故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

恋文

2019-07-18 03:15:51 | 思い出話

ブログのタイトルを決めた時から、この絵にしようと思いました。
いっぱい飛ばしたシャボン玉です。どれかが届け。そんな想いでした。


今日のタイトルは、「恋文」です。
60歳を過ぎた恋文は、生きてきた履歴を相手に送る。
こんな私でもよいですか。
過去に傷のないものはいない。

今日は、若い時の恋文に挑戦します。
もう、書かれなくなった恋文です。
直筆の恋文です。気持ちが伝えきれていないと何度も書きなおしました。
最初は、「なんだろう」と読んでくれたくれたものの、
またこの人からと封もきられないままに、置かれてしまったものも多くあることでしょう。
恋文に何を書くか。
あなたが好きです。では、一行で終わってしまい味気ない。
溢れる想いを文字にするのは、至難の業です。

私は恥ずかしげもなく多くの女性に送りました。
文末に押し花を貼る。
気に入った情景を絵にして送る。
習った英語のポエムを送る。
手を変え、品を変え相手の気を引こうとしました。
すべて轟沈でした。

書き慣れた二十歳を過ぎたころのこと。
三つの手紙が思い出されます。
一つは、現在思い浮かぶ思考を書き連ねました。
二つ目は、感謝の想いを書きました。
三つめは、貴女の好ましいところを書きました。
ちゃんと返事が来ました。

少しだけ恋の気分に浸れました。
嘘は、長続きしないもの。
借りてきた思想や歯が浮くような褒め讃えも、功を奏しなかった。

恋は、志。(朝ドラで聞きました)
恋は瞬時に訪れ、何が引き金になったか表すだけで十分でした。
会っても、顔もまともに見られない初心な頃の話。
言葉で表す方が、正直な気持ちを伝えられるような気がしました。
恋は過程です。ゴールでもなんでもない。

恋には責任がついて回る。
常にこの人を幸せにできるかと自問するようになってから、恋文の内容が変化しました。
つまり、出せなくなった。

会えない時の想いの綴りに変わりました。
それでも良いところだけの抽出で、本性は出ぬものでした。
小説を読み、映画を観、音楽を聴くようになりました。
正直な感情を何かに例えて書くようになりました。
自分の筆力だけでは、到底補えないと自覚しました。

恋は、人間を豊かにする。
どうにもならないジレンマのような気持ちの発露を探るようなものです。
ままならない。これがよいのでした。

今、恋文を書くとしたら、
恋の気持ちを星空に例え、鳥のさえずりのように書けるでしょう。
いわゆる、恋文は賛歌です。
事務的な手紙とは違います。
応援歌とも言えます。あなたは好ましい。そのまま、そしてさらに。
正直に書くことでしょう。今ある力のすべてを使って書き上げます。
それでよい。それ以上のものはありません。
人間の欠点は覆い隠せない。
垣間見える素敵なところを発見するような恋文です。
誰にも好ましいとは言えない。だけど、私には蜜のごとく好ましい。
それでよいのです。

素敵な恋文は、相手の心を温かくする。
もう一歩踏み出そうかなと、後押しをする。
そうです。怖気づくなよ。あなたはこんなに素敵です。
臆面もなく描けるようになりました。
知るまで長くかかりました。
暇乞いも文にできるでしょうか。

シャボン玉 弾けて消えた 恋文と

2019年7月18日
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