OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

チョコレートフォンデュとトンカツ

2011年02月27日 | 和紙作り
今日は、和紙体験学習センターをいつもささえてくれている感謝ディであった。
紙漉きは冬の季語通り、冬が一番向いている。
今日は20人程度、紙漉きに慣れていない人もいたが、どうにかなるもんだ。「いい紙は売っている。これは売っていない」と励ます。すでに窓越しに入る日差しはまばゆく、和紙原料の入った漉き槽は水ぬるむ気配(だんだん暖かくなると紙料のほかに入れるトロロアオイの粘液が効かなくなってきます)。

中庭で、春の日差しを浴びながら、タイカレーに春菊と大根のサラダ、デザートはイチゴ、バナナ、パイナップル、キウイのフルーツチョコレートフォンデュの昼食。みんな満足そうであった。
笑顔いっぱいの一日であった。

家に帰って新聞を開くと、トンカツについての一文が目に入る。その作家は、トンカツは「レモンと塩」で半分食べる、とか。ベストセラーの劇画中、天才料理人の主人公が「私は塩とレモンで食べるのがもっともうまいと思う」と言っていることに影響されているらしい。

その天才料理人にそう言わせた男と、たまたま数日前に、電話で近況報告をしあった。
彼は「毎日、保育園の送り迎えをやっている」とのことだった。
その男の正体を知る保育園仲間はいない。








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ガード、ノーガード

2011年02月24日 | 文化・芸術
ちょっと京都・大阪へ。

祇園で昼食としたが、いわゆる「おばんざい」屋さんに寄った。
日常(番)のおかず(菜)で、昼時は限定20食。
失礼だが、たいしてきれいなお店ではない。

「手考足思」はカンジロウ、鯉に「花深処」はシコウ、ゴホウの「無事」の木額はクロダ。
そのあたりが普通に構えている。
それは、そこらの普通のおばさまにみえる店主の雰囲気、そのままの構えである。
いつもの画材と違うので、シコウは偽物だろう、という人がいたというが、先代の女将の時、目の前で描いてくれたものだという。だから画材は違って当たり前。

若い時、先輩だったY口瞳から教えてもらって、たまにこの店に寄るという業界誌の方がいて、私にとってあまり縁のない所へ、わざわざその方と行ったという一見の話しなのだが、Y口瞳が常連だったのはわかる気がした。

そしてぶらっと祇園を歩くと「蘇民将来子孫家門」「笑門」などの注連飾りの木札。これはお伊勢さんのものだというが、一年中護符として掛けておくらしい。
そんな話をくずきりの老舗の方が話してくれた。こちらはきれいなお店である。こちらは、サネアツ、イセンスイ、やはりクロダの本職の木、カンジロウの本職の陶、そこにイシカワさんまであったが、こちらはみな気構えを感じる。観られることを意識している。
当たり前だけれども……。
ムモンもあったな。

書いたもの描いたものこしらえたものを自然に存在させるには、作者ばかりでなく、そこに居る方の息の仕方にもよるんかなー。
矢吹丈のノーガード戦法?を見習えばよし!? 映画はようしらんけど。

でも、護符はいわばガードか…。

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日本の夏じたくは今年も面白い

2011年02月22日 | 文化・芸術
今日は自宅で10時、打ち合わせのはずだったが、先方が時間を勘違い。
そうしてできた空き時間は、時間がゆっくり回る。早春の陽もまばゆい。

そんなところに、5月27日から三日間の予定で、横浜三渓園の3つの会場を使って、「日本の夏じたく」展が開催されるが、事務局のアトリエきなみさんから案内状もろもろがどっさり届いた。

この催しは、工芸作家中心の10人くらいの作家展からはじまった。力のある作家たちでいい先輩たちが多かった。今回、5回目だが、力ある若手が多くなって、私はすっかり平均年齢を上げるグループに交ってしまっている。

今年は私自身は3日目にワークショップというか、ガマの油売りじゃないけれど、昨年に引き続いて、依頼に応じて「その場で書く」。今回は、会場がメイン会場の一室なので、小品のみでこっそりやる。

