OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

しびれる

2011年08月30日 | 日記
右手に微妙に痺れるような違和感。

最近しった野戦病院のような地元の病院へ。
院長の視線は患者をしっかりみる。
そこがいい。
看護師さんも心からの言葉を発している感じ。
が、ほとんどプライバシーは保護されない。

そこで、待合で身覚えるのある顔。
駅で数年前、秋から冬にかけての頃だったか、それらしい人を見かけたことがあった。
白髪で黒いコートを身につけていても痩躯とわかった。

「あの~失礼ですが、Rさん?」
「え?」
「小熊ですけど…岡部先生の…」
と話していっても、あまり記憶にないらしい。
「最後にお会いしたのは、ジトさんの個展で…」。四半世紀前になるかな。
「あら、そう…」
「その時、Rさんは、“この子生意気なのよ”って私のことをいったんですよ」
「あら、そんなこと…」
とむかしの尖鋭的な書作家の印象からずいぶん物腰の柔らかくなった印象。

話していくと、「困ったもんねー、今の書も」と痛烈である。
ストイックさは変わってないようで一安心である。

そのグループは、純粋すぎて、解散し、個々の活動はあるものの、今、世の中ではあまり注目されない。
もともと利に敏い人士は許さない雰囲気があった。
だから、岡部先生の名前も聞かなくなった。
それがさびしいのである。

Rさんは猫に噛まれての来院だった。
私は首からか!?



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今日の記

2011年08月28日 | 日記
明治の頃、今を思うと信じられないくらいの能力を持った人士がいたんじゃないかな…。

今の政治家の無能ぶりというけれど、日本人総体として、そうなっているんじゃないだろうか。

それはすり減らしてしまう詰め込み均等教育にあるんじゃないかな。

何を? 無限的な創造や思考の能力をすり減らしてしまう…。


帰りの電車のなかで、歴史学者の先生たちとの雑談でした。

うちでも今日もすり減らしています。


さて、その次の日は、子ども書道で少し大きな紙に、臨書学習。
低学年は絵のような図象文字を正確に写し取る日。
高学年から中学生は、木簡で動きある筆勢をつける日。
添作もなし。
いけいけどんどん、である。
先週の半紙から解放されて、のびのびである。
そうすると線も生きて、表情のいい作品となる。
そこでは無限的な能力に向く創造の世界に遊ばせたい。

おとなの方は先がみえてしまう?
いやいや書の技術でいうとせめて20代ではじめたい?
いやいや書は40歳だろうが60歳だろうが問題なし。
行きてきた歴史はそのまま書の武器である。

技術ばかりの書になんの魅力もありゃしない。
いやいやそれはそれの魅力がある。

若い書道家たちの展覧会が目黒で行われている。
ご案内いただいたが足を運べない。
ご容赦である。
自分たちの同じころと比べると、ずいぶん、センスがよくなった。といっていいのか、デジタル化でそれらしくみせるのか、コンプレックスはみえない。
多くの情報のなかで広く見聞して書をみつめるのもいい。
なにがいいか難しい時代であるが、自分の求める道をいくしかない。
まちがったら出直せばいい。若い時だとできる。
俺は間違ったらどうだ? ひらきなおるか?

一昔前、五十六十はなたれ小僧…といった。
現在は一般サラリーマンと同じ感覚になった。
いやいやTVタレントと同じ感覚になったか。

惑わされずに生きよう!
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Como esta usted ?

2011年08月23日 | 文化・芸術
日曜は小川で和紙当番。何組かの小判での紙漉きのお手伝いをした。
軒下では展覧会用に大きな和紙を作成していたが、お一人はアルゼンチン協会の会員の方。
一年に一回、アルゼンチンワインを安く購入できるとかで、赤白それぞれケースでセンターにワインがあった。
私も赤を購入。カベルネソーヴィニオン種にしては渋みもなくまろやかな口当たり。

その方を中心に8名ほどだったか女性ばかり、アルゼンチンで和紙の展示やワークショップを行ったのは3年くらい前?
行けないのなら、和紙に書いた作品だけでも出せ、ということで何点か持って行ってもらったが、漢字ブームのせいか、ブエノスアイレスの図書館にお買い上げいただいたということで、帰国後、その仲間からお小遣いをいただいた。

