OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

小さな幸せの日々

2016年05月27日 | 日記
                               ここ2週間の間にアイフォンに何枚かの写真を残した。

                               どれもおいしいのだが、ふじの花のてんぷらなど季節をいただく幸せ。




娯楽天国の若手中心のコウエンは盛り上がった。帰りに小さなコウエンを横切る。
紙の原料としては使われないかもしれないけれど、新宿の都心の中に、こうぞの木が育っている幸せ。




東日本橋での書会の時に、柳橋から屋形船をみて、どこか屋形船にゆられているような開放感のある幸せ。




依頼された歌詞を書いて、その場で選んでいただき、その場がゴールデン街で、それから、初対面な方が多かったが気を合わせ、まったりと気を休めながら、ビールと日本酒少々、それに青汁を飲んでいた時の幸せ。



祝10回 日本の夏じたく は、とにかく気持ちいい。
作品を観る幸せ。人と会う幸せ。
そんななか、アトリエkinamiさんのところで、私が書いて加工された扇子を見つけて、緑をバックに写真一枚。ここにある幸せ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の夏じたく 祝10回

2016年05月26日 | 文化・芸術
夏じたく という言葉を定着させてしまった?

横浜三渓園で工芸作家中心のイベント「日本の夏じたく」が10回目を迎える。
今日26日から28日まで。

作り手と買い手のいい関係が気持ちよく感じられるイベントである。

作り手も、一線で活躍しながらも、お互いを敬いながらいい仲間となっている。

季節のいい時に、緑多い三渓園で、気持ちいい人々があつまってくる。そんな感じ。

初夏の風物詩。

私も、ゆったりと、いいモノといい人に会いにいく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルセロナ

2016年05月25日 | 日記
readyfor? というクラウドファンティングの「注目のプロジェクト」に、

世界大会に挑むダンスのエネルギーを九州の被災者へ届けたい! 

がある。


若いダンサーはもちろんのこと、この芸術監督を務める稲吉さんのエネルギーは、尊い。
このエネルギーを応援したい。

心に余裕のある方は、このプロジェクトをみてほしい。

バルセロナでの世界大会であるという。
稲吉さんは連覇を。
私もいつかリベンジを、なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喫茶去

2016年05月17日 | 日記
世田谷にも昔はお茶畑があって、世田谷茶があったとか。
柳澤邸にあるお茶の新芽を摘んで、世田谷茶をつくるイベントに参加、したかったが、抽選で外れる。
写真はイベントが終わって新芽を摘まれたお茶の木である。

秩父の山奥でもお茶畑があってお年寄りが最近まで大事に育てていたという。
原発以後、それをやめたという。
田舎にひっそりと住むお年寄りの楽しみまで原発は奪ってしまった。

報道されないままの原発問題の、端の端の話しなのに、それでもやるせない。

お茶を一服、心から味わうこと。
これ至福の一時。

そこは人として譲れない。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

並ぶ阿呆に、撮る阿呆

2016年05月14日 | 日記
若冲展は、入場まで「180分待ち」と。

わたしは業界紙に今回の若冲案内をかいてたので、観ないわけにはいかない。
初日に伺う予定だったが、急きょの打合せが入って行けず。
混雑必至だと思い、夜も開館の日を狙う。

それでも甘かった。
都美術館前は、長蛇の列。

ラーメンでも何でも、並ぶのはキライな私だが、並んだ。
長蛇の列のその一人になっている自分が、あほに思える。
ニュース記者でもなのに、その列を撮るいまどきのあほもいる。

同じあほなら、やっぱ、並ぶ方かな。

若冲は、絵を描くことがすべてだったような人だ。
名誉も金もまったく縁がなかったのは、ボンボン育ちだったからか。

大典和尚、売茶翁のお二人は、若冲を語る上では欠かせない。

それにしても、やっぱり観てよかった釈迦三尊像三点と動植綵絵三十点。


それにしても、主催者側は、整理券の発行でもなんでも、なんらかの対策を考えてほしいものである。
そしたら、おいしいコーヒーの香りに包まれることもできる。

並んだ方々に、「大入袋」を配るのも、いい!?
絵葉書一枚入っていたら、並んでいる脚の疲れも少し和らぐかも。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闊達、寡黙

2016年05月09日 | 日記
大みそかだったとか、97歳で逝った和紙漉き職人の仏壇にやっと昨日手を合わせてきた。
最近は世界遺産などと騒がれているが、長い和紙産業衰退のなかで、一途に、小川の和紙のためにつくされてきた。
私の和紙漉きの師匠の一人でもあった。
70代後半、その紙漉きする姿は絵になって、その残像を追って、私は紙漉きをしてきた。
久保昌太郎という方は、じつに雄弁に闊達にしていながら、自在に精魂かたむけて紙と生涯かかわったのだ。
おおらかな笑顔が似合う方だった。

今日は富田勲さんの訃報を知る。
10年ほど前、私が関係していた文化組織の公演に足を運んでくれたりしていた。
娘さんが面白い方で、たまたま書を教えたりしていたので、挨拶程度はしたことがあったが、いつも寡黙な印象。

ただ、そこから生み出された音は、われわれの印象に残りつづける。

娘さんも好きだったという「新日本紀行」の郷愁。
ジャングル大帝の雄大さ。
いまでも使われているのか、だれもが聴き覚えのあるNHKの料理番組のオープニングの曲。
晩年になっても、精力的に活動して、新聞によると、最後まで、だったようだ。


生きることにおいて、一生、追えるものがあるのは、美しいとさえ思う。



宇宙。
大きく自由である。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙覺?

2016年05月03日 | 書道・筆文字



3月下旬から日本に来て、もうじき帰るドイツ人の書である。


年の半分を日本に来て、ドイツの歴史を大学で教えていたこともある歴史の先生だが、
日本にいる時は、弓道や書、そして禅に興味を持ったらしい。

三年前に来日したとき以来の、私との書縁である。

今回、金沢を旅し、鈴木大拙の書「妙〇」に出会ったらしい。
禅を世界的に広めた鈴木大拙の書は、やはり何かを感じさせたらしい。
〇が思いだせないという。それを書きたいと。


私が思いついた二字で「妙〇」禅的な言葉は、「妙覺」。

どうも、違うらしかったが、「妙」が禅語としては、えもいわれぬ境地の言葉としてあり、書くのも書きやすいと思い、「妙」をすすめるが、何か違うらしい。

そして「覺」も禅的なので、「覺」を。

だが、複雑。
動きある行草で書きたいとなって、草書形が今の楷書の形となった「覚」にする。


次の画へつながるんだ!

頭では解っているんだ。

ゆっくりでいいんだ!

頭では解っているんだ。

そんな問答の末、できた二つの「覺」。


書的にはこっち、でも禅的にはこっち。
と、そのドイツ人の眼は確かだとおもった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする