OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

FBのおせっかい

2015年12月31日 | 日記

大亀ガウディの海

絵本には違いないが、なかなかのボリュームである。
夏にいただきながら、この暮れに読んだ。
じっくり読みたかったのである。

どんどん引きこまれた。
14言語に翻訳されているのも納得である。

いま、世界でおこっている様々な事象は、
誰のため、何のため。

この地球に生きて、自然のなかの営みがいかに大切か。
また、日々の日常の愛おしさも憶われる。


FBのおせっかい機能は今もあるのか、友だちが少ない人のためにか、勝手に替わって、友だち申請をしてしまう。
相手も、少しあやしいとおもったらしいが、それを受けてくれた。

こっちも正直に、友だち申請受理をありがとう。でも、実は勝手にFBが動いたことを伝えた。

そんなご縁ながら、某界隈に近い。それは私が明日いく所、というわけで、おじ様同士の出会い系とあいなったのが夏の終わり頃。

ユニークな経歴の方で、アジアを中心にして地道に識字活動をしておられる方であった。

また、原発や最近の政治に強い危機感を持っていらっしゃる。

アジアでの人々との暮らしやふるさと広島でのことなどから、危機感を皮膚感覚で感じているようだ。
右も左もない。人間らしさがほしいだけなのだ。


原発事故が起こったところでの、こどものガンの異常な発生率を、原発事故との因果関係を認めない機関があることは異常。そんな世の中が薄気味悪い。こんなことは、右も左もない。みんなどこを向いて生きるのだ。真っ直ぐ見ればいいだけだろう。






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偲ぶ会

2015年12月28日 | 書道・筆文字
暮れの日曜、上野の精養軒で書道評論で長く書道界にもの申した小野寺啓治先生の偲ぶ会に。

榎倉先生や尾崎先生はじめ、書壇の大御所をはじめ、多くの書家が集まった。
評論家という職業は、生きている時は大事にされるが、集団の長ではないので、亡くなったらさっと引かれることもある。
そういう意味では、榎倉先生や尾崎先生は関西からわざわざおいでになって義理がたい。

美術新聞社の萱原さんが司会をされていたが、小野寺先生とは若い時、アメミヤがあった頃、新聞発行や企画展を開催し、書壇に新風を起こしていた。
40年ほど前か。ほどなくして、私が書に興味をもって、書道の情報が知りたくて、その新聞を創刊号より取り寄せたことを覚えている。

創刊号から若い号は既に在庫なくコピーして全部揃えて送ってくれた。
今回、そのことを萱原さんに伝えると、「たぶん、私がやったのでしょう」と。
40年近く前のお礼を言えた気分であった。

偲ぶ会委員長の石橋鯉城先生の弔辞は心に響いた。
生前、何かと縁があるとは知っていたが、学習院で石橋犀水に教えを受けてからのご縁だったとは。

不手非止メンバーも発起人側であったが、野中先生と浦野先生だけになってしまってのはさびしいものだ。

今日の一番のサプライズは、はじめに配られた追悼記事コピーとともにあった、小野寺先生の「書壇時評」記事である。

最近の書壇の不祥事に対して記事を寄せたのかと思いきや、昭和47年の新美術新聞からのものであり、先生の書道評論のはじめ、とか。

書道隆盛の頃である。以下、要約にもならないが、ななめよむ。


戦後、書の指導者たちが、あまりに情熱的な書の復興政策に、書を芸術の一分野に定着させるための、涙ぐましい努力と、その位置付けを実証するための日展や毎日展といった中央集権的な展覧会の参加や企画であり、展覧会の価値を高めようとの政策は、多くの弟子を引き連れての出品数を増やし、入選を競うことになっていく。

そこには、師風を真似、少しでも完成品にして入選し、それを重ね入賞し、免許をうけとるような特殊な制作態度が出来上がってしまった。


書の増大した人口が今の体制に組み込まれるとき、書の世界は、ますます孤立化して、閉鎖的な集団として、こり固まるだろう。

日展や毎日展に集合するエネルギーを、各グループの成長と内容充実に向ければ、自ずと個性的作品の発表の場は広まるはずだ。

中堅の作家よ、若手の作家よ、決断すべきときである。



ざっと40年前。
若手といわれていた方々が7,80代か。

なにが変わった書道界?


閉鎖的集団はそっぽを向かれて、悪い意味で、書は素人の時代へ突入しているようでもある。

私は、いい意味での、書は素人の時代をめざす。
書は、書家の専売特許じゃないのだから。













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むむむ

2015年12月24日 | 和紙作り

近くにある某自動車メーカーの大きなメタセコイヤ?の樹がクリスマスツリーになってみごと。


こちらは、和紙灯り用に使おうか。
相当前に漉いた紙に、最近、墨をいれた。

すべて「無」とは悟れぬが、無常であること実感の日々。
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ひかり

2015年12月22日 | 和紙作り

あまった原料に墨文字を漉きこんだ一枚をあらためて眺める。




光りを通すと、まったく違った表情をみせる和紙。

いとおしい日本の財産。
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時計の文字盤

2015年12月21日 | 和紙作り
ずっと使っていた漉き込み和紙の文字盤時計をしまう。




その前に使っていた「鸛鵲楼に登る 王子渙」漉き込み和紙時計。



立体折れ折れ時計もでてきました。

ほかにもいっぱい文字盤を作った。20年近く前。
だんだん、時計そのものがつくれないむなしさを感じてやめた。

ひさびさに、家にある三つの和紙時計をみて、和紙のやわらかさにあらためて惹かれました。
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字に自信がもてない、字が汚い、と思っている方必見

2015年12月07日 | ニュース・講座
字に自信が持てない、字が汚い、と思っている方に是非読んでいただきたいのです。

7日間で字が上手くなる。より早い。
1時間後に、自分の字に自信を持って書いている。

インチキくさくなりましたが、今の時代に流されて、被害妄想を持ってはいけない。
それなりに生きているというのであれば、それなりの字が書けている。
一生懸命生きていると思ったら、それを伝えてくれて、応援していてくれている字が傍らにあるのかもしれない。

KO2 「書の身体、書は身体」第7回 「悪筆であるか」 www.ko2.tokyo/

間を空けてしまいましたが、是非、読んでみてください。第1回と最新号は無料です。
現在、武道や健康の話題を中心に、12本の連載があるようです。
なかなか面白い話ばかりで、メルマガ会員になることをお勧めします。
あやしいサイトではありません。日貿出版の運営するサイトです。




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菊之丞故郷へ還る

2015年12月05日 | 文化・芸術
地方を旅する大衆演劇のドサ廻り一座のミステリーシリーズ3本の完結編である。
横浜から池袋へ移動中、昼もあんパンをくわえながら劇場へ滑り込む。

わが愛する劇団娯楽天国である。
開演前の音楽から、今回は演歌である。
主人公の高畑の洋装姿より、浴衣かかげた女座長ぶりが好きである。
座長の小倉のシナリオも凝って笑わせてくれたが、若手の沢井がここのところ、はまってきて、鷲巣や関口らのレギュラー陣と肩を並べるようになってきた。
鋭い目つきも売りになってきた。

気持ちいい劇団のファンは若い人からお年寄りまでいる。
6日まで下落合TACCS1179だが、もうチケットはないかな。

泣かせながら笑わせ、笑わせながら泣かせる劇団、娯楽天国。
座長小倉もえらいもんだ、と思う。


木枯らしや千変万化の人の道

付け句には、

人生あきたら高畑加寿子


マンネリ化した一家に、たまに高畑がいると人生は楽しいだろう。
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