OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

大吉祥

2014年12月30日 | ニュース・講座
2015年、元旦から三日まで、目黒の雅叙園では、和のお正月を感じるMIYABI遊園をほぼ全館使って開催。
昨年、私は、まったく他が観られなかったが、雅叙園来場者は、新年早々、優雅な一時を過ごせそうである。

私の方は、昨年に引き続きまたも元旦、今回は、書のワークショップのみであるが、指南役である。
といいながら、会場が広くなって、そこで大字揮毫もあり。

4階中央近くで、13時半~、15時~の2回、ワンコイン(500円)筆文字体験である。
色紙一枚に、一本の線条に、思いを託していただく。
子どもさんから大人まで、各回20名まで。

何を書いてもいいのである。
来年はひつじ年。「未」も未来であるが、「羊」は「祥」であるので、そのあたりを書いていただくか。
「翔」「美」「善」もみんな羊に関係して、おめでたい、うつくしい。
大吉羊である。










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大疑心

2014年12月29日 | 日記


大疑心を経て大いなる悟りへ。

裏も表もない。
かわすこともあれば、
正々堂々というこだわりもない。

球体?
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花照姫道行

2014年12月25日 | 日記
……
川をワたりて ゆく水の すむや にごるや 品々に
うつりかはるも ならひにて 世ハミな恋の ひとながれ
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東京駅

2014年12月23日 | 日記
東京駅開業100周年記念の限定Suicaが同駅で売り出され、想定外の人気に途中で販売中止、お祝いムードが怒号にも、とのニュースから一転、ほしい方には全員に、とネット販売をするニュースに。
このSuicaの駅舎をモチーフにしたデザインもわるくない。

もし、このSuicaを手に入れたなら、ぜひとも、あの紅い駅舎を復元・保存してほしいと市井の方々が根気よく活動し、守ってくれたことを忘れないでほしいと願う。そうでなかったら、ガラス張りの四角いビルになっていた。
たまたまそんな活動の中心であった方と昨年だったか、別件ながら一日ご縁があった。
まったくきどりがない自然体のおばさまであった。

きょう、黒田さんという方だったか、阪神・淡路大震災から先の大震災まで、被災された孤独な方を中心に、心にしっかり寄り添うという
ボランティアの方法論まで確立した元看護師の方が亡くなったというニュースをみる。

負け組勝ち組、とかではなく、まごころを持って生きること、市井に生きることの美しさなどお二人から感じることである。
うす汚れた上昇志向より、すがすがしい気流である。そういえば、宮城は東松島にも震災後、そこに居て復興にかける野武士みたいな男がいたな。

私が垣間見た英雄たちである。





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満天

2014年12月18日 | 日記
日本も少しずつ少しずつ暗い時代になってきている。
そんな時は星をみよう、とノーテンキではいけないかもしれないが、
サンシャインシティのプラネタリウム「満天」へ先日でかけた。
知人の方から招待券を頂いていて、夕方から子どもと出掛けたのである。

プログラムは3つ。
その一つは、写真家の高砂淳二さんが、美しく、神々しく、と世界を飛び回って撮った写真がウリであった。
カップルも多い中、JUJUさんのエンディングソングが似会う。どうしてくれる親子連れ、である。

さて、先週、小田まゆみさんの個展へ。
昔むかし、私がタイトルを書き、小田さんが表紙絵を飾っていた雑誌があったが、お会いしたのは初めて。
今、ハワイと奈良を拠点に、芸術は絵を描くことだけではなく、生き方へ反映し、農園や食育などの実践した活動もしておられる。

そこの個展会場で、先の写真家の高砂さんご夫妻とご縁を得て、たまたまの満天で高砂さんの作品をみた偶然。

自然や自然界の神秘に啓発されてのお二人の仕事は、今の時代、拡げていかなければならない行動であると思う。
地球をもうこれ以上汚してはいけない。
なにができるか、自分。
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2014年12月13日 | 文化・芸術
花筐 狂 (はながたみ くるい) 津村禮次郎さんの仕舞
鵺 (ぬえ) 中所宜夫さんの仕舞

そこから拝見できラッキーだった。
その師匠方のあと、一橋大で能楽を学ぶ一橋観世会のくにたち学生能楽会のトリは、能「巴」。

ある夏の一夜、中所さんの能に対するストイックな姿勢に触れるべく、お互いの稽古場所が近く、日も合ったので、知る人ぞ知る個人能楽堂にて、3人の学生を厳しく指導する中所さんの姿に触れる。

稽古終了後、学生を交えて帰り道のイタリア料理店へ。
そのことは、以前にここで触れた。
そのおしとやかな4年生が、シテ。舞うほどにオモテが表情を持ち、衣装も身体と一体化していく。
2年生の女の子は小鼓。現代的な子だと思っていたが、いい表情をして鼓を打っていた。
2年生の男の子は地謡。最後にはける時に足がしびれてこけた。
でも、こういうのが、学生能楽の華でもあるとおもった。

頑張って頑張って我慢しての結果である。美しいと思ったのである。
このところ、サークルの人数が減っているという。
もったいない。
津村師、中所師が指導してくれる贅沢。
能を学ぶことは、文学や音楽の伝統、歴史、所作や身体など、大事なことがいっぱい詰まっていると思う。
来年、一橋大に入る方、そのご家族の方、関係者のみなさま、サークルは「一橋観世会」へどうぞ。
今日公演拝見し、いまどきの学生を見直し、ちょっとファンになった。いま後援会の一人のつもりでいる。

