故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵が描けました

2016-04-19 00:43:12 | よもやま話


花を咲かせ続けている方を描きました。
題して、花さかじいさん。



心のゆとりができたら絵を描こうと昨日はブログに書きました。
なんのことはない。描こうと思ったので描けました。

急ではありますが、会っていただけますか。
話が聞きたいと思ったので、善は急げと電話しました。
わかりました。今、作業中なので一時間後に来てくださいとの返事でした。
一時間ある。

実は、似顔絵を描かせてくださいと宣言したおじさんの一人だったのです。
これは描かなければと急いで描きました。
描けるのです。
ただ、描こうとしなかっただけだったんです。

誰もが思います。
時間があったらやろうと、時間を作ってやろうと。
結局やらないのです。
やる気がないというより、ただやらないだけです。

やれば面白い。
いつもこのことに当ります。

立派な二階建ての家を30年前に作りました。
子どもたちがいるうちは良かった。
孫がいっぱいできても安心だ。
きっと喜んでくれる。
ところが、息子は都会の学校に行き大企業に入った。
転勤に継ぐ転勤で、一向に帰る気配はない。
今や、この大きな家はお荷物です。
掃除をするにも一苦労です。
二人で暮らすには、1階だけで十分です。
そんなうちが増えているようです。

息子は、息子で悩んでいます。
都会に憧れて出て来たけれど、毎日2時間かけて通勤です。
家族のために、都会で家を建てました。
田舎の親父は、お袋はどうしているかな。心配です。
たまに帰るとほっとします。育った大きな家で手足を伸ばします。

私が、会社を移る時、良くしてくれた先輩が言いました。
次の会社で勉強させるだけだ。またきっと帰って来ると。
その時は、次の会社で学んだことをこの会社のために生かしてくれるさ。
10年後、次の会社で思わぬリストラに会いました。
本当に元の会社に戻りました。
可愛がってくれた先輩と少しの時間、仕事をすることができました。
気を吐いて頑張りました。

息子が帰って来ないからと、嘆くことはありません。
息子は、今でも故郷を忘れることはありません。

スイスで聞いた話では、息子も娘も違う国で働いています。
自国では、仕事がないからです。とにかく外貨を稼がなければやっていけない。
来る人は、観光目当てのよその国の人です。
スイス人に変わって増えるのは、東欧やトルコの方々です。
親が死んだ時、遠くの国から息子や娘たちが帰って来ます。
ゆうに一ヶ月は、先のことになります。
家族が揃うのは一年先になるかもしれない。

仮に、自分の息子でない若者が仕事を継がして欲しい。と言われたら。
悩みます。技術の伝承の前には折れるしかない。株式会社がそうするように。
自分が死んだ後、地域のため、日本のためにその若者に譲るかもしれない。
譲り方はいろいろあるでしょう。

皆が悩んでいます。
田舎の人も、都会の人も。
それぞれ良いところがあります。
都会では、年収200万円では結婚をするにも一苦労です。
田舎でも、経費を考えたらそんなに楽な暮らしができる金額でもありません。

田舎では、年をとっても意欲がある限り仕事はあります。
家族みんなで働けば、都会の人並みの暮らしはできます。

気晴らしに郊外に出る必要がありません。住んでいるところが郊外ですから。
私は見ました。
移住フェアに来た人は、リタイヤをした人ではなく、バギーカーを押す若者達でした。
スイスで見た800mの絶壁。観光客はまばらでした。
なぜ。日本なら人だかりのはず。スイス人が言いました。
国中が絶壁さ。
樹齢何百年のしだれ桜。見事です。誰も見に来ている風ではありません。

心をひとつにする。
弘前市のように、お城をみんなで一緒に引くのはとっても良いことです。
人それぞれの持てる力で引きます。
ただ言えることは、皆で息を合わせなければなりません。
大事なお城がひっくり返っちゃうからです。まじです。

今日のタイトルは、「絵が描ける」でした。

これとあれ 組みあう前に すれ違い

2016年4月19日

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絵が描けない

2016-04-18 07:01:23 | よもやま話

昨日は、甲冑行列に参加しました。
川越の火縄銃の演武は、迫力がありました。
私も初めて甲冑を着て行列に参加しました。
戦国時代の甲冑は、シンプルでした。
それでも脱いだ後は、重かったんだなと思いました。

