OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

心にこそ刻む

2013年02月25日 | 文化・芸術
小唄。

小唄は知っているが、聴いたことはない。
正確には、小唄とは、なんとなく知っているが、実はよく知らない。
という方が多いのではないだろうか。わたしもその一人だ。

だが、筆のご縁をいただくなかで、その世界を知らないで接するのは、罪にも思っていたのである。

そして今日、日本橋は三越劇場へ。
湯島天神にある小唄顕彰碑に新たに5人の名が刻まれることを記念しての演奏会である。

途中、稽古レベルの年配の男性陣も多かったが、あの粋な世界は、若いと気がつかず、人生少し分かってくると、やりたくなる。やりはじめる時には、ちょっと聴かせるには、きつくなる…。
でも、プロの方は、粋に聴かせる。
三味線だって、小唄の場合、「糸」という。

それにしても、「粋だね~」文化は、日本から消えそうである。今は、それっぽい文化である。


そういうなかで、「S氏に捧ぐ」斎藤芳子・松本淳子展は、原宿の表参道画廊。S氏とは提髪さんだった。提髪さんはその昔、私の個展も来てくれた。当時、業界誌の編集長だったが、その後、退職。小木先生退官記念の個展で、会話したのが最後だった。現代美術好きの人だった。

松本さんの作品は、当時、提髪さんがコメントを遺した作品であったが、作品とともにそのコメントも掲示されていて、あらためてそのコメントを読むと、その的確な表現に、表現者は、いい理解者をなくしたことを思う。

斎藤さんはその昔、同じ釜の飯の類だが、本来書が持っている抽象性に深く突っ込んで、今は岩彩やにかわといった日本画材を使っての表現である。昔からスタイル美人であったが、視野の狭さからくるきつさが持ち味?であったが、表現スタイルは変わっても、体型の方のスタイルは変わらず柔らかくなって、いよよ輝く態勢にある。
そこで面白い書道家にあった。いるもんだね、おなじような方が。また、会いたいメンバーであった。

ついでに昨日は、小川で「スペイン報告会」があった。
昨年11月国際交流基金マドリッド支部の要請で、小川和紙を代表し、スペイン4都市で、和紙の講演&体験を行ってきた新田先生と森田千晶の報告を聞く。新田先生は「歴史の寺子屋」を主宰し、小川和紙の歴史に精通しているが、報告書がよくできていて、それをいただけるだけでも、報告会にでてよかったと思う。
後半は、和紙工房を営む久保晴夫さんと私も加わって、4人でパネルディスカッション形式で和紙の魅力について語る。
短い時間ではあったが、「それっぽい文化の時代、(愚直に取り組むしかなく、コツコツ一枚一枚漉くしかない)和紙と向き合うことは、これからの時代に必要なことだ」といいたかったが、どれほど伝わったか。書も同じ。コツコツ伝えていく、つもりである。
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名刺交換

2013年02月21日 | 文化・芸術
フランス在住で版画を中心とした芸術活動をする知人のヴァビエラさんとコロンビアの彫刻家の2人展が、外苑前のギャラリーで開かれていて、伺った。二人とも、来日はしていない。

作品意欲はますます旺盛、様々な色調で独自のエンボス加工の版画や、絵画作品まで、見ごたえあり。彫刻家も金属や石を使って、2人の抽象性が邪魔にならず、いいコラボになっていた。
しばらく作品をみていたら、事務所からギャラリーの方がでてきて、声をかけてくれた。
ヴァビエラさんの知人であることを名乗ってから、前にもヴァビエラさんの個展にも伺ったなど話しこんでいて、「申し遅れましたが…」と名刺を差し出し、ギャラリー―の方も名刺を差し出してくれて、名刺交換をした。
「あ~」とお互い。

5年ほど前のことか、そこで同じように、同じような話をしていた。その時の方だったのだ。そこには扉を隔てて多くの方がいるようだし、お互い顔は忘れていた。
5年前も柔らかい雰囲気の女性と話したかすかな記憶があっただけ。
その点が線となる。
なんかとても幸せな一瞬。
写真は、私のカメラで彼女が撮ってくれたヴァビエラさんに送る参観証拠写真。

その前は、目黒のギャラリーへ。いつも肩の力が抜けている泉さんをやはり久々に訪ねる。すると、ピン止めしただけの、もっと抜けているような作品「でんこちゃん」に出会う。
このでんこちゃんとなら、ヴァビエラさんたちの2人展を超える、夢のコラボができそうだ。アニータさんの前向きな姿勢も好感。


