花を咲かせ続けている方を描きました。
題して、花さかじいさん。
心のゆとりができたら絵を描こうと昨日はブログに書きました。
なんのことはない。描こうと思ったので描けました。
急ではありますが、会っていただけますか。
話が聞きたいと思ったので、善は急げと電話しました。
わかりました。今、作業中なので一時間後に来てくださいとの返事でした。
一時間ある。
実は、似顔絵を描かせてくださいと宣言したおじさんの一人だったのです。
これは描かなければと急いで描きました。
描けるのです。
ただ、描こうとしなかっただけだったんです。
誰もが思います。
時間があったらやろうと、時間を作ってやろうと。
結局やらないのです。
やる気がないというより、ただやらないだけです。
やれば面白い。
いつもこのことに当ります。
立派な二階建ての家を30年前に作りました。
子どもたちがいるうちは良かった。
孫がいっぱいできても安心だ。
きっと喜んでくれる。
ところが、息子は都会の学校に行き大企業に入った。
転勤に継ぐ転勤で、一向に帰る気配はない。
今や、この大きな家はお荷物です。
掃除をするにも一苦労です。
二人で暮らすには、1階だけで十分です。
そんなうちが増えているようです。
息子は、息子で悩んでいます。
都会に憧れて出て来たけれど、毎日2時間かけて通勤です。
家族のために、都会で家を建てました。
田舎の親父は、お袋はどうしているかな。心配です。
たまに帰るとほっとします。育った大きな家で手足を伸ばします。
私が、会社を移る時、良くしてくれた先輩が言いました。
次の会社で勉強させるだけだ。またきっと帰って来ると。
その時は、次の会社で学んだことをこの会社のために生かしてくれるさ。
10年後、次の会社で思わぬリストラに会いました。
本当に元の会社に戻りました。
可愛がってくれた先輩と少しの時間、仕事をすることができました。
気を吐いて頑張りました。
息子が帰って来ないからと、嘆くことはありません。
息子は、今でも故郷を忘れることはありません。
スイスで聞いた話では、息子も娘も違う国で働いています。
自国では、仕事がないからです。とにかく外貨を稼がなければやっていけない。
来る人は、観光目当てのよその国の人です。
スイス人に変わって増えるのは、東欧やトルコの方々です。
親が死んだ時、遠くの国から息子や娘たちが帰って来ます。
ゆうに一ヶ月は、先のことになります。
家族が揃うのは一年先になるかもしれない。
仮に、自分の息子でない若者が仕事を継がして欲しい。と言われたら。
悩みます。技術の伝承の前には折れるしかない。株式会社がそうするように。
自分が死んだ後、地域のため、日本のためにその若者に譲るかもしれない。
譲り方はいろいろあるでしょう。
皆が悩んでいます。
田舎の人も、都会の人も。
それぞれ良いところがあります。
都会では、年収200万円では結婚をするにも一苦労です。
田舎でも、経費を考えたらそんなに楽な暮らしができる金額でもありません。
田舎では、年をとっても意欲がある限り仕事はあります。
家族みんなで働けば、都会の人並みの暮らしはできます。
気晴らしに郊外に出る必要がありません。住んでいるところが郊外ですから。
私は見ました。
移住フェアに来た人は、リタイヤをした人ではなく、バギーカーを押す若者達でした。
スイスで見た800mの絶壁。観光客はまばらでした。
なぜ。日本なら人だかりのはず。スイス人が言いました。
国中が絶壁さ。
樹齢何百年のしだれ桜。見事です。誰も見に来ている風ではありません。
心をひとつにする。
弘前市のように、お城をみんなで一緒に引くのはとっても良いことです。
人それぞれの持てる力で引きます。
ただ言えることは、皆で息を合わせなければなりません。
大事なお城がひっくり返っちゃうからです。まじです。
今日のタイトルは、「絵が描ける」でした。
これとあれ 組みあう前に すれ違い
2016年4月19日