推定樹齢40年の切り株です。
見たところ、樫かなんかのようです。
樹皮は、コルクによさそうです。
カシワ・カシ・ナラ・クヌギの総称が櫟とのこと。
へえっ。
昭和記念公園で見た唯一の切り株です。
切り株が少ないということは、病気にならないように手入れをよくされているのでしょう。
また、木が大きくなっても互いに邪魔にならないよう、
植樹の時によく考えられているのでしょう。
私は、こんな庭師が好きです。
この公園の日本庭園は、どこからでも池が見えるよう低木と高木の配置が見事です。
私は、世界に誇れる日本のクールだと自負しています。
今日のタイトルが思い浮かびません。
「切り株」とでもしましょう。
切り株にウサギが躓いて気絶したのを漁師がつかまえた。
その漁師は、またその幸運にあずかろうと来る日も来る日も待ち続けたと。
私達は、成功体験をします。
偶然であれ、努力の結果であれ、成功は悦ばしいことです。
悦ばしいことを、それっきり忘れることができれば良いのですが。
そうもいかないようです。
喜怒哀楽は繰り返します。
お家も三代続けばたいしたものです。
大きな木を切るか、残すかの選択を迫られることがあります。
ほとんどの場合、後から伸びて来た若木を残します。
大きな木は、切り株となって、若木の栄養になるようです。
切り株の放射線の割れ目が気になってこの絵を描きました。
切り株となった後に出来たものでしょう。
水けがある時は、きっとふくよかな年輪であったろうと思われます。
どの木も円形ではありません。年輪も等間隔ではありません。
栄養が足りた年もあり、日照り続きだった年もあったのでしょう。
そのままです。
こんな風に私の年輪を傍から見たいと思います。
根元でばっさりと切る。何をして生きて来たのか。
年輪に刻まれています。
切り株に 人生かさね いつか土
2016年3月12日