和紙の先生役。
帰りに東松山の駅前広場で、「キャンドルナイト」あり。そう、今年に入ってから毎月11日にやってきたというが、東北への災害ボランティアを続けている“チーム東松山”のみなさんも関係していて、例の学校の木の看板について、「よかったよ!」といわれて、「みんなのおかげで自分でも傑作に思えてきた」と。
現地の高橋さんのこともみんな知っているので、はなしているといまでも感動的に思えてくるのである。

いきなり読んだ方は分からない話しになって失礼!
今日は申告。明日は修行。
どこが忙しいんだ~、って言われてもしかたなし。

書のため人のため。
申告後、むかしむかし留学時代、別れにピエールがくれた「何紹基作品集」から行草をまねてみた。








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口ずさむ

2012年03月07日 | 文化・芸術
昨夜は稽古のあと、一中さんの襲名20周年+襲名30周年記念演奏会で国立劇場へ。
一中節と常磐津の両方の名を持って、襲名50周年である。

明治になって、邦楽は抹殺され、西洋音楽のみが音楽であった。
絵画の方は、もともと音楽畑に配属された岡倉天心が絵画の方にすぐに配置転換となり、まずはイタリア人画家らを呼んだ明治政府だったが、その後の東京美術学校は逆にまず西洋画を置かず、日本画科を中心に設置、その後、天心の存在のもと横山大観などの活躍はよく知られていることだ。

世間一般では、邦楽は、未だに盛り返していないのかもしれない。が、今までの西洋崇拝の姿は根深いが徐々に消えていっているようにも思える。
そこで表れる現象は西洋っぽくみせる和であったりして、ネオ和ブームといっていいのか…。だいたいが、表面的であるのは、全体が似非大国日本であるからしかたない。

一中さんの覚悟は、いままであった精粋を引き継ぎ発展させることにある。そこが一目置くところである。
あらたに組織も立ち上げ、今回は立ち上げ公演であったともいえる。
先日のお話では、大きい所ではなく、小さな空間で音曲を聴いてもらいたいということで、老舗の料亭などの公演が多くなるようだ。おいしい料理も出て贅沢な時となるのか、庶民の私は縁遠くなりそうである。

私の生徒さんでもある驚異の80代半ばのおば様らと一緒に出掛けたのであるが、彼女は、シンディ・ローパーはチケット取り損ねたといい、ジャズのボイストレーニングもしているというが、一中節も習っている。
そこに現れたのが、最近よくここに登場の出口さんで、この方も一中節をならっている。
二人揃って共通しているのは「口ずさむのは一中節なんだよね」と。
そりゃまた粋だね。

日本人のリズムに合っているのかね、これだけ忙しくなっても。
お二人いわく、一中節は聴くものにあらず習うものだ、とは至言である。
江戸はいざ知らず平安の世などの会話は今の人より相当ゆっくりだったようだ。

昨日の国立劇場から今日は国立市へ。今日は平安の雅でも書くこととするか…。
趣味のない私が今聴いているのはモーツファルト。こりゃ東西である。


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いまどき

2012年03月01日 | 文化・芸術
ホームセンターに行けばとりあえず済んだのだが、近くにない、天気は悪い、忙しい…となって、ほんの少しで、気が引けたが、砥之粉を京都山科に電話で発注。

砥之粉もさまざまな種類があり、奥が深そうである。
ただ塗ればいい、と考えていた私はさっそく届いた砥之粉を使って、いままでより真剣に作業に取り組んだ。

そこのご主人が、とてもその仕事を大事にしている様子が電話口から伝わってきたから、おろそかにしたらばちが当たる。
素人の私にサンプルもいっぱいつけてくれて、そんな様子が、いまどき、とってもあったかいのでした。

何に使うって? 
とある名取札を書くのです。




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