OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

初詣案内

2011年12月31日 | 日記
 
写真は千年欅とも龍神木ともいわれる大きな欅である
この秩父今宮神社は八大龍王を祀る。
写真にうつる鳥居の額は「龍」のお姿がともされるが、書的に解釈するなら「雨」かんむりに「龍」といういわば、雨=水の恵みをあたえる龍への想念のなかに感得しえた姿なのではないだろうか。
大欅の中央は朽ちたようだが、銅カネで保護すれば開祖の役小角に見えてきやしないか。

辰年の初詣はここだろう。
この神社の歴史を知るとなお面白いことだろう。
都内からもレッドアローに乗っていく価値はある。

といいつつ私の初詣は吉見観音か。
最近は縁結びでも名高い。
ちょっとそこは私にとってはビミョウであるが、ここでお茶を一服いただくのを楽しみとしている。

それから、書き初めするなら、私の関係する新選組書展に出品してみてください。
素人さん大歓迎のみんなの書展です。
私のHPのニュースにもう少し詳しく書いてあります。のぞいてみてください。

それではみなさま、大変な一年でした。日本人は変わらなくてはならない。
みんなが幸せにならなければ本当の幸せはこない、というようなことをいったのは宮澤賢治でしたっけ。
その通りだと思います。
相手にニコッとした心で対しましょう。

みんなで、よき一年をつくっていきましょう。





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懐紙入れ

2011年12月30日 | 文化・芸術
懐紙をうまくいろいろな場面で使えたらたいしたもんだ。
そういう自信はないが、お茶席ばかりでなく、昔の人のようにメモを渡すときにも懐紙にしようか、などと考えたりもした。

写真の懐紙入れは、ちょっと「龍」っぽくも見える。男性的な柄を選んでくれたのかと思うが、ミャンマーの布裂であるそうだ。
各国の布裂を求め、日本文化の懐紙入れを、一点一点手づくりで仕上げているというコンセプトがいい。
高橋工房は粋である。

この懐紙入れの銘は「ちはら」という。千原であり、広い大地、すなわち、世界中。その布裂を使う、ところからの和語だと解釈していいと思うが、変態がな使用の注文でタイトルを書かせていただいた。
小さな仕事だが、こういう仕事も実にうれしい。
手すきの和紙のしおり中面には木版画のワンポイントまである。
タイトルもフォントで済ますこともできるのに、そこまでのこだわりが高橋さんである。
今のふぬけ日本に活を入れる仕事である。

自分も活を入れられたか。


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竹は竹でも別物

2011年12月29日 | 日記
待ち合わせ時間を間違えて遅刻。
忘年会であったが、忘年ならぬ忘時。

二日前には国立の書のメンバーで立川駅からすぐのマンションの一室で一日一グループというTable of wako での忘年会。気持ちいい場でゆっくり品のいい忘年会となった。

今日は、書の会も持っている青木先生の事務所で武道関係者が集まった顔合わせからスタート。
ここでの青木先生の話は面白すぎて再現できない。
私はここで真剣をはじめて握った。
室町、幕末、現代それぞれの三振り。
それぞれの感触…。
重いという感覚はない。バランスがいい。
さすがに剣術が専門の方はその持ち方や動き、観方が美しかった。

柔らかい動き、突き抜ける突き、グーチョキパー。
竹は竹でも夏の竹と冬の竹では別物。
(私の頭のなかのメモです)

さて、事務所をでてメンバーは半分になって西荻駅前で忘年会である。
輪島功一の魅力がわかるメンバーであった。
筆を後ろから抜き取る故事もでてきたが、
なにより、忍者が学校に来て「精神一倒何事か成らざらん」といったりして今でいう課外授業を受けたことがある方が三人いたのにはびっくり。
60代初、50代、40代、そして九州や埼玉であったりだ。
残念ながら私の小学校には来なかった。
40代の方は、忍者が来ると期待したが、イメージするいでたちでなくフツ―の恰好だったのでがっかりもしたそうであるが、全体的には特殊能力?を発揮し、子どもながらに驚いたそうである。
そんなことも国策であったんだろうが、今こそ学校に忍者がきてほしい。
現実的にいうなら、武道教育がはじまった今、本物の武道を教えられる人を求めたい。

身体の可能性は自分が思っているより素晴らしいようだ。
自分の身体と対話してみよう。
わたくしはちょっとガタがきている。

男6人むさくるしい忘年会であった。
が気のいい時間であった。
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シャレ度

2011年12月26日 | 書道・筆文字
筆文字はシャレを強くする作用がある。
この子のセンスもいい。が、「タッセイのセイはどう書くの?」と来た。
だれかが新聞紙に書いてあげた?のが隣に残る。

目標をたててそれに向かってがむしゃらになった記憶がない。
いつしか目標をたてることもしなくなった。

いつも追っているのは漠然なのかもしれない。
気をつけよう暗い夜道と漠然を。



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ご朱印

2011年12月22日 | 文化・芸術
第五代将軍徳川綱吉のご朱印はユニークである。
他の将軍は丸印ながらありがちな印であるのに、綱吉は写真の通りである。

さすが犬公方か。

朱印状の紙も檀紙。これもお見事。手仕事ながら威厳まである。
手仕事が粗雑を素朴としてウリにしてはいけない。
芸術も魂だの命だのと口先でいって大道芸になってはいけない。
気をつけよう暗い夜道と口先と。
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再会いくつか

2011年12月14日 | 日記
今日は来年の打ち合わせで銀座へ。
「日々」へいくと、7,8年ぶりだろうか、青山でのワークショップを受けてくれた方が、その時していた仕事を今も続けられていて、そこにいてくれた。
顔は忘れていたが、雰囲気だけは覚えていて、そのまんまであって、うれしかった。

そのあと、近くでやっている日本画の伊藤哲さんの個展を拝見。古い裂を作品中において、そこから画面を作っていく作品も伊藤さんならでは。
截金を使い、細かな文様を描き出していく手法は、手の込んだ仕事で、あっぱれ。
版画の作品は、摺り師の方がいらしてたが、その職人を超えた技に敬服した。
伊藤さんとは1年ぶり? 2年ぶり?