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絆創膏

2013年02月20日 | 書道・筆文字
19日火曜、夜6時半からの、書のワークショップは、墨磨りが上手くなった、に違いない。

長い方は1時間磨った。
墨磨りは書の基礎ではない、のかもしれない。中国では墨を磨る方がどれほどいるのだろうか? 見かけるのが難しい。日本の教育現場でも、磨る行為は省かれ、書道セットの硯の多くは、プラスチックになってきた。

しかし、磨り方によれば、それは、書の基礎であるばかりでなく、身体活動の基礎力まで身についてしまうかもしれない、心の持ち方次第では参禅にも似る、と確信に近いものを感じている。

さて、担当の方にレジメをメール添付したら、余計なものまで添付してしまい、それごとレジメになって配布された。「回収しますか?」ときかれたが、「そのままで」とした。

表も裏も横も下もみんな自分である。

そして、その日のテーマである8人の「創」ができた。創造の「創」であった。短い時間にたいしたもんである。
そして私はレジメのポカで心に「創(きず)」を負った。
こころに絆創膏を貼って、「創」の原義を体感したのである。

次回は「青」をテーマに、線にこだわってみようと思っている。
4月16日火曜夜6時半~。
大塚・マスミ東京、マスミ道場にて。


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紙一重

2013年02月18日 | 書道・筆文字
文字がたんなる記号でおわることなく、人が書くことで、心が反映されていく。そうしたなかで、ペンより筆が相当な相棒になって、私の表現となる。桃太郎のお話しに似て、筆だけでなく、そこに墨や紙もついてきてくれる。

でも誰がそれを感じ取ってくれるのか。
今日は市内の小中学校のお習字や絵や工作の発表を見た。

お習字は技術が尊ばれるのはいたしかたない。
ただ、それだけで終わってしまっていいのだろうか、とあらためて思う。
技術でいうなら、元気溌剌のみの技術であって、小中レベルでは、多様な技術をも獲得している中国に遠く及ばないし。

感性をどう育てるか、ここが要なのだが、感性だけだと、今時のありがちな、それっぽい、で終わるのだ。

じゃ、修練か。これも、ほどほどでないと、いけないのだろう。
今時じゃなく、今までの書家像も、結局、技術のみみて公募展をかけぬけていくことになってきているのである。

もっと人間的な豊かさを書に表すことはできないのだろうか。
嘘はつけない。
嘘をつくのが苦手なのが書である。
他のジャンルよりよっぽど作品に心持ちがでる。

それが分かる感性は持っていたいのである。
子どもでも、お習字は上手く学ばなければ、一生の損になってしまうかもしれない。

書は、どちらにしろ、紙一重、の芸術であるのだけれど。


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たまに書く人向け

2013年02月13日 | 書道・筆文字
2か月に一回の講座のお知らせです。

1回目は2月19日です。

2月より隔月の第3火曜日、夜6時半から9時まで。

場所 大塚駅下車、マスミ東京

思いを込めて書く&表装講座です。


墨をゆっくり磨る所からはじめます。
上手くなくてもまったく関係ありません。
アドバイスはしますが、半紙のなかに、自分のカタチを見つけていくのです。

最後は、マスミ東京社長の横尾氏による、表装レクチャーです。

現代の書は、ややもすると、表装をないがしろにして、芸術だとかいうことがありますが、書家の怠慢であることも多々。
表装はハーモニーです。裂ひとつで印象は変わります。

非日常の隔月講座、詳しくは、株式会社マスミ東京のHP中、マスミ道場・書を学ぶ会をごらんください。

単発受講も可。




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ここ最近

2013年02月12日 | 日記


純粋な作品作りはなかったこの一カ月。
作品作りは、そういうものでいいと思っている。
書いたのは手本や見本や免状などだが、作品作りと、そう遠くない仕事でもあるのである。
一番違うのは、心の在り様であって、近くて遠いのである。


教えを乞う一日があったり、書ばかりでなく出張して和紙も教える日があったりした。
出張先は横浜歴博。紙漉きだけでなく、原料作りから和紙の講義までで、ここの体験を企画する歴博はすごい。
そのなかで和紙作り歴が一番長い私は、小間使いである。
夜は旧知の学芸員たちとの宴であった。偉くなって移動になった学芸員も仕事を終えてから、そこにわざわざ出向いて来るというのは、うれしいではないか。

歴博の企画展の民具の造形に心動かされたり、若い学芸員から、難解で読めない和歌資料を渡され頭をひねったりして、2日目には日本酒好きの旧知の学芸員とさしで一献。山形、宮城、広島などを訪ねる。広島の亀齢は初。きれがあって美味し。
そういう心持ちの遍歴が作品作りのベースになっていくのだろう。ウイスキーより日本酒の身体である。

うどんは修行後。花はノ―ションで。

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