OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

鋭角

2014年06月30日 | 文化・芸術
柳澤邸での句会。

先頭の目高自在に曲がりけり が高得点句。
真実であることが評価された。

白目高緋目高どちらでもないめだか 小熊が選んだ特選句 だが、だれも他の方は選ばない。
五七七で、単純に俳句的でもない、が、「どちらでもないめだか」の字面もいいじゃないか。

さて、清記したのは私。問題になった漢字があった。

鋭角の「角」を書いた。「角」はフォント通りに、まん中の下の部分がつきでない字を、学校でも教えられている。
字源的にもでてなくていいだろう。
だが、いままで、書き順も違って、まん中の縦画を最後に書いて、つきでる「角」が漢の時代から使われ続けてきている。
そうして私もまたそう書いた。

学校では許容にもなっていないいけない字でも、一般表記にとっては、むしろ、正解にしてもいい字であって、
漢字は、そういう「感じ」でいい場合を多く許容してきたのではないだろうか。

「雹」の下「包」は「己」でなく「巳」だという。
これも字源的には正解だろう。
常用漢字に入ったものは「己」の「包」にして、入らなかったものは「巳」の「包」にした。
しんにゅうの点をひとつかふたつかの問題もそうであるが、半端な解決のままである。
書き文字は、早くなると点画が離れる傾向にある。
そうして漢字は「感じ」て変化していく。

活字やフォントに支配されてはいけないと思うが、難しい問題である。
手で書くという行為からの自然なあり方を探っていきたいものである。
最後に落雷豪雨。
木々もしなったが、「木」のままだった。
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小さな書展

2014年06月26日 | 書道・筆文字
ぞうざん、しょうざん、とどちらも象山は読むとか。
横浜歴博の佐久間象山◎書展の展示は、半紙ばかり百数十点の展示。 小さな書展ながら、手作り感があってあったかい。

その道の公募展は、上手いが、観ていて疲れることもままあることだ。
これでもか、これでもか、と上手さを競い、肩書きを書き変えるために励んでいるようにみえる公募展もある。

こちらは、受賞作品も選外作品も、一応の違いはあるものの、みんな仲間のように思えるのがいい。
なにより、作品が、みんないきいきしている。
大賞は、中一生徒作品。それでも、熟練組の出品者の方も、祝ってくれるだろう。

さて、この展示もいいが、本家の企画展「佐久間象山と横浜」は見ごたえあり。
書道的にも面白かったのだが、長崎の小曾根乾堂と縁があったらしく、乾堂刻の印も多く展示してあった。
乾堂は篆刻家だけではなく、実業家として名を成していたが、先の大河ドラマ「龍馬伝」あたりでも出てきたほどの人とは知らなかった。








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省みる

2014年06月24日 | ニュース・講座
時代に流されそうになる。いや、すでに流されているのだろう。

そんなとき、私はかけがえのない人との出会いを通し、ブレ幅を戻そうとする。


土屋さんの作陶の姿勢もそうである。

明日25日から7月1日まで、西武池袋本店6階の西武アート・フォーラムで37回目の土屋典康 作陶展である。




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ボサノバ

2014年06月20日 | 文化・芸術
西武秩父の駅を降りる。
ロータリーには、タクシーが並ぶが、どこか牧歌的でのんびりしている。
ちょいと走れば、熊出没注意などの看板があるところである。
そういうなかに、助手席にギターを載せてるタクシードライバーがいる。

経歴はよく知らない。
ただ、最近、その男を発見してしまったギタリストから音楽プロデューサーへ、となって、都内のライブハウスにもそのタクシードライバーは出没するようになった。

そして、


Ja-Bossa   ジャ・ボッサ はタイトル。

Taxi Saudade  タクシー・サウダージ は名前。

CD発売である。

ボサノバである。
タクシー・サウダージさんのオリジナル曲もあれば、有名な曲のオリジナル訳もあって、日本語のボサノバである。


あのこは紅いバラの花 あのこは広い湖

   あのこは深い神秘の森

あのこは あのこは あのこは夜霧に

   ぬれた~まるい月


              「あのこはあのこは」より

還暦すぎて、いい人生かな。







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はなまる

2014年06月08日 | こども書道
平がなの勉強の2回目、今回は参考に漢字も書いておいたら、よりによって、「麒麟」が書きたいという。
そういう姿勢が頼もしい。

朱で、「ビール」と書いてもいいか?
ときいたら、はなまるがいいと。

そりゃ、そうか。


想像上の動物「麒麟」と、鄭和によって永楽帝に献上された首長の動物は、現地の発音が似ていたため、麒麟、になったとか。
今、中国では、キリンは長頸鹿。

補足しておくと、その子は小5の男の子で、ちゃんと、自分に与えられた課題をこなしたあとに、この作品を書いた。
こういうのを、麒麟児の片鱗があるといってもいいかな。
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マドレーヌ

2014年06月05日 | 日記
松村桂月という画家は明治の人らしく書もシャープで上手い。漢詩も得意な時代であるので、解読にこっちが苦労する。
ただ、すぐ読みこなせないから、発見も多い。

丹青  赤と青の顔料、とはわかっても、丹冊青史の略で、歴史の書物のことをいったり、疑う余地のないことをいうたとえの意味もあるという。

詩のなかの一節、

丹青は作意を嫌う、とは何か…。

作意と作為も気になる言葉である。

純粋に物事と対峙することは難しい。

一生をどう生きたらいいか、ひとつの答えを導き出したようにして、先週、千葉さんは逝ってしまった。
88歳というと、それなりとおもうかもしれないが、知っている人にとってみたら、信じられないことだった。

驚異ともいえる肉体を持っていたがゆえ、ちょっとした油断が命取りになったが、それでも、「ま、しょうがない」とさっぱり、割りきるだろう。

みんなもよく知る音楽評論家の方が目標にするほどの方だった。
「卒寿あたりには個展でも考えようか。白寿でもいいけど…」なんていうほど、老後はあと10年後あたりからはじまるもんだと思っていた私である。

きれいで品のある方だった。
藤岡保子さんや熊谷恒子さんという皇室の方に教えていた昭和の著名な書家につかれていて、書道再開が、私と縁を持ってしまったのは、なんとも人生は面白い。

書道を教えるなどと考えていなかった私が、初めて教えた方で、そのまま長い年月となった。
段級取得どころか、展覧会もしない。そして、書のさまざまを、そして、書からさまざまをつなげるという何とも私の気の長いやりかた…。
という中でも、「書いている時が楽しいの…」と。

そうして、私を育ててくれたのだと思う。

洗礼名は、マリア・マグダレナ。
そこから、フランス語になって、マドレーヌという言葉に変わり、フランスの教会にもマドレーヌを冠した有名な寺院が現れ、そこからさらにお菓子の名前となったようなことを神父さんがおっしゃった。

私の人生の中でいちばん一緒にお茶した方だった。






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