最後に、短冊を買いに鳩居堂による。
ギャラリーは誰がやっているかな、と案内をみると、懐かしい名前を発見。
塚本先生である。
1980年か1982年の立川での個展を知人に連れられて観に行ってお話をした記憶がある。
気さくな方だった。
ざっと作品を観た後、向こうも気にしてくれているので、「実はむかし、立川の…」と切り出した。
王羲之研究の論文を多く書かれている先生なので、つかの間、王羲之の話で盛り上がった。

わざわざ買いに行った短冊は、立川に住む俳人のIさんの依頼を仕上げるためであったが、
立川には、いま呂翁さんもいて、2年前ほどに、やはり約30年ぶりでお会いした。
立川には呂翁さんとはじめてお会いした天来記念館での講習会のとき、知り合った菊田さんも居た。
いくつか年上で、とってもかっこいい人だった。

菊田さんはその講習会で講師の一人として来ていた石田先生のところに通うようになった。
私とは、少しづつ遠くなり、菊田さんが立派に書家になったころは縁がなくなっていた。

ある日、飯島書店での帰りがけに、置かれていた展覧会はがきを手に取ると「菊田臥龍遺墨展」のタイトル。
まさか、だった。

もう何年経つだろうか。
その後、話したいことはいっぱいあったのに。

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昇龍、だく龍

2011年12月11日 | 書道・筆文字
月食が美しい、お前も観ろ、と2件携帯メールをもらったが、それを開いたのは今日の電車の中だった。
そして今日は和紙研講演会に行く。
五島美術館の名児耶さんら、それぞれ話は興味深かったが、増田さんの正倉院の文書料紙の調査報告は、光明皇后の楽毅論は、なんと、漉き返しの紙に書かれた可能性が高い、と。
昼は、そこで久々に会った料紙を作る小室くんとその親戚の翠祥堂の4代目とパスタを食べ、小室におごってもらってしまった。
ロビーでは、紙の繊維研究の講演でいつも話に引き込まれた宍倉さん監修の「古典籍古文書料紙事典」が売られていて、宍倉さんに敬意を表し、一冊購入。1万円だが、写真も多く、一冊、書家も持っていたい。

その月食になる前の月夜は、書を教えている4人の女性と見上げていた。
山岡鉄舟の「昇龍」の作品のある料亭二葉で、忠七めしをいただいた。
そこに、その日、二葉楼というBARがオープンだという。
旧館を使い、とってもいい雰囲気だ。
酒に弱いが、今度、ゆっくり寄らせてもらおう。
その昼、その4人にとっての書の先生は、和紙の先生であった。
見事な二三版の紙が漉けたが、紙をねかすことなく(紙は最低三カ月、出来れば二、三年くらいはねかせたいもんだ)、次の講習日に、その紙に
(鉄舟をまねて)「昇龍(龍だけ書いているが、終筆がジグザグに天に伸びている)」を書いて、新年も迎えたいらしい。

その前の日の月夜がまた美しく、満月だった。
フルートを教会のホールで聴いた。演奏者の友達の友達ということで、その打ち上げに顔を出すことになった。
市ヶ谷の会場近くの、これまた演奏者の知人の家での打ち上げであったが、そこは、料理教室もやっているということで、とても、なんでも美味しかった。
コンサートに行く前、知人と砂場で待ち合わせた。学校や幼稚園の砂場ではない。ここも、一品一品美味しかった。
残念なのは、そこのマッチを忘れてきたことだ。毎月、変わるらしい。いきですね。

その昼、横浜の講座日だった。年賀状をテーマに盛り上がったが、来年の干支「龍」を書いて尚盛り上がった。
まだ、横浜では「昇龍」を知らない。私の「だく龍」は最後にみせた。

反省:「龍」はそのまま書いた方がよさそうです!


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菊之丞

2011年12月02日 | 文化・芸術
知り合うと、何事にも関係が生ずる。
困ったものは、観たいものは観れないで、関係ゆえにそこに顔を出すこと。

これはなるだけさけたい。
常日頃、悪い作品や人と会わないようにしなくてはいけない。

今日は著名劇団の案内を無視し、おぐらと高畑の娯楽天国の公演へ。
高畑と知り合ってしまったばっかりに…。

今回のチラシの題字は、気持ち悪い女形の鷲巣だ。今どきの専門家よりサマになっていた。
スカウトしたいもんだ。


さて、どさ回り劇団の座長・菊之丞を演じる高畑は役そのもの。おぐらの演出も毎度面白くてファンも増えているようであるが、もうひとつのキレを期待する。ぶっとい骨格がほしい。

終演後、おぐらが手ぬぐいを舞台から客席に向かって3本プレゼントした。「これを受けとった方は幸せになれる」といって。
私の前に落ちたが、だれも我先に取ろうとせず(おぐらの言葉はだれも信用していない?)、私が幸いにも?手ぬぐいをいただくことになった。

効能は別にして、気にいっている手ぬぐいだ。大事に使わせてもらう。
来年もしかたなしに観に行く予定。
これを読んでいるみなさま、来年は36回公演、高田馬場の一つ先の下落合駅そばで、11月下旬予定。

観劇のあと、ゆっくり食事やお茶をしながら、そのことを語り合う、ような文化は、なかなか日本では根づかない、と、音羽さんとお茶して別れた。
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