さて、写真は、ワインに合わせたわけではないが、赤と白のTシャツをその時に作って、ユニフォームとし、また、お土産としたもののTシャツの一部。
アルゼンチン行きのイメージテーマは「風、光、水」ということで、書かされたが、小さく入っているのはスペイン語ではなく英語。
脇が甘いがそれもよし。

その一年後くらいだったか、アルゼンチンから日本に一団が来て、小川の和紙を使った紙のワークショップのほかに、(行ってない私だけど)書のワークショップをやらされたが、みんな熱心で気持ちがよくて、とても印象に残る人たちだった。
一度くらいは行ってみたいところである! 
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修行の身

2011年08月18日 | 日記
昼食は精進料理。修行の身である。

半日後の夜はホルモン焼き。短い修行時間であった。
かしら、なんこつ、しろ…ホルモン焼きは初めてかもしれない。

こみに亭見学後、小料理屋へ、と向かったが、休みで、人気のホルモン焼き屋さんへ。
連れてきてくれた浅賀さんは、ここは美味いけれど「私は焦げた肉を一つ食べれば充分」と。
いかにも酒好きの請関さんも初対面。であるが、昔、縁があって、今は死んでしまったかと思っていた知人の弟さんであった。
お兄さんはブラジルにいるらしい。ブラジルに渡り彫刻家として成功し、日本では陶芸家としても活躍していたが、またブラジルに戻っていた。
よかった~。しばらくしてアトリエにいっても自宅にいっても、住んでいる気配がなかったので、「あ~、しんじゃったか…」と思っていた。
陶芸家というよりは書や俳句もこなし自在人らしく思えた弟さんは「ならば、香典をください」と。技には漫談も入っているらしい。

浅賀さんは代々の名士の血を持つ。ダンスから音楽から俳句から書から、なんでも、であり、真に文化芸術を理解する方であった。

こみに亭まで駅から連れて行ってくれたのはTAXI。
なのだけれど、この方はボサノバの歌手もやっているのだそうだ。
TAXI DRIVER曰く「一緒に食事ができればいいけど、今日は、息子夫婦と別れた女房が来ているから…」

よくわからない場所である。
そんな縁をつけてくれた出口氏に感謝であるが、彼もまた肉があまり好きではなかった。
私は好きな方であるかもしれないが、こり捨てロールが気にかかる…。

修行中、いまのままじゃいけない、というと師は「いまを活かしてほしい」と。
修業後、浅賀氏も私の作品の可能性に最大限の賛辞を送ってくれた。
師と氏、そしてまちがっっていた死の話し。活力をいただいたしあわせな一日だった。

呼吸力、流れ…独り言である。

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昔の写真

2011年08月12日 | 日記
いい曲だな、と思ってタイトルをみると「昔の写真」。
みなさんは、どんな昔の写真が脳裏に浮かぶのでしょうか?
私は…それなりに浮かぶ。

さて、このピアノ・ソロのアルバムは大槻さんの「ARATAMA」。
この方は音大出身でもなく14歳から独学でピアノやギターを学んだみたいである。
音楽好きの家庭に育ち…ではあるらしいが、いいですね、こういうの。

書道好きの家庭に育ちながら、○○は学校の担任から「もうちょっと(字が)どうにかならないんでしょうかね…」
と言われる家庭とは大きな違いである。

大槻さんは、14日に大倉山でコンサートがあるということだが、行けないので、かわりにといってはなんですが、そのアルバムを求めた。
技術も大事だけれども技術だけに頼ることなく、感性をたっぷり注ぎ込んだ曲作りがいい。
音楽家的オーラのないのもいいね。舞台に上がれば変るんだろうけれども。

今日は行書をテーマに、王羲之から「四時無形」などを書いてもらった日でした。
そのあとそこで2回目となる大槻さんに会い、家に帰って聴いたのでした。


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脇付けは写真

2011年08月10日 | 文化・芸術
秋扇子 開かれしまま 眠りけり  塩梅

好きな句である。句集が届いたのである。
一気に読んだのである。

最近はやり?の写真+俳句である。

俳句はもともと俳諧の連歌からの発句がもとであることを思うと、脇が付くのを待っているともいえる。
それは、発句に写真という脇付けもありなのかもしれない。
この忙しい現代社会では…。
それぞれの頁にコメントもあり、塩梅さんの生き方感じ方もよくわかる。

