きょうだいの中で一番下が男の子。
待望の男の子。元気が良いのです。
下から二番目の女の子。ラップにはまっています。
一番上もお姉ちゃん。少し歳がいった分だけ恥ずかしがりが出てきました。
どの子も宝物。
そのはずなんです。
最初の子は、手をかけました。
弟は、男の子。家族みんなの注目の的です。
二番目、生き生きしています。
お姉ちゃんも妹と同じように無邪気にふるまいたい。
でもお姉ちゃんだから。
親の目を盗んで、ちょっと意地悪をしたりして。
親は、どこまでも公平です。
どの子も可愛い。
子どもが親の愛情に気付くのは、ずっと後になってから。
この子達を描いていて、そんなことを思いました。
こんな風景も描いてみました。
タイトルは、「どこにもあるようで、どこにもない」
妻に、そんなにいっぺんに載せないで、小出しに出したらよいのに。と言われます。
十把一絡げ(細かい違いを無視して、多くのものをひとまとめに扱うこと。と広辞苑より)にはできないのです。
この風景だって、ここにしか、この時間でしかないのです。
どう思うかは、個人の感じ方です。
みんな元気に育ってください。
爺さまは、今のこの瞬間を生きています。
鼾がね ふとして止まり 覗き込む
2016年4月26日