OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

関係ない

2010年06月30日 | 文化・芸術
自分とは関係ない世界というものがありそうである。
金融なんてのもそういう存在。税関というのも普段関係ない。

だけど、「何?」、もしかしたら「面白い!」と好奇心が首をもたげる。

昨日は教授日。かなの基本の「いろは」を教えたが、
今日は、プロ級の書の腕前を持つ横浜の税関長を訪ねて、税関の仕事の「いろは」を聞く。

クイーンの塔のある建物も趣あるが、マッカッサーの使用した机、歴代の税関長の写真などなかなか面白い。有島三兄弟のお父さんや嘉納治五郎のいとこなどもその中にいた。
7階のデッキからみる横浜港は絶景の一言。

一般の方にも開放している税関の展示室は、私に関係ないブランド品の偽物や薬物の密輸の仕方などもあってなかなかのスポット。

さて、ひとつ今回観たかったものに、「岡倉天心生誕の地」レリーフ。開港記念館の通り沿いにあった。天心の父親も福井藩からこの地に来て生糸を仕事にした。

さて、「関係ない」ものなんてないよね。まわりまわって関係している。気付かないだけ。
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30年ぶり

2010年06月25日 | 書道・筆文字
約30年ぶり。電車では初めて古河市に降り立つ。
篆刻美術館ができたのは知っていて、知人たちも入館している。
昭和の代表的篆刻家の一人に数えられる生井子華がこの地にいた。

篆刻美術館構想はだれの発案か未だ知らず、だが、古河市にいた立石光司先生もそこに関わった人だときいた。
もともと近くであった生井先生に書と篆刻を習っていたとは、確か30年ほど前に古河市の立石先生宅で聞いた。
その先生ももういない。
自分の作品を飾る美術館もいいけど、そうした高所からの視点で、物事を考えられた書人が立石光司という印象がある。

さて、その篆刻美術館へもいけない夜8時30分古河到着。
駅で「第四回許我篆書展」のチラシを見つける。
「許我」は奈良時代万葉集の中にでてくる「こが」であり、第一回展のテーマはその「許我」、以後「雪華」「渡良瀬」ときて今回「桃里」だという。すべてご当地とかかわりがある言葉という。

面白いじゃないか。ただ作品は書壇を代表する25名の先生方だという。
これは面白いか、、、答えは、観てないのでいえない。

私は駅前の居酒屋で2時間ほど居て、トンボ帰り。
駅前の高層のマンションにびっくして、次の日は高僧のところへ。その次の日は自分の内臓をカメラで見る。

待っててください! 篆刻美術館! 期待してますから。
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グリコのおまけでなく、パン屋さんのおまけでもなく

2010年06月20日 | 文化・芸術
陶磁器に今どのくらいの作家がいるか知らないが、陶磁器も自分で作ることが容易になったりしてブームもあったせいか、書家にかぎらずいっぱいいて、なんでもありがこの世界か。
そういうなかにあって、陶芸の深みを感じさせる作家の一人に、土屋典康さんがいる。

浜田庄司から、島岡達三氏を経て、土屋典康さんへと師系は続くが、浜田世代の「民芸」でいうならば、河井寛次郎のモダンさもどこか感じるのだが、ストイックに造形を追う姿勢は尊い。

作家ものでは、うちは土屋さんのものが一番多いかもしれない。でも、もっと多いのが、この街区にあるあるパン屋さんのおまけの陶器だけどね。

池袋西武での作陶展は33回目という。
6月23日から29日まで、6階の西武アート・フォーラムで。

陶器好きとかじゃなくても、「美」を観る視点を持てる人は、観てほしい作家である。

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稽古すなわち鑑賞

2010年06月18日 | 文化・芸術
一中節 都會
の案内が届いた。

12世 都一中さんの案内に書かれてた挨拶がまた勉強になった。

それによると、
一中節は、19世紀初頭の文化年間に歌舞伎の世界と決別し、純粋音楽としての静かな道を選ぶことになったのだそうだ。

利休や世阿弥などの幽玄な世界を求めた。流行を追うことなく、音楽に深い芸術性を求める人たちがいた。

そして、その方たちが一中節を鑑賞する手段は、CDもなにもない時代、自ら稽古するしかなかった。

そこに「鑑賞すなわち稽古。稽古すなわち鑑賞」という理想的な習慣が生まれたという。
微に入り細にわたる稽古は、自ずから繊細な音楽性を深く観ずる感覚が身に付いた。結果的に文化水準も上がっていったというのです。

