故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

夫唱婦随

2016-03-17 13:57:22 | よもやま話


ジャーマンアイリスを描きました。秋田県の山里に咲いていました。
雪深い村では、6月頃に一斉に花が咲き始めるそうです。
畑や家の庭に、多くの花が植えられていました。
空気が澄んでいて、どの花の色も鮮やかでした。



私は、昨日の投稿記事「なんとなく、むしゃくしゃ」で、公平、平等について書きました。
戦後教育を例えとして引用しました。
教育現場で、一生懸命働かられている方を中傷したつもりはありません。

第二次世界大戦で、日本を始め世界中が大打撃を受けました。
悲惨な殺し合いになりました。二度とあってはならないことです。
国民の知る権利が奪われて、一億何とかと国民を戦争に送り出してきました。
時の軍部は、誰も反対ができないようにしました。
哀しいかな、国民同士が検閲をする風潮になりました。
これは、怖いことでした。

戦後も、報道の自由については何度も裁判が行われています。
法律に基づいて、判断が下されました。
法律は、時代にあわせて変化してきました。
時代に合わなければ、法律を変えなければならないでしょう。

怖いのは、様々な意見を封じ込めることです。
時の政府の方向性ひとつで判断が下されます。
間違った判断は、後世につけを回すことになります。
生まれる子供達は、親を選ぶことはできません。

教育現場で、戦後大いに評価されるのは、弱者に陽をあてることが出来たことです。
障害者教育や過疎地での少数教育が実現されてきました。
駅には、エレベーターやエスカレーターが設置されています。

私は、企業で働いて来て、学力はあまり役に立たないと思うようになりました。
学力より、変化に対応可能な人間力を作る教育が必要だと感じています。
企業に入っても、M&Aなどで、本社が次から次に変わって行きます。
シャープは、台湾の会社に吸収されます。
シャープ内で暗黙の了解であった学歴は通用しなくなります。
この考え方も、「学力中心」の教育論に異を唱えることになり、心配しています。
記憶力は、変化に対応できる力を補助する力です。先人の布石を学ぶことです。
しかし、布石通りにいかないのが現実です。
今起きていることがらを教育テーマとして、大学でやったら良いと思います。
日本全体がいずれ過疎になります。過疎の現状を学び解決策を考えることをやっても良いでしょう。

私は評論家ではありません。
常に現場で働いてきました。
これからも現場で力を出したいと願っています。
現場は、常に変化しています。
正しい判断が毎日のように求められます。
OJT(オンジョブトレーニング)で教えられたようにはならないこともあります。

私は、優等生ではありませんでした。
企業に入り、足りない部分を勉強しました。
そこで多くの人に助けられました。
試験に勝ち抜く学力だけでは足りませんでした。
どうして、英語を学ばなければならないのか先生に教えて欲しかった。
勉強することが、自分を助け多くの人を助けることになるのか教えて欲しかった。
自分が有利になる勉強は、一人の力でなんとかなります。
しかし、人を助ける時は一人の力だけではどうにもなりませんでした。

今日のテーマである「夫唱婦随」は、定年後は「婦唱夫随」に変えた方が良いと思い実践しています。
この言葉さえ、今は死語かもしれません。
家庭のことは、奥様のほうがよっぽどよくご存知です。
やりくりだって奥様のほうが上手です。
冷蔵庫にあるもので料理をされます。
味付けだって、決まりごとはありません。
すべて思いやりです。
美味しくなあれです。
私は、毎日学んでいます。
上手になったねと、少しずつ褒められるようになりました。
嬉しいことです。

孫がいう じーじこうしたら かつて子に

2016年3月17日


コメント
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