OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

熱中

2010年08月31日 | 日記
先日の日曜は、楮畑の「芽かき」ならぬ、枝かき&草刈り。
2時間でばてた。熱中症寸前であった。

今年は、小川の和紙体験学習センターの楮畑はおも土曜日に作業していたので、私は今期の楮畑はほとんど手を出していなかった。
だからか、今期の楮の成長はいい。(肥料のおかげだ)。4メートルほどのものもある。

今年の畑の功労賞のひとりはレイさんだ。都内在住のアメリカ人で、よく畑に足を運んでくれた。毎年遠くから作業にきてくれる方も多く、すごいもんだ。

自分のことばかり、また、お金のことばかり、そんな世界とまるっきり違う生き方がそこにある。

汗かいてダイエットになればいいけど、その分、飲んだり食べたり……。
そんななか、知人はダイエットに成功。
「最近太ったんじゃない」「いやその太り方は異常だ」ということで、病院にいくと腫瘍があったとか。
その重さがなんと6キロ。13日の金曜日に手術。一日にして6キロ減。究極だなー。

さて、先日の日曜、田舎の役員さんから回覧をまわしてと頼まれたチラシが「熱中症に注意!」
今頃かよ! と思うけど、
みなさま、くれぐれもお大事に。

川崎市宮前から、残暑見舞いをいただく。名前がない。あなたですね。ありがとう。
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意識

2010年08月24日 | 書道・筆文字
「あついぞ熊谷Tシャツ」がけっこう売れているらしい。
フォントバージョンじゃなく、筆文字バージョンも何千枚と。このTシャツのTV出演も何十回とあったらしい。
さすが天才の筆による。
天才は筆の表現のなかに、制作側の気持ちはもちろん、着る人の気持ち、そして、着る人の気持ちのいい方への変化を考えて筆をとっている。
といっておこう。こういう意識は、書の純粋な作品とだいぶ違う。

純粋な書作品はいつも書けない。
自分の気持ちとの対話を筆に託す作業は、安易に考えれば楽だが、そこの思索が作家の大事な作業であると考える。
高村光太郎は何者? 
彫刻家である。詩や書や文章などなどあるが、何をおいても彫刻家である。と思えるのもその辺のことを考えるからである。

依頼されたものなら書くしかない。
今日も依頼の一文字を書く。
奏でるの「奏」。

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続報

2010年08月19日 | 日記
誠意ある仕事ぶりの続報。
今日はB1ポスターからB2ポスター、昨日拝見した中吊りまで、みんな届いた(ここまでは、よくある)。そして、新聞のゲラまで届いた。関東版、北海道版までみんな。

自分を省みて、なにかと行動が伴わないこと、反省しきり。
5月の夏じたく展のお礼も数々あり。
礼に厚い人はすぐ行動するもんだ、とわかっていてなかなか。
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誠意ある仕事ぶり

2010年08月18日 | 書道・筆文字
今、関東と関西でそれぞれ魚へんの間違いなく読めない漢字のポスターやなにやらが、最近乗っているスーパーに張り出されている。
関東の魚へん変な漢字は新聞にも10段を使って載った。
そして西武線の中吊りにも使用されたが、制作サイドから、それは見てはいないだろうと、写メールが届く。

この世知辛い世の中で、そういう気遣いがある仕事ぶりがうれしいではないか。

まじめにふざけた今回の仕事、乗ってる仕事はやはり仕事人も乗っている。

筆文字に関していうと、広告関係の仕事はたまにやると楽しい。いつもやっていたら取り返しのつかないことになる。書家を目指す方がいたら、これは大事な忠告です。そして広告は広告のことを理解することがなにより重要。

捜査は踊っても、筆を持つ人は、時流に踊らせれぬように。だからって師匠追随がいいわけではなし。
書の道はたよりない一本の線上を歩むようなもの。右へ左へ落ちないように。どちらに転んでもダメな世界。私も精進します。
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迦陵頻伽

2010年08月16日 | 文化・芸術
河野裕子さんが亡くなったという。享年64歳。
歌人として評価されていることは知っていたが、私もこの人の歌には引き込まれる。
この人を知ったのは、観覧車の一首だった。青春の美しくもはかない一瞬の思い……。

今はネットで、容易くでてくるだろうし、個人的に面識があったわけではないので、 後はほかの方に譲る。合掌。

13日はお囃子の第一人者といっていいのか、寶山佐衞門(たがらさんざえもん)さんの葬儀にはじめてのどかな世田谷線に乗った。
福原流6代目家元、人間国宝。享年88歳。
私のいた高校の先生が篠笛を得意としていたが、この先生も寶先生の孫弟子となる。テレビによく出ている“誰が呼んだか篠笛弁護士”も葬儀で拝見。この方も弟子か孫弟子なのだろう。
お弟子さんたちも多く優秀な方がでているが、いつだったか、国立劇場で、寶先生の高弟4人による「迦陵頻伽(かりょうびんが)」という曲にはびっくりしたことを覚えている。

竜笛4管が音をかぶせ、音が共鳴しあい、この世から異空間へいざなう調べだったことに衝撃を受けた。そうした一連の仕事で評価があったのだだろうが、私もこの世界に興味を持っていたなら、この方を師と仰いだかもしれない。

それは音楽性のことだけではない。
寶先生をはじめて拝見したのは8年ほど前だったか、その端正なたたずまいに、参った。
男の方にはじめて「なんて素敵な方なんだろう」と思ったのだ。

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やさしい時間

2010年08月12日 | 文化・芸術
三越本店で10日まで開催されていた第2回「Nihonga・京」展。
京都を中心に活躍する俊英日本画作家は今回16名の出展。

そんななか、小田賢さんは、じっくり自分と向き合い、感情や感覚を筆にのせる。けっして派手ではない。なにか観る者をアッと言わせる絵でもない。

昨年は浦上玉堂の名作と私には重なって見えたが、名もない特徴もない山の斜面の全景を描いたなかに桜木が一本、主張しすぎないように咲いていた絵。これが印象に残る。
今年は足を運べず、知人から写真を見せてもらった。

そのモチーフは窓辺の花。
私のまた別の知人が送った花をモチーフにしたものだという。
そこには、静かなやさしい時間が流れている。

品格はすぐには学べない。
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