そう、書も似てる。繊細な感覚が養われなければ、いま流行の「もどき」流になってしまうんだろう。

残念ながら、「都會」うかがえず。
明日19日 茅場町 東京証券会館ホール
1時から5時30分ころまでかな。

進行は武藤祐子アナウンサー。この方の人間性にも惹かれます。


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眼力

2010年06月14日 | 書道・筆文字
篆刻ワークショップも無事?終了。
5回目の参加となるH氏の長女は、書道部。最近話題?の映画にも出演。
ギャラはなし、でも、ま、いい記念である。
そりゃそれでいい。

そしたら企業広告でも高校生あたりにただで筆文字を書かせたりしているという。

しょうがないね、もどきさんが活躍する時代、それなりの筆文字で充分な時代。

罪は、観る目のなくなってしまった大衆である。

その責任はまた、大衆を育てられなかった書壇にもあるのだろう。

「書ほど難しいものはない」と耳にすることがある。
でも、ちょっと前まで、みんな批評家だった。
「いい字だねー」「達筆ですね」なんて。

「小熊の普段の字はきたない」とか「なに書いているかわからん」という周りの批評には説得力がある。私の周りには眼力を持っているもの多し! か。


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野狐禅

2010年06月11日 | 書道・筆文字
今日もワークショップである。
「禅語を書く」である。

禅の書は、禅宗の高僧が書けば、いい、のか?
そうでもないけど、生半可の者が書けば、こりゃ、いわば、野狐禅の書である。

それでも書くのである。書かせるのである。
今回の設定は、「茶の湯」をテーマにしたわれわれの7月に行われるイベントの一環として設定されたが、「禅」は茶の湯だけではなく、文武に通じる。

書もまたしかり。
こりゃ凄いもんだ。

今時は、「野狐禅」というフォークグループがあるんだな。いいな、これ!
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失礼しました

2010年06月08日 | 書道・筆文字
読み始めたら、成家徹郎さんの『説文解字の研究』は面白い。一般向けに書かれている。
こりゃ、ぴょんぴょん跳ねる女子高生にも読んでほしい。読めば、跳ね方が変わるね、きっと。
難しいだろ、とした数時間前のコメントは、“失礼しました”だ。
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継続は力なり

2010年06月08日 | 書道・筆文字
『説文解字の研究 古代漢字研究序説』 2段組322頁のずっしり重い本が届いた。それも「前篇」である。
ねちっこい研究で甲骨金文の研究を30年以上続けている成家徹郎氏の著作である。

大東文化大学人文科学研究所発行であるが、もともと書道季刊誌『修美』に連載されていたものだという。一般の書道人には読みこなすのが大変だったろうが、成家さんにしては“一般”を意識して書いたのだろう。

でも、成家さん、やっぱり難しいんだと思うよ。
いまは、カエルみたいにぴょんぴょん跳ねるのが、書道(ある知人の引用です。うまいなー)と思われていたり、ちょっとのばしたりゆがませた程度で面白いと騒がれたり……。

成家さんが二十数年前の冬、埼玉は都幾川村の山間の廃校を借りて、古代文字の研究として夜通し天体観測したことがあった。私と私の仲間二人が手伝った。
それは読売新聞埼玉版の一面に大きく載った。

4人並んで、天体観測に使った紐やスケールやそれらしいものを持っている写真である。
写真キャプションに「天体観測をした千葉在住の成家徹郎さんら」とかでていて、その写真記事を私は知人に見せて“「(…成家徹郎さん)ら」が俺だ。(さえねー)”と自虐的ギャグ。

