故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

余韻

2016-02-25 13:08:03 | よもやま話

夜中に雨が雪に変わりました。温度が0℃近くになりました。
これは、珍しいと絵に描きました。


いつも、描き過ぎてしまいます。
もっと、よくなるんじゃないかと無計画になぞっているからです。
下書きがしっかりしていれば、少しの色をつけるだけで十分それとわかります。
それがなかなかできません。

今日のテーマは「余韻」です。
「音の消えたあとまで残る響き」、「転じて、事が終わったあとも残る風情や味わい」と
広辞苑に出ていました。

かつて、アバのアグネッタのインタビュー番組を見て思ったことがあります。
アグネッタは、私達に感動そのものではなく、「感動する力」をくれているのじゃないかと。
「感動する力」が産まれるからこそ、深いところで印象に残ります。
普通の自分では、そこまで感動しなかったかもしれない。
アグネッタの声が、私に「感動する力」をくれた。
余韻は、作法としてとても大切にされてきました。
剣道の残心(激突した後、敵の反撃に備える心の構え:広辞苑より)は、
倒したかもしれない敵が反撃することを前提にした心の持ち方です。
敵をリスペクトしているからです。準備です。

茶道でも残心は、次のような心得として教えられているようです。
「所作の一つ一つに心を込め、余韻をもって所作に当る」ことを意味します。
一期一会はもてなしの精神ですが、残心は茶の湯の作法として言われています。

絵を描いていて、文章を書いていて思うことがあります。
優れた作品は、見る人や読む人に記憶の情景を思い出させてくれます。
歌もそうです。良い歌を聞いていると、情景を思い浮かべます。
つまり、かきすぎない。
あとは、判断を任せることでしょうか。

教育も同じです。
すべて説明しない。子供に考えるきっかけを与えるだけで良い。
全部、答えも解釈も伝えないようにします。

本当に優しい人は、静かに話を聞く人です。
親もそうあって欲しい。そうなりたいと若い時に考えていればよかった。

上手い噺家は、間のとり方が抜群に上手です。
聞き手に、理解する絶妙の間を与えてくれます。

余韻について、話を進めてきました。
今日は種明かしをします。
どうして、余韻について書こうとしたかについてです。

私はいつも過ぎてしまいます。
頃合い(適当な程度)が下手です。
料理も出汁を入れすぎます。
酒も飲み過ぎます。
絵も描きすぎます。
ギャンブルも欲張りです。

仏教は、茶の湯にありと言われます。
普段が大事ということです。
小さき幸せこそ大切です。

自分が未熟と思えることは、毎日のことです。
例えは、切りがないほどあります。

余韻を楽しめない男です。
余韻を作れないと言っても良いかもしれません。

余韻とな 空飛ぶとんび 教えてよ

2016年2月25日

2015年6月5日投稿記事「感動する力」を参照ください。
アグネッタについて書いています。


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