お寺さんぽ Ver.03

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弟・信長への反逆と臣従 (織田信広・後編)

2010年11月07日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日もかの有名な「織田信長」のお兄ちゃん、「織田信広(おだ・のぶひろ)」です。

安祥城(あんじょう・じょう)を攻略し、西三河を支配した「織田信秀」
奪還を目指す「今川義元」の軍勢を第一次「小豆坂合戦」で撃退したものの、第二次「小豆坂合戦」では善戦したものの兵力差によって敗北。
安祥城を守備していた今回の主役「織田信広」も、「太源雪斎」の軍略によって捕縛されてしまうのでした。


捕虜となってしまった信広。
雪斎は織田方へ書状を送り、そちらに確保されていた「松平竹千代(松平元康・徳川家康)」の返還を求めたのでした。
「松平広忠(竹千代の父)」の急死で動揺する三河勢の支配を狙ったのでしょう。
こうして、尾張・笠寺にて人質の交換が行われることとなるのです。

天文二十年(1551)
安祥城を攻略されて西三河を失い、美濃での戦も敗退(※その後「濃姫」を迎えて和睦)、国内でも反乱者が出るなど混乱する情勢の中、父「織田信秀」は流行病によって末森城で死去。
享年四十二。
こうして、織田家は当時十六歳の「織田信長」が継ぐこととなるのです。

皆がよく知る通り、当時の信長は”尾張の大うつけ”として有名でした。
父・信秀の葬儀でも抹香を投げつけるなど粗暴な振舞いであり、国内は大混乱となるのです。
信長にとっては主筋にあたる守護代「織田信友」、松葉・深田の織田氏ほか、弟「信行(信勝)」など親族までもが、彼を侮って反逆しております。

弘治二年(1556)
「織田信広」は、「斎藤道三」を討って美濃を手に入れていた「斎藤義龍」と手を組み、緒将と同じく信長に抵抗。(※なお「長良川合戦」は弘治二年四月のこと)
信秀の有力武将であった信広にとって、この弟はやはり大うつけに映っていたようです。
信長が留守にした清州城を強奪しようと謀ったものの、露見して未遂で終わったみたい。

その後、旗色を鮮明にした信広でしたが、小競り合いはことごとく信長に敵わず降伏。
この反逆は許されています
そう、信長は”ホトトギス”から残酷なイメージ強いですが、いちおう殺すばかりではないんですよ。

これ以後は信長に従い、主要な各合戦にも参加。
特に上洛後には幕府・公家との折衝にて活躍していました。
時には、その名代にもなっています。
天正元年(1573)の十五代将軍「足利義昭」との確執では会合を実現するなど、和平に奔走していました。

一方、上洛後に信長との関係を悪化させた石山本願寺は、元亀元年(1570)に全国の本願寺門徒へ激を飛ばし、信長に対して挙兵を呼び掛けました。
いわゆる石山合戦です。
うち、伊勢長島では十一月に一向一揆が起こり、織田方の長嶋城を攻略。
続いて尾張・小木江城を囲み、城将「織田信興」を自害させています。
体勢を立て直した信長は苦戦しつつも北伊勢を攻略し、勢力を動員して天正二年(1574)には長島一向一揆を鎮圧。
和議を結び、開城に成功するんですが…信長の怒りはおさまっていなかったのです。

城を出た門徒に対し、織田勢は不意打ちを仕掛けたようです。
(※いちおう、一揆側に違反があったらしい)
これに激怒した長島一向一揆は本陣へ突撃をかけ、その際の混乱によって信広は討死してしまうのでした。
信長が男女二万人を焼き殺すという大虐殺をおこなうのは、この後のこと。

なお、信広に男子はおらず、娘は信長から絶大な信頼を集める家老「丹羽長秀」に嫁ぎ、嫡男「丹羽長重」を産んでいます。


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※信長の国内統一戦はドキドキで結構おもしろいと思います。
 どこまで史実なのかよく分かりませんが。



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1 コメント

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ホームページで川越歴史博物館 (大絶賛します)
2010-11-20 16:09:45
大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運営している3F立て博物館です。
武具甲冑関しては古い物で現存数が極めつくない鎌倉時代のウブ星兜鉢・鎌倉末期の筋兜など室町後期の変わ兜・安土桃山期の変り兜や南北朝時代の軍陣鞍鐙・室町末期頃の馬鎧・室町中期木製盾などなど中世~慶長元和期まで室町戦国桃山時代の資料が中心に所蔵され全てウブのまま展示されています 年間定期ごとに展示変えされていますがいまだに20年以上展示ししけれない兜具足腹巻胴丸や刀剣類が展示しけれない物が沢山あるそうです。今わ国立博物館・外国・私立美術館博物館などに貸し出しはしていないそうですが全て写真撮影できます

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2010/11/18(木) 午前 1:35[ 大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運 ]