OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

継続は美なり

2011年09月29日 | 文化・芸術
書を教え始めたころ、生徒にかたぎの方は少なかった。
舞台女優の須磨子さんもそのお一人である。

今は声優としても活躍する須磨子さんだが、昨日は須磨子さん出演の「兄帰る」を笹塚ファクトリーで観る。
てらそままさきさんら5人の劇団「新宿625」の旗揚げ公演で、須磨子さんら3人は客演。
ベテランの方たちが多い。

私が書を学び始めたころ、まわりには劇団に関係する仲間もいて、わりと観て回った。
現在、その頃の仲間で役者を続けている者はいない。

そう考えると、ベテランの役者の方々には敬意を表したい。
おなか周りが増えても、お肌は疲れても、生き方は純粋で美しいではないか。
続けていく中で見えてくるもの、そこがプロだ。
そこは大事だと思うが、今の世の中ではさて…。

初めて観た沢海陽子さん、演じるほどに魅力的にみえてきました。



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お彼岸

2011年09月21日 | 書道・筆文字
彼岸ということで、昨年だったか、お墓の石銘を書いたことを思い出し、依頼者が出来上がった写真を送ってくれたものをここに一葉。

もともと江戸か明治期に、地元の儒者が書いたような篆書と隷書の入り混じったような写真を見せられ、そんな書体で書いてくれという注文。
それを洗練させていく作業だったが、亡き父のため亡き夫のため、と息子さんだけでなくお母さんまでわざわざ足を運んでくれて打ち合わせたのが印象に残る。

思い、が深かったのである。
こちらもその思いに応えなくては、という思いだった。
いい家庭であって、今もそうあり続けているのだろう。

彼岸があれば此岸あり
無限があれば有限あり。

昨日は仲間の和紙造形の3人展を観た後、お稽古。
墨を磨りながら「子どもは無限だが、われわれは有限…」という話になって、
なんでもできると思った時は過ぎ去り、限定されたなかで生きていることをしみじみ感じた。
一番早い方は「二十歳頃感じたかな…」と。

「その有限のなかで、無限の子どもたちにないものは、生きてきた日々そのものである」と励まし合った。

和紙三人展のお一人は、前にも話題に出したアルゼンチン展の中心的役割を果たした方だが、この方は淡々と物をこなして、無限的展開をはかっている。
歳のせいだけでもないようだ。


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サイクリング

2011年09月14日 | 日記
原発事故で、電車がある区間はストップ。なのでしかたなく自転車で2時間半、急いで申告会場めざし車の脇を走った。
それが3月14日。

帰りは走って戻る元気はなく、つながった電車で帰り、自転車は実家に。
そして半年ぶりに、そこから自転車で戻ることにした。

土手はサイクリングロードが整備されているのを知り、ちょっと遠回りだが、車優先で自転車は通るところがない日本の最悪道路事情を踏まえ、荒川沿いに南へ。

たまにウルトラマンのようないでたちのロードレーサーに抜かれていく。
広々気持ちいいが、雑踏の中に生き雑多なことを考えながら通りすぎて生きている身には、時に、このポカーンが退屈だったりする。

でも今に生きる方は、このポカーンが大事なんだろうな。
都会を中心に物事を考える時代のピークはもう過ぎたんだろうな。

眼下にみた、外秩父の山々を望み、稲刈りをしている風景がとても美しいと思えた。

この半年、何が変わったのだろうか。
一人ひとりの気持ちの変化があるなら、その方向へ国も動いていく…?

帰りは約4時間。疲れました。

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