さて、そんなのはどうでもいいほど、今年はイベントが充実。
メインの工芸作家たちの技だけでなく、人にも接してほしいものである。

今年の詳細は「日本の夏じたく」で検索してみてください。
http://nihonnnonatsu.cocolog-nifty.com/blog/

三渓園にいったことのない方は、ぜひこの機会に。

じゃ、そろそろ打ち合わせに備えるか…。


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降りてくる

2011年02月20日 | 文化・芸術
「降りてくるんです」という表現者がいる。
過去に何人か会っている。

ある方との会話のなかで、
あの表現者は「降りてくるんだ、って言うんだ」というから、
「おれも降りてくるんだ」っていった。
付け加えて、
「ただ、そうは言わないだけだ」っていった。
その方は笑ってうなずいた。

そう、表現って、そういうことなんだと思う。
表現って「降りてくる」と言うか言わないかである。 
言うと、宗教に近くなるか胡散臭くなるかどちらかってところか。

ただ、贋作は違う。

たちの悪い贋作は、自分で自分の贋作をつくること。
「あの作品よかった」といわれて、
降りてこないのに、それらしい作品を作る。
これは贋作!
ってなことを上等なエッセイに仕上げているのは中川一政。
(贋作の部分からですよ)

今日は、少し淋しいことがありました。
教えていた子で、イギリスに行ってしまう子の最後の教室でした。
課題は、聖人を書く。
書聖王羲之(はほんのちょっと話しただけ)、俳聖松尾芭蕉、歌聖山部赤人(柿本人麻呂は説明だけ)、茶聖千利休(陸はお茶そのものの)、剣聖宮本武蔵(これはほかに平塚卜伝だけ紹介)でしたが、その子は最後の教室だったので、好きなものを書きました。
ハーフの彼女は日本の自分の難しい苗字を書きました。アメリカンスクールに通っていて筆文字もまだまだです。それでも、それを日本に残るおばあちゃんにプレゼントするようでした。
「おばあちゃん、イギリスに行っても、私はいつまでもあなたの孫です」って言っているようでけなげです。

これは、降りてきたのでしょうか。
降りたんじゃない。湧きあがってきたんだ。

降りても湧きあがっても、それをいっちゃ~おしめえよ。

幼いながら、心が、魂が、書かせたものだと思います。

これも余計か。




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三業

2011年02月17日 | 文化・芸術
三業とは、農業、漁業、商工業、いやいや、身業、口業、意業…いやいや、芸妓置屋、待合茶屋、料亭の三業で、ほぼ花街と同義語で使うらしい。
そういう場所として賑わっていた頃からの老舗うなぎ屋で、われわれの文化組織の理事会のあと、会食となった。
そこでのメンバーが話題とした笑えない笑える話をひとつ。

世界的に有名なレーサーをつれて、日本文化の粋を堪能させようと、その世界では有名な方が、今もその名残のある三業地の料亭へ行き、芸者衆を呼んだ。
そしたらその芸者衆はカセットかなにか録音されたテープで踊ろうとした。
その無粋に“それはゆるせん”と、その近くに住むその世界の仲間をすぐさま呼びだし、その世界では有名な方みずからと二人で演奏し、世界的レーサーに、日本の粋をみてもらったとか。

細かいことがかけない事情があるが、日本の粋は伝わったのかはなはだ不安ではある。

昼は久々に銀座にいた。壮観な屏風ばかりの展覧会を観ていた。本紙だけ観て作品を評価する公募展に慣れてしまいすぎた書道界だが、いまこそ、料紙や屏風の趣の復権を願うばかりである。書は芸術である、というまえに、文化であることを忘れてはならないと考えるのである。

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52世

2011年02月11日 | 書道・筆文字
「銕舟」印は、明治から大正の初めまで活躍した篆刻家丸山大迂の刻。上海に渡り徐三庚に学んだ影響がみられる印である。

この「銕舟」は山岡鉄舟の印。鐵、銕、鉄みな同じ「てつ」である。
山岡鉄舟は、幕末から明治にかけて活躍した人だが、剣、禅、書の達人でもある。
剣は「無刀流」の開祖となったが、書は弘法大師流入木道を受け継ぎ52世ということである。
幕末で気になる人の筆頭は私はこの人かもしれない。

あんぱんで有名な木村屋の屋号看板「木村家」は鉄舟の書だというが、鉄舟の書そのものより、鉄舟の心の持ち方に尚の興味がある。
雷が鉄舟の目の前に落ちたが、鉄舟はびっくりすることもなかったという。
平素の心の持ち方と姿勢が見事というエピソードである。

※入木道(じゅぼくどう)とは書道のこと。
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勧進帳?