この川越火縄銃は、すべてボランティアです。
経費も自分持ちです。驚きでした。
場を与えてくれる。伝統を継承したい。
市長のお礼の言葉を受けてあいさつされた代表は少し感動されていました。
続けることがどんなに困難なことか。

甲冑行列に参加した人の中には、自分で甲冑を作る保存会の方もおられました。
一揃い8万円。最初は補助金が出たそうです。
はまって自分の甲冑を着てお祭りに参加されています。
少しずつ自分のできることをすることが楽しいようでした。

祭りは、実行するひとがいて、見る人がいて成り立ちます。
すべて自分持ち。
遊びと仕事の境がありません。
知らない人と人が、無欲になって一生懸命です。

今日のテーマは、「絵が描けない」です。
題材は、あります。少なくとも二人の似顔絵は描かなければなりません。
約束しましたから。お二方とも街を代表するおじさん、おばさんです。

地域おこしは、楽をしようと思えばそれなりに。
際限のない工程表。こうしたいで出来ている工程表には、迫力と疑問が溢れています。
いつものように、追い込んでいきます。
もう入ってしまったら、あとには引けないのがプロジェクトです。
自分で忙しくする。身体と相談しながら楽しんでいきます。

絵を描くことは、写真ではリアル過ぎて嘘をつけない理由から始めました。
富士山を見てあんなに大きいんだと感じます。時には、波の方が大きくなることもあります。
感動を絵にすることは、自分しだいです。
写真に現像した富士山は、ことのほかちいさい。
気になるほくろが黒い石みたい見えるのと似ています。

絵が描きたい。
心の余裕が欲しいと叫んでいます。
やらなければならないことが多いと思い込んでいます。
この重石がとれたら描けるようになるでしょう。
もう少しです。

固いこと いわずにやって しまおうよ

2016年4月18日

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人それぞれの得意技

2016-04-17 07:17:14 | よもやま話

駅カフェで買ったクッキーを食べながら書いています。
昨日は、生垣の剪定、樋の修繕、畑の耕作をしました。

空き家になると、植物は伸び放題になります。
生垣が道路までせり出し、道を狭くしています。
多少切り過ぎましたが、すっきりしました。

横樋を止める金具が垂れ下がり、樋全体が落ちていました。
雨水を縦樋まで運ぶことができなかった。
縦樋までの距離が長いとも言えますが、なんとか流れるよう水平にすることができました。
樋の水が、軒を濡らさないよう屋根の破風には金具が取り付けてありました。
雨が降るのが楽しみです。雨降りの夜の大工さんは消えてくれるでしょうか。

板鍬で土を起こしました。
身体全体を使って、鍬を土に打ち込みます。
長い地下茎が縦横無尽に這っていました。
1mごとに息を整える。
ゴルフの練習より、間違いなく疲れました。
こころ旅の火野正平さんの「ハーハー」を実感しました。

よって、今朝は実に身体のバランスが良いのです。
一週間、デスクワークに没頭しました。腰をいためる寸前でした。
解消です。

昨晩は、菜の花を植え続けて来た皆さんの仲間に入れて頂きました。
最初は2反(20アール)に菜の花を植えて、孫を喜ばせようとされたとのこと。
二年目が過ぎやめようかなと思ったころ、先生が生徒を連れて菜の花を見に来たそうです。
「菜の花畑のーー」とみんなで、菜の花畑を背景に歌っているのを見て、続けようと思われたそうです。
お寺の住職さんと農業指導員の方が、手伝いましょうと声をかけてくれたそうです。
それから続くこと7年。今では、1町2反まで菜の花畑は広がったそうです。
蜂蜜をとり、油を搾りやっと手伝ってくれている方々にお返しができるまでなったそうです。
菜の花畑に魅せられて、移住された方々にも会いました。