そしたら、次の日、その会話の中にいた千葉在住の後輩が、千葉版の同じ写真を持ってきて、“千葉版は「ら」抜き”だという。

そう、千葉版では、「埼玉にいた友人の関係で」とかの記事も飛ばされ、写真の私は、ただのその他大勢になっていたのです。ギャグにもならねー。

そんな思い出も懐かしい。

そういえば続編もあるな。

北京にいたころ、西安経由で漢中に石門遺跡を訪ねる旅にでたことがある。西安の碑林博物館に、なぜかは忘れたが、成家さんの論文を届けたのである。
そしたら、博物館の女の方が、「漢中に知人はいるのか?」と。「いいや」とこたえると、「漢中博物館の館長に手紙を書いてあげる」と。

そんなわけで、大開通やら石門頌があったダムまで、マイクロで案内してくれたり、館長宅で御馳走になったり…何泊かした後、北京に帰ろうとして駅で列車をまっていると「小熊ー、居留証を忘れただろー」と、届けてくれたり。(その後、手紙一つ書いていない私である。そんなことばっかりだなー。思い、届けー)

漢中にはまだ自動車のタクシーはなく、三輪自転車タクシーであった頃の話である。
漢中の…茶館も…、ひなびていて…、思いだすと…、泣けてくるぜ。

閑話休題。「継続は力なり」成家徹郎に拍手。
心ある書道人、どこかで上記著作、読むべし!
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遊びま書!終了

2010年06月06日 | 書道・筆文字
地元図書館主催の市民講座は、クイズ、ゲーム、作品制作を2時間のうちにするスーパー書道ワークショップ。
前評判は上々。結果はいかに?
親子16組、そこそこ楽しんでくれたかな。

図書館の担当者が細かく小学生のレベルを考え、クイズ一問にしても、噛み砕いた問題設定、絵入りの回答など、きめ細かい配慮があちこちに。

親子がそれぞれ自分の身内の書いたものを当てるゲームのお題は「ありがとう」。16組32枚中、正解は6枚程度。コメントも聞けず、あわただしく、またたく間に終わらせるしかなかったが、子どもの書はもちろんだが、お母さんやお父さんの「ありがとう」もよかったなー。
じっくり観賞できないのが私としても残念。

こころを柔らかくし、筆に慣れた後は、半紙を使って、自在な筆遣いを目指す。
といってもそうはじっくりいかないが、筆を懸命に追うのは、親子なかなかのもの。
さいごに、親子共同?で、はがきサイズの作品を仕上げる。
最後に「和」と刻した印を捺す位置も考えてもらい、落款印を捺して終了。
フレームもプレゼントし、いい出来のものは玄関に…と。
洒落に賞状も作って贈呈したりも。

本当は、最後に仕上げた作品をみんなで鑑賞できる時間があると、すばらしい。
鑑賞能力こそ大事なのだ!
これ課題。

日本人に生まれた素晴らしさを感じることのできるワークショップをこれからも目指したい。
図書館の担当してくれたみなさん、あなたたちは市民のほこりであります。
参加した家族も昨日より幸せになれたかな。
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混迷ノ時ハ寺山修司ヲ思ヒ井戸端会議ニ馳セ参ズ

2010年06月03日 | 文化・芸術
明日、明々後日のワークショップの準備に追われたが、日本の国の行方が分からず、政治の方向性も見えず、芸術家や何とか家だって、政治に無関心でいることはできない時代ではないだろうか。
芸術で政治を変える、ことができるのか……。そう考えるとあまりに無力だが、井戸端会議でもいいじゃないか。少しでも、すこしでも考えることがまず大事に思う。

寺山修司が生きていたら、今何をするのか、言うのか、ふと思った。
寺山は、劇作家か歌人か、とかじゃなく寺山修司なんだろう。
おもったことを、忠実に表現できる形式を選ぶのだろう。

書で、思いを集めて、かなり表現はできる。
ただできぬこともまた多いのである。
その時、私はなにができるのか、と考えていかなければならない。

とりあえず、明日、何人かに、心を啓いて筆に託すことを期待するのである。
世間話を交えながら。
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