
タイトルは、寝そべる女です。
今日のタイトルは、「あなたは休めますか(Part4)」です。
過去3回の投稿記事「あなたは休めますか」では、休んだ方がよいと書いています。
何かをやりたいことがあれば、すぐにでも始めた方がよいとも書いています。
やりたいことや、休みたい動機は、休んでやってみれば、案外深刻な悩みではなかったのです。
休んでみなければわからない。やってみなければわからない。
今日は、「休みたいけど休めない」、「やりたいことがあるけどできない」ことについて書きます。
仕事をしていれば、責任がある職務についたならさらに休めません。
退職したらやりたかったことをやる。
それでもよいかなと考えます。
私は、プロジェクトエンジニアーを40年やりました。
子どもの誕生日祝いにはいつも仕事をしていました。
やりたいことなんて封印していました。
まずは生活、次に仕事でした。
つかの間の安楽(飲む打つ買う)で濁していました。
それしかなかった。できなかった。手っ取り早くうさを晴らした。
そのつけは、推して知るべしです。
そんなの後悔のうちには入らない。
地縁血縁のないこの地に来て、多くのことに気づきました。
ここにたどり着けないで人生を終えていたらと、怖れさえ覚えます。
築きあげたすべてを捨てて、人生の再スタートをこの地で切った。
あれがない、これがないと、この地でも同じことです。
何にもないのがよい。
と言い切れるには、私の生きざまが深く関わっています。
しがみついた、あの感覚がリセットされた。
もう一度、初めからと思えた。
そして、生きてきた線路のあちこちで成してきたことが全て生きる感覚をおぼえた。
なんにもなくてよいじゃない。
こだわっていた何かが崩れていった。
がれきの山を見て呆然とはしなかった。
また勇気が湧いてきた。
なんとかすればよい。
少しずつなんとかなってきた。
「休みたいけど休めない」、「やりたいことがあるけど、できない」と思っていた。
それさえもリセットされた。
「休むことは必要ない」、「やりたいことなんて何にもない」と思う自分がいる。
生きることに真正面から向き合っている。それで十分なのである。
会社で生き抜く、家庭を守るなどという仮の姿とは程遠い。
そして余力があれば、何かをしたいと思っていたこそさえ忘れてしまった。
思い通りに生きている。
しがらみを感じない透明感がある。
目の前のことに没頭できる。
暮らし全般が楽しい。生きることそのものが楽しい。
ないものねだりの人生です。
ないことこそ、フリーダムです。
休みたい、なにかがしたい。
違う自分がいるんだぞと言い訳をしているようなものです。
生きる。
それ以外は考えられない。
ぬくぬくと生きられない。
それでよい。
なんとかしたいとあがくような毎日です。
それでよい。
こうであったらよいな。
と格闘する毎日が素晴らしい。
やれば、目に見えるのが楽しい。
「あなたは休めますか」と問われたならば、
毎日休んでいます。と言い切れる。
恋焦がれ ならぬが日々の 暇乞い
2018年11月17日
<<参考>>
「あなたは休めますか」というタイトルで過去3回書いています。
2017年11月10日投稿記事「あなたは休めますか(Part3)」では、
「ありときりぎりす」の話がありました。
長い間、ありのように努力しなければならないと信じていました。
この頃は、きりぎりすこそ本当の生き方をしていたんじゃないかと思います。
2017年8月30日投稿記事「あなたは休めますか(Part2)」では、
置いていかれると、焦る気持ちが無駄なことです。
誰も心配などしてくれていない。
あなたがいなくても、会社は回ります。
さっさとやりたいことをやることを勧めます。
(中略)
少しの時間でも良い。始めることです。やってみたら、案外つまらないことかもしれない。
何十年も夢を温めることなんてできない。
きっと状況が変わっていますから。
2017年6月21日投稿記事「あなたは休めますか」では、
時として、頑張らない方が良い時があります。
休むことを選択できない事情があります。
せっかく乗った列車から降りられない。
目的地まで時間通りにたどり着けない。
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