3月から腰痛が徐々にひどくなり、5月には会社に歩いて行けなくなりました。ブロック注射を打っても、翌日には痛みが再発しました。
CTスキャンの結果、椎間板ヘルニアと診断されました。脊髄の神経が多く通っている間隙が、一部極端に狭くなっていました。
1月の休養で回復しましたが、右足の全指の感覚は戻りませんでした。
以降、満足に右足指のつま先を上げることができなくなりました。スリッパなどのつま先に余裕がある履物だとつま先が上がらないため躓くようになりました。右足を高く上げる不格好な歩き方になってしまいました。
妻がヨガの本を買ってきて、瞑想を繰り返しています。私にも片足ずつ挙げてバランスを取る訓練をするように勧めます。右足だけでなく左足でもバランスが取れません。練習するうちに少し慣れてきてバランスが取れるようになりました。さらに進化させて、つま先で身体を持ち上げ乍ら歩く訓練をすることにしました。バランスを取りながら、交互につま先で身体を持ち上げて歩くようにしました。右足裏全体で体重を受けるのは久しぶりです。右足指5本の感覚は戻りません。しかし固まっていた足首の可動域が広がる感じで、背筋も伸びるようになりました。身体が傾かずに歩けます。しばらくこの訓練を続けましょう。なんか効果がありそうです。
2014年9月14日
プロジェクトも終盤です。
使う側でプロジェクトを実行しました。
今まで、数々ののプロジェクトに関わってきました。
残念ながら初体験でした。
工事といえば、残業もし、休日出勤するのが常識でした。
会社の中で、主にプロジェクトに関わったのは2人です。
数人の仲間の協力を得て、いつも通り休むことができました。
プロジェクトは長丁場です。休むことでモチベーションを維持できました。
作る側の姿勢は、より良いもの使いやすいものを提案して作ることだと信じていました。独善的になりがちだと思い知らされました。プロジェクトに携わった関係者の能力と請けた会社が持っている会社の経験に依存することが多いからです。ルールや経験にとらわれず、考える方向が広がれば、例え携わったチームが力不足でも、その都度改善できるものだと実感しました。
プロジェクトを進めていくうちに気づいたことがありました。使う側の準備が遅れていることでした。設備ができても使いこなせない、また使う側の意図がプロジェクトに生かされていないのではないかと感じました。
使う側に、ボトルネック(使う上で、支障が発生)があるのではないかと感じました。そのボトルネックを解消できなければ、「宝の持ち腐れ」だと思いました。製造シミュレーションをし、場内物流のボトルネックをさがし、ソリューションになるヒントを提案し続けました。大いに効果があったと感じます。世界中でいろんな支援プロジェクトがあります。機能しないプロジェクトも多くあるのは、なぜでしょう。支援プロジェクトが、作る側の理由で進んでいるからではないでしょうか。プロジェクトに命が吹きこまれるのは、使う側の準備ができてからではないでしょうか。
今回、確信したことがもう一つあります。
正しいと思うことをやり続けることです。正しいと思うことは、経験や常識的なことではなく、将来を見据えてやらなければならないことが正しいことだと思います。考えたり思ったりではなく、ひたすらやらなければならないと思いました。安全な場所に留まっての批判や評論は、暇な人がやればよいのです。結果がでれば、評価はあとからついてくるのです。ただただ、正しいと思うことをやり続けることです。実行しなければ何も起こらない。しかし、正しいことをやれば理解者は加速度的に増えてきます。
併せて支援者も増えてきます。
会社の枠にとらわれず、そこでの出世なんかどうでも良いことなのです。
見る人がいれば、力を発揮できる場を与えてくれるのです。
プロジェクトの社内説明会でミニプレゼンテーションを試みました。
ミニプレゼンテーションとは、私の自由な発想を短く発表することです。連続する面白くない仕事(生きることすべてかもしれません)に向き合ったときの心構え(モチベーション)を、先人たちがどのように持ち続けたか、無い知恵を絞って伝え続けました。少しずつ波紋(話に興味をもつ)が広がるのを感じられました。プロジェクト同様に苦しかった経験でした。プロジェクトチームは、縁の下の力持ちです。これからも結果を出し続けたいと改めて思いました。まだまだやることがあります。
2014年9月14日
追い立てられるような気持ち悪さが続きました。
気づいたら高い山を夢中で登っており、大変なことをしたんではないかと驚き、一方ほっとした気持ちです。
頂上で味わうほんのつかの間の休憩です。
どのように登ってきたか、振り返る余裕が生まれています。
これからまた、気をつけながら山を下らなければなりません。
頑張らなければと気を引き締めています。
仕事や世事とはこんな気持ちの連続のようです。
心のどこかでゆっくりとしたい、一人になる時間が欲しいと思います。文を書いたり、絵を描いたりできませんでした。孤独感はありません。満足感もないようです。とにかく一回リセットしたいのです。
モチベーションを維持することは大変な努力を必要とします。
一足飛びに、大それたことはできようもありません。
気分が塞いだりします。そんな時は、淡々とできることだけをします。簡単なことからまた始めます。そのうち元気が出てきます。それが平凡な日々の生活です。
「デング熱と草刈り」の記事は、事情があって削除しました。
友人さんから建築家のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。工場の外周は顔です。明日、また草刈りをします。
2014年9月12日
数か月音信不通の先輩と電話で話しができました。
存分の思いを伝えることができました。
話したあと、爽快感が残りました。
話の内容に100%同意された訳ではありません。
しかし、自分の話すことを理解してくれる安心感がありました。
構える必要がないのです。
友人とは、そのような人のことをいうのでしょう。
生活している周りには、合う人も合わない人もいます。
合わないからと言って、逃げる訳にもいきません。
相手の立場を認めて、上手く付き合うしかないのです。
仕事は、好きなことばかりではありません。
美ら海水族館初代館長の内田詮三氏は、水族館の仕事とは、「悪行」と言っておられました。嫌いな仕事をやりこなしてこそ、本物の仕事師になれるのでしょう。私の仕事も道半ばです。
先輩と話して気分爽快でした。
このブログのコメント第一投稿者の「友人」さんからも勇気をいただきました。
捨てる神あれば拾う神あり。青山未だ遠しです。
2014年9月10日
ニュースは暗い話が多いように感じます。
どこかで、争い事があるようです。
どうにも、悪いことばかりが目に付くようで、
自分はおかしいのではないかと思ったりします。
そんなこともあるさと、許せなくなっているのです。
面白さや可笑しさを発見できないのです。
自分の足元を見る努力が足りないようです。
私は、刑務所に入っても希望は捨てない自信がありました。
どうしても人のせいに、世の中のせいにしてしまいがちです。
大きく息を吸って、吐き出してが出来ないようです。
私にできることを、こつこつと休まずにやりましょう。
周りはそんなに変わるものでもないけれど、
自分が少しずつ変われるようならば、見え方も変わるでしょう。
夜中に起きだしても、少し考えたかったのです。
2014年9月9日