今日は、この絵です。タイトルは、「金目鯛」です。
いただきましょう。
約10日振りの投稿となりました。
早朝に起きることができない。
書くことができない大きな要因でした。
どこかで時間を作ってと思うものの、気づいたら夜になり飲んでいました。
今日のタイトルは、「進化」です。
女の子とデートする。
過去の武勇伝ばかりを話す男は、飽きられる。
60歳を過ぎて、外国の企業にスカウトされる。
大きな会社の中枢で働いていたのを見込まれて、肩書を与えられて仕事をする。
持っていたスキルを伝えきったところで、解雇される。
一年ももたないのである。パートナー(共同経営者)には、なれない。
職人は、人生の最期まで終わりなき挑戦をする。
仕事を離れた(退職など)者も同じです。
仕事でないこと(妻の手伝いなど)に挑戦する。
過去の武勇伝など、仕事場以外ではなんの価値もない。
価値がないはずであるが、困ったときのポータブルスキル(なんとかする力、コミュニケーション力)
だけは生きるのです。
「進化」は、種を残せる若者の特権ではない。
老人だって、「進化」なしでは生きていけない。
近づく病気や死だって、初めての経験です。
大病を乗り越えてこそ、強くなる。
私は、年齢を理由に挑戦するのを躊躇しています。
子供に米を送った。身の回りの自家栽培野菜も一緒に送った。
自家製ジャムやパンも加えると20品目以上になった。
子供も小さな家族である。少しずつにした。
挑戦の爪痕を見る想いがした。
爺婆が、新たな苗木を植える。桃栗三年、柿八年。
自ら収穫することが無くても、苗木を植える。
ましてや、子どもが収穫することもない。
それでも植える。なぜなら、植えたいから。
私達は、日々「進化」している。
時計の秒針と同じくらい時を刻んでいる。
時には、秒針にぶら下がりたい時もある。
秒、分と時間が一年と同じくらいと混同してしまうこともある。
それでもよい。生きているんだから。
武勇伝を語るほどの時間がない。
次から次に新たなことが始まる。
カフェの来週も予約で埋まった。
寸暇を惜しんで草刈をし、季節の変化にやっとこさ追いついている。
秋が来たら、冬の準備である。
その前に、ちょっぴり楽しい芋煮会もある。
この挑戦こそが、「進化」である。
同級会に出ることがある。
50年の刻は、残酷でさえある。
生きたものと生かされたものは、格段の差がある。
それも過去。
今日そのものが、試される。
そんな風に生きていきたい。
進化とは 親下と書くも 真価かも
2019年9月23日
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