兼松講堂ははじめて。趣きあってよかった。
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いなかなれどもよ~

2014年12月12日 | 日記
先週は、渋谷区のホールで、木津さんのアルバム「SHIGERI BUSHI」発売記念コンサート。
木津さんはソウル歌手である、とつくづく思った。
圧巻だった。
脇を固めた洋楽、沖縄、津軽三味線の実力者たちも控えめに彼女の応援にまわった。
新良さんも。
演劇畑の小倉が、洋楽が入ると、ソーラン節までかっこよく聴こえる、といっていたが、木津のソウルだからじゃないかな。
選曲は洋楽畑の青柳さん。民謡界でも敬遠がちなソーラン節なのに、ということなのだが、オリジナルはもちろん、昭和歌謡まで、新鮮に聴こえた数々。

今週は、同じく渋谷。こちらは写真のサラヴァ東京でのタクシー・サウダージさんのライブ。
オープニングの八木のぶおさんのハーモニカ、でなく、やはり、ブルース・ハープというにふさわしく聴かせてくれた。
日本語でボサノヴァを歌うタクシー・サウダージさんのその日本梧と音の関係は、詞にあって、いい感性で感服。だれか分析してほしいものである。
バックが7,8人。目はおじさんのタクシー・サウダージさんではなく、素敵なヴィブラフォン奏者の方へ。わたしもおじさんであった。
このライブ、日本語へのこだわり、タクシードライバーのこと、などなど曲間に話してくれればなおよかった。

ライブは、2 nights of CHICHIBU の第一夜。第二夜は、タクシー。サウダージを発見した笹久保伸さん。
面識はない。秩父前衛派、聴きたかったが残念、いつか。
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年賀状

2014年12月04日 | 書道・筆文字
年賀状は、もともと、年始の挨拶に伺うところを、飛脚によって、書状をしたためたものをその代わりにしたところから始まるらしいが、明治になってから西洋を何でも真似した日本は郵便事業に、カードをいれる。はがきの誕生である。江戸時代からある端書という言葉は、郵便使用のカードとして、郵便はがき、と。葉書といういい方は、椿の葉に似た大型のタラヨウという肉厚の常緑樹に字を書いたから、というが、この葉は、釘みたいなもので書けば、その傷となったところが浮き出て分かりやすい。もっとも、平安の昔から梶の葉に七夕には字を書いたなどの類もある。

さて。

年賀状は、もともと年始に書いたから「昨年中は…」と書けた。
戦後、お年玉付き年賀はがきの大ヒットで、郵便局は大忙しに。そして、前もって書いておけば、元旦に届けるサービスを始めた。
すると、12月中に来年を想定し、「昨年中は…」と書くようになった。
それが、私だけでなく相当数、違和感を感じて、その文言は使用頻度が徐々に減っていった、と思ってるがいかが。

さて、さて。

いつの間にか、手書きは激減し、業者に頼むことも減って、今は自分でオリジナル年賀状、というよりは、PC用のかんたん年賀状ソフトを買って、好きなものを取り込んで作成する方も当たり前になった。

そう、そのPC用の年賀ソフトは一時より勢いは無くなったように思えるが、まだまだ店頭に各社競って多く並ぶ。
それも11月、10月と年々早く店頭に並ぶ。
その元版を書いたり描く作家たちは、5月6月あたりに仕事を受けるのが多いかな。

そう、わたしもご縁あって、ある出版社のPC版年賀ソフトの筆文字を書いていた時期が長くありました。
毎年書いていくうちに自分で飽きて、絵を描いたり…、編集部の代わりに新しい企画を考えたり…。

でも、あれは、書に限らないかもしれないのですが、そう、プロの仕事はいらない、と思えること多々。
それっぽければ済む。上手い必要もないのがPC賀状。

そして、そんな煩雑さから解放されて久しい中、久々に、年賀状関連の依頼があった。

さて、さて、さて、である。

聞けばこのPC簡単プリンター処理時代に、シルクスクリーンを使って、丁寧な年賀印刷をしてきたある工房は、年々、先の事情もあってか、仕事が減ってきて、年賀印刷は止めることにしたが、どうしても、という長い付き合いのお客さんがいて、引き受けた、という。
そこにはキンアカのバックに、金泥で干支の筆文字が毎年入っていて、その代表の先代であるお父さんが筆を執っていたという。

以前の見本をみせてもらうと、書家の上手さではないが、気骨のあるいい字である。

ここで私は、そのシルクスクリーン印刷年賀状の依頼人にとって、この時代に敢えて、その工房に依頼する年賀状は、通常の印刷や、家庭のプリンターでは、味気なく、その深みを感じているからであると感じると同時に、その、なんのてらいもなく自然に書かれている干支の筆文字を見続けてきて、そのイメージが年賀の清新な気分を伝えつづけていると思い、その文字の気分は引き継がなければいけない、と筆を執った。

書いていくうちに、ちょっと、しゃれた字にしようとしたり、書体も変えてみたり、してしまうのは、書家のかなしいサガ。

けっきょく、先代の俤のままに書いた字を喜んで選んでもらった。
今回の私の仕事は、個性というより、その思いに付き添う仕事。
そういう仕事ができてよかった、と思う。

選ぶ方に恵まれて、書家冥利。
満足できる小さな小さな仕事だった。
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