横浜三渓園の「書く現場」で扇面を書かせていただいた。
その扇子仕立てが出来、送らせていただいたが、丁寧な返礼とともに同封してくれた第四句集である。

漆作家の箱瀬さんのご縁でご夫婦で三渓園にいらしてくれたが、私は、紙切り演芸のように時折、冗談をいいながらその場で書いていた。
その場のノリが夫婦してよく、失礼ながら、ご主人もそんないい俳句的感性を持っているとは思わなかった。

一度、このブログでもその時のことを書いたが、扇面に書いた「麗しき ひとと定めし 日傘かな」とはなかなか素敵な句。
だが、そんな句がポンポン作れる方だとは思わなんだ。ついでにいうと、なかなかのビジネスマンでもあるようだ。
仕事だけでなく、感性も大事にする。これからの日本はこういうビジネスマンを生んでいきたい。

話が横にそれた。

今日はある名取免状を書いた。のりうつって書くのである。
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空海

2011年08月09日 | 書道・筆文字
天才といえば、空海と答える。
 
NHKBSで三日間、空海 至宝と人生 という番組があって、昨日は2日目、空海の書にスポットを当てた。どうにかこの日は、チャンネル争いに勝ち観ることができた。

風信帖はよく知られているが、今回、空海の若い時の書である聾瞽指帰のエネルギーとその達筆ぶりに改めて関心した。

そして、真言七祖像賛の飛白体。空海を知るにはこれも重要なカギだ。その真言七祖影を東寺で拝観したことがあったが、その時求めた冊子を観ながら手持ちの刷毛で臨書してみた。

そして、益田池碑銘。この雑書体を一部分だけ、また、本で観ただけではよくわからない。映像を観ていて、これはすごい、とおもった。空海の宇宙観はこの書に一番でているのかもしれない。ただし、空海の書をのちに真似た模本であるようだ。

崔氏玉座右銘は先日のあるWSで取り組んでもらったがいい動きである。

これらの書をみていると、空海は、とらわれずに拡大していく人間であることを思う。

石川さんも岡本さんもとてもいいコメントをしながら番組は進んだ。


空海の書は、潅頂記や三十帖冊子など学んだが、手島先生に学んでいる時、一年間、風信帖に取り組んだ。
手島先生は空海が大好きで、なかでも風信帖にその重きを置いているように思えたから。

全紙四枚に一通を書いて、観てもらった時、「(先生は)空海の風信帖はすばらしいというけれど、私にはよくわからない。空海の書の難しさはよくわかる」というと、「難しさが解かったということは、半分くらい解かったということじゃないですかね」と例のだみ声でいわれた。
この先生に褒められたことはない。

空海の書を知るには書だけ観ていてはいけない。大きな大きな宇宙を持った個体としてみる。
逆にいうと、空海を知るのに、空海の書を習うのはまたいいんじゃないでしょうか。
初心者には難しいけれど。
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レディ・メイド

2011年08月04日 | 文化・芸術
レディ・メイドという美術用語がある。
男性便器を横にし、サインしただけの作品、日本で「泉」というタイトルで知られるあまりにも有名なエポック的作品。
1917年、デュシャンの作品である。
そして今や「マルセル・デュシャン賞」があり、その受賞作品を8月下旬まで森美術館で並べている。

高尚なもの、唯一なもの、というものの瓦解。

そしてまた再生、復活、複製…も生まれてくる。

さて、展望台と美術館がセットの森美術館は、どっちがウリか???

レディ・メイドの反対は、オーダー・メイドだそうだ。なるほど。

成人式に臨むのにあたり、亡き父は高いオーダーメイドのスーツをつくってくれたが、
成人式には欠席。そのスーツも一、ニ回しか袖を通していない。
今でも実家の衣裳ケースの端っこにあるが、70%くらいしぼまないと着れない。

これからは、そのスーツを観て、親不孝とデュシャンを思うことだろう。

展覧会としては、ワタリウム美術館で4月下旬から7月いっぱいまで開催されていた「驚くべき学びの世界展」がユニークな展示で、想像力をかきたてるものだった。北イタリアの小さな村ではじまった子どもの教育実践は、今の日本でそのまま受け入れることは不可能としても、ヒントがいっぱい。
日本は幼稚園、保育園、小学校と美術教育のプロはほとんどいないのではないだろうか。
ここかな、差は。
ここでもガンバローニッポン!
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