OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

風神雷神

2015年06月26日 | 文化・芸術
風神



雷神

こだわりのいちごと抹茶クリームのタルトは「風神」、こだわりのあまいバナナと黒豆とチョコのタルトは「雷神」。

10月10日から11月23日まで、カフェコムサ銀座、京カフェコムサで、期間限定販売となる。
とても美味しかったのであるが、試食会にいったわけではない。

その期間限定とは、京都国立博物館で行われる「琳派 京を彩る」という一大美術イベントの期間なのである。
そのご紹介イベントがカフェコムサ銀座で行われたのである。

琳派といえば、光悦、宗達、光琳、抱一と日本の美の様式を作ったスーパースターたちであって、今もその様式は、そこここにみられる。

本阿弥光悦が、家康から京都洛北・鷹峰の地を拝領し、光悦村を営んだのが元和元年1615年。
それから400年。
琳派誕生400年記念の特別展覧会が、琳派発祥の地、京都ではじめて開催される。今回は一博物館の特別企画というよりは、京都中を巻き込んで、そうとうなイベントになりそうである。

「風神雷神図屏風」も俵屋宗達、それを模した尾形光琳、光琳を模した酒井抱一の三点そろい踏み(三点揃うのは中期2週間)。75年ぶり。

光琳の風神雷神図屏風の裏にもともと描かれた抱一の「夏秋草図屏風」(前期、後期2週間)。
この作品は、雷神の雨にうたれる夏草、風神の野分に吹かれなびく秋草と、天と地の、そして光琳の金に対して、抱一の銀を使っての、対比の妙は美しすぎる。

抱一の楓図も85年ぶりに展示されるが、これがまた人気になるだろう。

トリは、やっぱり宗達と光悦の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」か。全期間、全巻、全長13,5メートル初公開!

混むだろうな。でも、行きたいな。

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道の駅庄和の海鮮丼

2015年06月23日 | 日記
いまは春日部の一角となっているような庄和。
その道の駅で海鮮丼の店が低価格で、ベテラン寿司職人をもって提供中とか。
このオーナーこそ、男気あり、いろいろな意味でおもろい男である。
ぜひ一度、遠回りしてでも寄っていただきたい。

オーナーは別のところで社長業をやっているが、これがまったく社長らしくない。
こういう社長が日本に増えれば、人間らしく日本人も働けるのではないか、とよく思うのである。


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A列車で行こう

2015年06月19日 | 文化・芸術
クラリネットっていいな~と思わせる「くにくら」のライブは大久保にて。
「くるみ割り人形2014くにくらリミックス」発売記念ライブである。

くにたちのこども書道になぜ、このオグマがそんなにエネルギーを注いでいるかというと、一に、この国の書道文化が今、著しく疲弊してきているのを正すには子どもからの眼が大切だと思うから。二に、純粋に書に向かう子どもたちと接していると生きてるっていいな、と思えること。三に、ここの子どもたちのお母さんやお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんがなかなか面白いのである。

この保護者の方々の中には、知る限りプロの演奏家もいて、セミプロながら、ジャズオーケストラを率いるトロンボーンお父さんもいる。フランスのオーケストラ?にいたのか詳しくはしらないが、このヴァイオリンのプロは、お菓子作りもプロ級でよくいただく。
そして、今回、人気ウインドオーケストラのシエナ創立時からのクラリネット奏者であるRママからご案内いただく。

今回、くにくら6人、みんなプロだからそこそこは期待していたが、予想以上に上質の空間だった。
スペシャルがつくメンバーの谷口英治さんとスペシャルゲストのギター有田純弘さんのセッションもひきこまれた。
北村英治か谷口英治か、ジャズクラリネットはどちらの英治か、『宮本武蔵』は吉川英治。
Rママはアルトクラリネットもこなしていたが、これもいい音だな、と思った。
プログラム構成も面白く、北村さんの話術は短くてもいいスパイス。
観客も、よく音楽を知っている。そんないい空間にいられて一時の幸福。

書も観る眼のある方が多くいてくれたら、こんなにひどいことにはならないはずなのに。










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木簡

2015年06月12日 | 書道・筆文字

筆法や形に捉われず、率直に書くと、自然に全力的になります。
これを乱暴書きのように思うかも知れないが、自然の姿として見ると、技巧に捉われたものより、強く心を打ち、そして親しみを感じるでしょう。
それは自由な心が、働いているからです。
字を書く最初の心であり、又最後の心でもあるのです。
皆さんも、こういった、筆法にしばられないものを一度習って、自由な心を養ってから、法則を習うとよいのです。

by 上田桑鳩 


木簡についての桑鳩の言葉である。
木簡を習ってもらうのに、考えていたことが最後の一行にあったので、ここに。

写真の方も、いい動き。
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足らなければ

2015年06月07日 | こども書道
和楽器と洋楽器がテーマ。まずは和楽器。彼は「能管」と。

「能」と竹かんむりがつい大きくなって「管」の下部がどうしても小さくなってしまう。

半紙に入れるのはなかなか大変。そこで半紙に上手くいれることを求めるのが、生徒と先生の共通の願い、かもしれぬ。

だが、私は「じゃ、長い紙に書いてみれば」と。


なるほど、最後までのびのび書けてよかったな、とおもったら、こそこそ。


能管の絵まで描いているではないか。

言ってねーよ、であるがなかなか上手い。


能管は竹の内面を外にして再び管にして作る、とか。


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腑に落ちない

2015年06月02日 | 日記
フェイスブックで友だちでないのに友だちといい、招待をうけた気分でないのに招待されていて……わかっているけど、なんか都合がよすぎて素直になれない。

合理的? どうでもいいことを大事にすることも忘れちゃいけないと思う。


イマドキでない。そのとおりである。

知ってた方がいいのか、知らなくてもいいのか、知りたくもないことを面白いとしてみることもあれば、いいかげんにしてくれ、と思うこともあって、どうでもいいことをいいかげんにしてくれ、と思ったりして、何行か前には、その反対のことを言っている私。
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