OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

一二三

2020年03月24日 | 書道・筆文字
こんな時、書はどんな役割をはたすのだろう。

9年前の東日本大震災の時、時にさとい書道家や書道教育者は、書のパフォーマンスやなんやら。
正直、それが、その時、書にかかわる者たちの取るべき姿なのか、と思った。
「それに励まされた」という記事が載ったとしても、そうは思えなかっただろう。

では私が何ができたかといえば、やっと半年後に、ボランティアとなって東松島に行って少々のお手伝いをしただけなのだが。
結果的に、筆も握ったが、いわば、看板書きだった。それが必要とされたことだったので、満足している。

私は今、それこそパフォーマンスやワークショップの依頼を受け、準備していたが、それが中止になったり、企業カルチャーの休講が続く。
しかしながら、いつもより時間が出来たとの思いで、じっくり書と向き合える時間が多くなったと感じている。

書はいま、時流に流されやすいものとなっているようだ。
やはり、書の特性としての、自分と向き合う。まずは、ここからか、と思う。

新コロナのすーとした流行に思わず「戦争が廊下の奥に立ってゐた」の白泉の句を思った。
世界の指導者の何人かは、戦争以来、戦時、と表現。なるほど戦争になる時もこんな感じか、と思った。

写真は、表装が気に入ったのが出来たので、ここに。依頼作品「一二三」。
コメント
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