故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

小さき幸せ

2016-01-06 16:15:57 | よもやま話
  
八朔の外の皮を剥いて、袋を開いてまさに食べんとする。



苦労しました。
八朔のプチプチ感が出ないのです。
みずみずしい一粒一粒を表現したかったのですが力不足です。

疲れてくると、気持ちがささくれ立ってきます。
病気にかかると、動くたびに痛いところがちくちくするようになります。
やはり、気持ちは塞ぎがちになります。

ブログが書けなくて、思い切って寝ることにしました。
2時間も横になっていたでしょうか。
まだ、回復力があって若いのでしょうか。
回復しました。

故郷から送った八朔が美味しいのです。
少し酸っぱいのですが、甘みもちょうどよく喉の渇きも癒えて、
元気が出て来たようです。
挑戦すること3時間。
一枚目は、なんちゃって絵手紙になったので書き直すことにしました。
今度も満足いかないのですが、
いつも通り、これが実力と載せることにしました。

今日のテーマは「小さき幸せ」です。
彼女と初デートしたときのことを覚えています。
帰りの道で一人になって、スキップしながら帰って来ました。
今思い起こすと、それは「小さな幸せ」でした。
いつまでも続くと良いなと思ったものです。

人間は、欲張りです。
もっと、良いことがあるんじゃないかと次のデートをしました。
デートだけじゃ物足りなくなり、一緒になりました。
月日が経って、責任感も出て頑張るようになりました。
若いと言っても、疲れたものでした。

小さな行き違いで喧嘩をするようになりました。
喧嘩を楽しめば良いのですが、それもできないほど疲れていました。
休めばよいのにと思いながら突き進んだのです。

そのうち、「小さき幸せ」に気づかなくなりました。
ささくれ立ってきたのです。
少しの挫折で、立ち上げれないと思うようになったのです。
何しろ邁進でした。そして多くのものを失ったのです。

私は、「小さき幸せ」を軽んじるようになりました。
出来るはずだと頑張るようになりました。
もっと良いことがあると、とりつかれるようになりました。
「小さき幸せ」のための努力をしなくなったのです。
「大きな幸せ」ばかりを追いかけるようになっていたのです。

この歳になって、「小さき幸せ」こそが、大切なことに気づきました。
「小さき幸せ」の積み重ねが、ゆるぎない心地よさとなることに気づいたのです。
その頃には、つけが一杯溜まっていました。
つけの解消に、多くの年月を費やしました。

今は、「小さき幸せ」を最優先することにしています。
でも、疲れやすくなり続かないのです。
若い頃は、きっと無理を押し通したでしょう。
今は休むことにしています。
明日も同じように動けるか自信がないのです。
休めば、笑顔も出てきます。
そして、いつものように楽しめるようになるのです。

コップに半分水が残っています。
命の水です。
もうこれしかないと思うのか、
まだこれだけあると思うのか。
うまくいかなった時には、「これだけ残っている」と思う方が、
リラックスできるでしょうね。
できるだけそう思うようにしています。
「まだ、これだけある」ことこそ、「小さき幸せ」なのです。

ほどほどに しようの酒が いつか虎

2016年1月6日

コメント
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