OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

明日まで

2011年03月30日 | 文化・芸術
今日はポン太さんのイラスト展で銀座に。最終日だった。

そこで写真家の藤原新也さんの書と写真展が開催中と聞いて、永井画廊へまわる。

藤原さんを見るのは30年以上前、渋谷パルコの写真展以来。その時は寺山修司もいたなー、と思いだしたが、いいおじさまになっていたが、文章と写真で、早く脚光を浴びた人だが、最近は一語、または俳句的に短い一文を書につづる。写真も柔らかくなった。被写体が四国八十八か所めぐりだったから尚更だ。
今回のタイトルは「死ぬな、生きろ」。

書の線は強くなくても成立する。
書道家でなくても書で表現する。そこにはさまざまな可能性が存在している。
そんなことを感じた。

オーナーの永井さんいわく「こんなこと(今回の大地震)になったので、明日(31日)まで延長した」と。テーマに関わりを感じていた。

両方の展覧会とも義捐金箱が置かれていて二つにいれたが、ポン太さんは多少のご縁があったサバ缶工場の義捐金とか。工場ごと全部流されてしまったそうだ。

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2011年03月28日 | 文化・芸術
猫好きは、「猫」を愛する。犬好きは、自分の「犬」を愛する。というような違いがあるとか。

この絵も巻紙の筆文字中の絵で、小4の女の子が描いた。
この表情がほっておけない。

昨年のイベントでその場で筆文字「猫」の注文受け、書いた。

今も飾ってくれているかな?
日々生きる上で少しでも必要な「猫」になっているかな?

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2011年03月26日 | 書道・筆文字
ここには「真」がいっぱいあるように思う。
建前や偽善は、遠いところにある。
まずはこういう心持ちでいきたい。
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灯り

2011年03月25日 | 日記
帰宅途中、コンビニの前を通る。
表全面にコンビ二名を輝かせる照明は節電のため消してある。
そのせいで、店の中が逆に明るくみえる。
昔のあったかい家の灯りを思い出した。

家のあるマンション群に入っても、照明は抑えられている。
陽が沈んで空がかろうじて明るさを保っている時で、
マンションの向こう側に、
雲もちぎれて、うすい水色の空がとてもきれいでした。

節電も悪くない。

計画的でない計画停電のなかに生まれた一つの昭和的?ポエジー。

はやく家族や大事な人とあったかい灯りをみんなが囲めますように。
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話し合い

2011年03月21日 | 日記
TV報道の一齣で、被災した方々からのFAX投稿が映し出されていた。
何何が困っている、などのなかに「避難所内でのいさかいを回避するいい方法があったら教えてくれ」というようなものがあった。
大きな視点でみれば被災地の方々の規律の良さには頭が下がる。
ただ、どうしようもないところの小さないざこざはどこでもある。

電車に乗っても、不愉快なこと多々だ。
お互いがいい人でないと、不協和音が起こる。いや、お互いがいい人でも起こるのだろう。

昨日は田舎の自治区総会。
田舎は、一度決まったことは長年、変わらない。長年のしきたりも不要になっても変えない。などなど。
私はそこにいないのに自治区区長を担わされた一年だったが、最後の仕事が総会の議長。

田舎では、話し合い、ということが難しい。
声の大きいもの、長老的な方の発言などが、大勢を決めてしまうことが多い。
近所なので、気まずい関係になりたくない、という思いは理解するが、全体的に、お互いを認め合い、お互いが意見を出し合い、更なる高みを目指す、というのは程遠い。

私は長い間、一言でいうと、生意気、ととられることが多かった。ので、そのまま、生意気に、みんなが日頃ぶつぶつ言っていることを議題にあげた。
理想的展開には程遠いが、声の小さな方たちの代弁が少しはできたかと思う。
それにしても、「話し合い」の訓練は、日本人はもっと必要だろう。

その前は、ある審議会。
議長のはずの最高学府名誉教授が急きょ欠席のため、こちらも私が議長になった。
ただ、10人の審議委員がみんな私よりすべての面で優秀な方たちなので、形ばかりの審議会で終わらず、短い時間の割には深まった議論ができた。
お互いを信頼し、お互いを思いやって、違う意見も、議題を深めるために必要なこととして、話を掘り下げていくことが必要なのだろう。

よく考えると、一番それが出来ていないのは、私の家か。


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今できること

2011年03月17日 | 日記
うちのマンション群は、防災対策本部ができて、いろいろ頑張ってくれている。
地震当日は他の棟で多少の被害があったものの、今は平穏。
だが、計画停電が実施されると、水道まで止まったり、エレベーターも止まり、生活に支障をきたすようだが、
マンション内防災無線ラジオから的確な指示がでて心強い。

