絵のタイトルは、「ちゃんとできたがな」です。
半信半疑で始めたベランダでの野菜づくりです。
今日のタイトルは、「故郷へ恩返し(Part2)」です。
故郷へ恩返しは、できぬことと半ばあきらめています。
瀬戸内海の島は、今や台風の通り道になった感があります。
降る雨の量も、沖縄と変わりません。地球温暖化のせいでしょうか。
兄は、父の代の土地を受け継ぎ、張り切って三反歩の畑に作物を植えました。
ライバルの多い、比較的簡単に作れる玉ねぎを選択しました。
赤い網のネット一袋で400円/ネットでした。
数々の経費を引いて残ったのは、わずか一万円だったそうです。
今では、作物を作るのは止めて株の売買をしているそうです。
たまに帰って、草刈をするそうです。
これではやっていけない。
作っても無尽蔵に必要とされる作物はないか。
耕作放棄地を借りてでも必要とされる作物はないか。
残っているみかん畑のB級品を金に換える工夫はないか。
沿岸漁業が衰退した。化石燃料を使って、十分な漁獲量が確保されないからである。
温暖な瀬戸内海で、牡蠣の養殖が盛んである。しかし、牡蠣殻の処理に苦慮している。
かつては、海洋汚染の要因ともなった。
草からバイオエネルギーを作る。
海藻からも作る。
バイオエネルギーを草から作る場合の問題点は、
運搬・エネルギー変換に使う化石燃料(電気など)と残渣処理にある。
そのエネルギーは、太陽光発電から採る。海藻からもバイオエネルギーを採る。
残渣処理に海藻(フィルターなど)を使う。
同じく出た海藻残渣を植物残渣及び牡蠣殻(カルシューム)と合わせ飼料にする。
花を植え、観光客を呼び、時期が終わったらエネルギーに変換する。
広島市内まで一時間の通勤時間を売りにし、夜間は静かなベットタウンとする。
人の生活から出る汚染物質も分解しエネルギーに変える。
誰も刈らなくなった木材からセルロースを抽出しエネルギーに変える。
それでも残ったすべての残渣は、安全基準をクリアーした魚の餌とする。
余っている耕作放棄地で、野菜や果樹を作る。
食料自給率を40%から90%に上げる。
食べられないで廃棄するすべての食物残渣をエネルギーに変える。
発生したエネルギーは、島全体の電気(効率が高い地産地消の電気)とする。
安く供給できる電気ですべての家のオール電化を目指す。
バイオエタノールを島の外へ売ることをしない。
すべて、島内で消費する循環型の地域づくりをする。
そのKnow-howをソフトにして売り出す。
重厚長大な産業はいらない、人だけがきてくれればよい。
ソフトは、寒村及び島しょ部の起爆剤になる。
まずは、自立を目指すことである。
クリーンエネルギーの島で作った野菜や果実及び花は、ブランドとなる。
何でも国策として補助金を出すことで、ゆがんだ政治の紛争を呼ぶ。
多くはいらない、あるもので作る「まかない」精神である。
知恵である。問題点の把握である。シミュレーション(机上の勉強)はただである。
小さな実験場は自前でできるかもしれない。
何でも始まりはある。優れた企画に、投資先のない金が集まる。
何かを変えれば、変化に興味をもった人が集まる。
人が集まれば、教育が始まる。さらなる人材が増える。
あとは、その人材に将来を託せばよい。
今日は、ここまでとする。
何かをやろうとする気概が必要だ。
気概を支える体力が求められる。
一人でやることには、限界がある。
しかし、熊野古道を再生するだけの気概があれば、人が往来する道が開ける。
花豆も 茸も稲も 時期を知る
2019年9月9日
<<投稿後>>
故郷に恩返しと模索する。
苦労を知っているがゆえに、怖気づく。
移住が教えてくれた「誰からも期待されない」自由がある。
限られた命である。
残された自由を謳歌したい。
(筆者)
2014年9月28日投稿記事「故郷へ恩返し」では、
「あの荒廃した段々畑の再生プロジェクトです。橋が唯一の交通手段、2000m2以上の平たん地が存在しない島でもできる産業の構築がモチーフです。地震や自然災害は少なく、四季を通じて変動のない気候を生かしたプロジェクトはないものかと考えました。思いついたのは、兵庫三田地区にあるコンピューターのサーバー基地がモデルです。雨が少ないため、太陽光発電には向いている地域です。コンピューターには不可欠の安定した電力を作るのは、あの段々畑です。地震が少ないのがヒントです。通信手段の光ケーブルは、海底ケーブルでも橋を通してもできます。大きなインフラ工事は必要ありません。蜜柑畑に太陽光発電のキットが並ぶ姿は異様でしょうか。パラボラアンテナはいかがでしょう。
人が、頭脳が動くだけであれば高速艇で十分です。国際都市広島であれば、外国人の頭脳を集約できます。温暖な土地は、外国人にも好まれるはずです。周りには、たくさんの島があります。狭いけど太陽光発電のためであれば土地は無尽蔵です。こんな夢を描くことも故郷への恩返しになるのではないかと考えます。」
以上