OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

さくらへの手紙

2021年03月31日 | こども書道

手紙を書こう、と巻紙。

小さい子は身近な方へ書く子が多かった。

大きくなって、高校生。

全国のさくら樹さんへエールを送る。

ポストに投函できない手紙もいいもんだ。

 

最近、投稿少なくなっています。元気で活動はしているのですが、何か投稿モードにはならず。

気になることは多いですが、、、。

ミャンマーの軍部のひどいこと、これだけははずせない。

オリンピックは、、、おどれない。どれだけ理念とかけ離れたところで、おどらされようとしているのか。

知人も聖火ランナーを終えたらしい。オイ、オイと突っ込みたくなる。それでも純粋な選手の活躍は応援する。

コロナ、もう、なにも。

 

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加藤光峰遺墨展

2021年03月04日 | 気になる展覧会

一生をかけて、古代文字に息吹をあたえ、現代芸術としての書を確立していった第一人者だった加藤光峰。

令和元年5月、85歳で亡くなって、コロナ禍で延期になった遺墨展は、本日4日から8日まで、上野の森美術館で。

先生の育ててきた亀甲会展も今回の51回で最後。同時開催。

 

上野の森美術館の1階が、光峰先生の代表作が大作、小品さまざまに並ぶが、あらためて観て、なるほど、さすがだ、とか思いながらみた。

師の桑原翠邦を彷彿とさせる清らかな楷行草作品もあったが、これもなかなか。

 

はじめて光峰先生の作品をみたのは、20歳代、銀座ミタケ画廊。

先生は気鋭の四・五十代の作家だった。

お話しすることもなく、気になる書家の一人だったが、私の初個展に来ていただいてから長いお付き合いとなった。

作品は、ネットでもみられるとか。

そういえば、ネットに加藤光峰「書が芸術と呼ばれる時」と先生についての拙稿もどこかにでていた。もし今もあれば、ご一読を。思ったままを書いた。

 

今日の朝刊に“篠田桃江逝去”の報。107歳。こちらは、美術家だが、出自は書。書が世界を席巻したとき、篠田はなお世界の抽象画家の一人となった。その一世代下の光峰先生も、イギリスを皮切りに、晩年はフォーブスで個展を依頼されたり、世界でも活躍したが、時代は、世界は、書をすこし冷静に眺めている感じ。時代性による気がする。

そろそろ、昭和に生きた、書の芸術性に一生をかけた方々もいなくなってきた。

そう思うと、平成は、書の感性をなくした国民が、素人の勢いを良いとみてしまう時代だったか。

令和は、深くいこう、と私自身は、思う。

つれづれになってしまった。

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