2011年02月10日 | 日記
昨日は、日野市の新選組のふるさと歴史館で毎年楽しみな仕事の一日でしたが、帰り道、日野市在住の書の先生から紹介を受けていた喫茶店「カフェ・シフォン」に寄る。
外見は普通だが、中に入ると、清潔感があり、落ちつけて、オーナー夫妻もさっぱり気持ちいい。画廊喫茶とは銘打っていないが、壁面は作品展示ができるようになっていて、今後、それらの作品がこの店の雰囲気や歴史をつくっていくことにもなる。

さて、そこに今は、100年くらい前だというひな人形が置かれている。
三人官女じゃないところが面白い。「勧進帳」かもしれないという。
歌舞伎には詳しくないけれど、さすれば、左から、弁慶、富樫、義経というところか。

コーヒーも満足。
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Ich habe genug

2011年02月07日 | 文化・芸術
北京時代の仲間で何人か尊敬に値する人がいるが、今日はその一人で、通訳でありながらクラシック音楽関係のイベント運営までして、自分でも歌ってしまうスーパーな女性から連絡が急にあり、駒込まで。

一見普通のお家にみえるソフィアザールというサロンコンサート会場である。
二人のソプラノとピアノ、フルートのアンサンブルである。

音楽を愛する人々が、聴く方も一緒になって作り上げているようなあったかいコンサートで、普段の暮らしに音学がある美しさみたいなものを感じたのでした。そう、暮らしック音楽。

もう昔の話になってしまうけど、パリで個展をした時、3週間ほど滞在するうち、ぶらりと小さなサロンコンサート会場(小さな街の教会だったか?)に入って、若い女性のチェロを聴いた。
近くの方が集まって当たり前のように耳を傾けていた。生活のなかに音楽あり、美術がある。そんなことを思い出させてくれた日でした。
 
プログラムはイタリア歌曲ありバッハありなどなど。
バッハを歌う時は、自己表現という発想よりも宗教曲という観点からか、楽譜を持って歌うのが原則とか。へぇー。
書で無理やり言うと写経?
無理やり当てはめることもない。
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早春

2011年02月06日 | 書道・筆文字
たとえば、「日」という字も、「早」など上についたとき、「春」など下についたとき、「時」など横についたとき、大きさや形を変える。
「口」なんかはもっと多様に変化する。

でもそんなことはどうでもいいと思うこともある。
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2011年02月02日 | 書道・筆文字
漢字の部首の「月」は、夜に出る「月」だが、部首の「肉」には「月」も同時にあって、体の骨肉をイメージした「肉づき」と呼ばれている。
そして夜に出る「月」の方には、もう一つ、今は存在感を無くした「舟づき」が混じっている。「服」や「前(部首はりっとう)」などである。

そこまでは、いいが、旧活字ではそれぞれ、夜の「月」は3・4画目は右側をつけず。舟「月」は今の舟の最終画を取り除いた感じになるが、3・4画目はななめ点点とする。そして肉「月」は今の活字のように3・4画目をつける。となるようだ。

そうはいっても、筆文字だと、篆隷時代が終わると、そういうかき分ける区別は古典をみてもないようだ。漢字に限らないが、日常よく使うものは省略されたり、混同したりしても問題がなくなる。
江戸時代の候文の「候」は、なになに候なになに候って日常すぎて最後は「ゝ」になっちゃった。

さて、では、朋子ちゃんの「朋」はなんの「月」?
これはそれぞれ2つというか左右というか一対に、貝を重ねて連ねさげた形から来ているのだというのだから貝「月」にでもしたいもんだ。貝がらは財宝だったので金「月」か。いやいや財宝は人。だから仲間のことを「朋友」というんだ(ちょっとこじつけになっているか)。中国語では今でも友達を「朋友(ポンヨウ)」という。
さてさて、じゃ「青」はなんの「月」?
これも月の形をしているけど、今の漢字に直すと「丹」で、鉱物である。丹だけなら辰砂や朱砂の「あか」を意味するが、白丹や青丹があっての「青」は上に「生」があって、草色やセイという音を表した字。青も旧字の「」の方がまだわかりやすいのかもしれない。

だから「青」は「月」ではない。
楷書では「青」の「月」部の一画目は、抜かない。じゃなく、払わない、が正確か。学校でも。
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