平成の花咲か爺さんの良い話でした。

おぼろ月 川で酒抜き 帰ろかな

2016年4月17日

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偽の徘徊老人

2016-04-16 04:44:40 | よもやま話

重い荷物を背負って、切羽詰まって逃げ回る夢を見ました。
妻の足が重くのしかかっていました。

何々しようか。と妻が提案します。
ああ、これをして欲しいということだなと解るまで時間はかかりませんでした。

越してきて最初にお世話になった和菓子屋さんのご主人が言われました。
この辺では、夫婦で飲みに行くことが多いと。
どちらかが、飲まないことになります。家の場合、私が運転手ですと。
家でも奥さんは飲まれるらしい。
次の焼酎の催促は、コップの底で机を「コンコン」とされるそうです。
どんなに凄い体格をした奥さんかと思いきや、可愛いユーモアのある奥様でした。

越してくる前に住んでいた東京のある町では、防災無線放送でよく徘徊老人の探索のお願いが流れました。
ほとんどの場合、その日の夕方か翌日の朝、無事に発見されたとお礼の放送がありました。
役場の職員も心得たもので、一字一句とぎれとぎれに拡声器で知らせます。
これは、勉強しておかなければと、認知症の勉強に福祉協議会主催の講習に出かけました。
徘徊老人には、正面から話さなければならない。後ろからの声掛けでは、驚いて逃げてしまう。
実演練習もしたりして、帰りに「オレンジリング」(講習を受けた印)をいただきました。

私の場合も、いつか徘徊することになるでしょう。
何度か練習をしたのちに、
好意を寄せる独居老婦人の家になぜかたどり着いたりします。
迷い猫のように、数日お世話になって、発見されるのも良いなどと妄想しています。

そんなことを考えるものですから、
娘に、「お父さん、さっきご飯たべたじゃない」と朝ごはんを抜きにされたりするのです。

名優青島幸雄の演じた「いじわるばあさん」のようになりたいものです。

一方、老人に限らず、人の話を聞こうと思います。
辛い話です。絞り出すように語ってくれました。
思わずもらい泣きです。

街の潤滑剤になれればと思います。

朝もやが煙る畑でもう働いておられます。
循環バスの行く方向を70歳過ぎと思われる婦人にたずねました。
「わたしゃ、乗ったことが無いから知りません」との返事でした。
自分で運転するから必要ないと説明する顔の鼻の穴がふくらんでいました。
この辺の老人と言っても良い方たちは、皆さんお元気です。
偽の徘徊老人などやっていたら、ひっぱたかれることでしょう。

けきょけきょと 藪で鳴く声 習いたて

2016年4月16日

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先延ばしの結果

2016-04-15 02:50:07 | よもやま話

困ったことがあると、そのことは後回しになります。
澱のようなすっきりしないものが、溜まってきます。

私の場合は、仕事を優先し、仕事以外のことをほったらかしにすることが多かった。
専念していることは、毎日なんとかしようとするから片付いていきます。
片付かないことから逃げようとするから、いつまでも解決しません。
なんかの拍子に思い出し、苦いものがこみ上げてきます。
私は、そうして生きてきました。

多くのツケが残ってしまいました。

60歳を過ぎて、このまま死ぬわけにはいかないと観念しました。
ツケの解消には、数年かかりました。
ツケの多くは、家族との関わりのことでした。
時間をかけて、寄り添いました。
どの子も大人です。それなりの扱いとなります。
仕事は、生きられる程度で良いと初めて気づきました。
子どもたちは、自分の足で歩けるようになっていました。
親らしいことをしてきませんでした。

どの子も、新鮮な目で私に向き合ってくれました。
これまで、こんなにゆっくり話したことが無かったと思ったようです。
仕事の時と同じように、それでも片付かないしこりに出会いました。
関心を持つがために、さらに慎重に関係を持つことができました。
多くの時間、家族のことを考えるようになりました。
足りないと感じるようになりました。
後戻りできないことも多くありました。

自然と親離れ、子離れの時となりました。

清算ができた訳ではありません。
本当のツケは解消できてはいません。
子どもたちは少しだけ許してくれたのです。
彼らは、それぞれの道を歩き始めていました。

妻と二人だけの生活になりました。

この数年、「先延ばしの結果」に向き合わざるを得なかった。
新しい生活を始める準備だったと今は思います。

点と線 後も先とて おのれ引く

2016年4月15日

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