島の八幡宮です。
神社にお参りします。
はて、この神社は何の神様がいらっしゃるのか考えることもあります。
八幡神社は何の神様でしょう。
調べたところ、農耕神あるいは海の神とされるが、柳田國男は鍛冶の神ではないかと考察している。
と出ていました。住吉神社は、航海の神とされています。
この島の八幡宮は、瀬戸内海で勢力を持っていた赤褌の地侍が祭ったのでしょうか。
私達は、神社に行っていろんなことを頼みます。
その時の気持ちは、「嘘偽りのない心」です。
誰にも聞かれていないようですが、神様にはあるいは天には見透かされているのです。
虫の良いお願いをすることもあるでしょう。
あとは神頼みとなるのもうなづけます。
今日のテーマは、「嘘偽りのない心」です。
正直なところと言って、人々は話し始めます。
ほとんどの場合、その場の雰囲気を考慮しながら話し始めるのです。
その正直な話は、相手と調和するための話のような気がします。
本当の本当の気持ちは、馬鹿野郎かもしれません。
本音を話せる人が、何人いることでしょう。
そんなにはいないのです。
本音を話しても、聞くだけで受け流ししてくれる人のことです。
話す人は、素晴らしい慰めの言葉や励ましの言葉がなくても、すっきりします。
誰しもどうしようもなくなり、落ち込むことがあります。
不安で、自信がなくて恐怖でいっぱいの時のことです。
聞いてもらっている途中で自分なりに「どうしようか」に「こうしてみよう」と
答えを見つけることもあります。
「こうしたら」とアドバイスを受けることもあります。
ちっとも恥ずかしいことではないのです。
若い時のドロドロは、歳をとると笑い話(NHK朝ドラ「まれ」の中で、ふみさんが言われました)
なのです。
話せば、助かることが多いのです。本当は何でもないことなのです。
でも、その時は自分にとって乗り越えられない壁なのです。
プロフェッショナルの方が言われていました。
壁は、人が作るんじゃない、大半は自分が作るものだと。
だから乗り越えられるのだと。
神や天の前のような敬虔な気持ちでなくても良いから、
何でも話しましょう。手っ取り早く妻が最適でしょう。
他の女の人の話は、できませんけどね。
私の「嘘偽りのない心」はついに発見できませんでした。
いまだにドロドロです。
若い時のそれは、笑い話になっても、現在でも次から次に出てくる始末です。
多分、半分くらいの「嘘偽りのない心」で話せるようにはなっているのではないでしょうか。
私は、「嘘偽りのない心」を小説の中の人物に語らせたいのです。
これは、大いにできることです。いつかいや近いうちに頑張ってみましょう。
酔っぱらい 嘘と真を 毒に混ぜ
2015年1月19日
2015年10月2日投稿「コミュニケーション」も参照してください。