そんななか、管理センターに募金箱が置かれたので、よろしく、と上の階の先生から連絡が入った。

まずは無事を祈った。そして、次に私ができる的確な援助の仕方はこれだろう。

今日は宅配便を頼んでしまった。(反省!)
今は物資輸送とガソリン不足で、大変だ、という。遅延も甚だしいという。
今、最低限、必要なことを考えること、もひいては援助なのだと思った。

今週は二つ仕事がキャンセル。
明日は、ある審議会の予定、決行のようだ。










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流星

2011年03月14日 | 日記
地震の日、横浜白楽の書の教室にいた。
帰宅は断念し、主宰者のお宅に一泊。
朝、横浜を後にし、自宅を経由し、日野へ。日野陣屋での江戸文化に親しむ「楽市楽座」に関係していた。

その日は圓窓さんの落語とロシア公演から戻ったばかりの木津茂理と社中の民謡(というと違和感を覚えてしまう茂理。ジャパニーズボイス、だ)
こんな時に、だ。それでも圓窓さんも茂理も、プロはその場に全霊をかける。

茂理は「唄うことしかできませんが……」と被災者の方々に思いを馳せた。
彼女の唄は“まっすぐな心”だ。そして友人でもある大島保克の「流星」も唄った。
大島保克の師匠を悼む唄だとか彼女は言っていたが、被災者のみなさんに届けているように思えた唄だった。
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グル

2011年03月07日 | 日記
昨日は、埼玉伝統工芸会館でのジャーさんの二胡コンサートだった。
狭い会場で身近に見え聴こえるので、ファンの方にとってもたまにはいいだろう。
共演のヤンチン奏者チャンさんも息が合ったのは演奏だけではなくMCも面白かった。

夜は関係者ばかりの感謝ディの一環として、2回目のコンサートもあり、最後の方にジャーさんが日本に来たばかりの頃のことを話し、
私にMCをふったので、20年以上も前のことを思い出しながらジャーさんの今のことを話そうとして、コンサートの格調を下げた。

そして最後は、今回の総元締めの方の還○の日だったので、その方には内緒にしておいて、
アンコールの最後は、いきなり二人の贅沢な伴奏による“ハッピィバースディ~♪”をみんなで歌って祝ったのでした。
いつも太陽みたいな彼女だが、サプライズの笑顔のなかにちょっと涙があった。

それを仕掛けたのは会館職員だが、私も一枚かまされた。そんなグルならいいだろう。

帰り、先にジャーさんなど一行を駅に降ろし、一人で電車に乗って、やっと一息ついた。
昨日は新宿で、昨年11月に逝ってしまった後藤さんのお別れ会の日でもあった。そこに顔を出せなかったのが残念だった。
がらがらの車内で、反射する向いの車窓をぼんやり見やりながら、在りし日の後藤さんのことを思い出しながら帰路についた。
ハンガリーやドイツでの文化芸術交流のグルになるはずだったのに。 
微力ながら意思は継いでいくつもりです。


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自然とともに

2011年03月02日 | 文化・芸術
ハワイに興味なし、だった。昨日まで。

とある喫茶店で一息ついていると、知人がやってきた。

先日主催したハワイの聖地巡礼の旅から帰ってきたという。
そして古くからのフラダンス(今のイメージとはちと違うらしい)の見聞もしたりと、とことんマイナーを楽しんだ旅だったようだ。

もうひとつ、女神修行や自然農法ファームなどやっている画家の小田まゆみさんのところにも行ったが、知人はそのセンスのよさにひかれたという。

昔、ある雑誌のタイトルを私が書き、表紙絵は小田まゆみさんという仕事があった。
面白い絵だった。アメリカで活躍していることはその時知ったが、そう、その頃にはすでに女神を描いていたんだな。そして今はハワイ在住。
知人は彼女の著書も持っていて、見せてもらうと、なかなかいいじゃないか。幸せそうである。景色も食べ物も小田さんも。

別の知人の影響で興味を持った与論、今回のハワイ、行きたくなってきました。らしく自然とともに生きるってことを実感できそうです。
「地上の楽園ハワイ!」みたいなマスメディア的な眼でそのまま見ては何事もいけませんね。

写真はまるっきり関係なく、小5の女の子が書いた「はじめての平安がな」です。これも素直な女神が少し宿ってる感じ。

コメント (2)
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