春のバラフェスティバルに釣られて、バラが満開の旧古河庭園に行ってきました。
今回訪ねる旧古河庭園は都立庭園を訪ね初めて五つ目で、
都立庭園は全部で九つの庭園があります。
(旧古河邸とバラ)
交通の案内:JR京浜東北「上十条」駅
地下鉄:東京メトロ南北線「西ヶ原」駅下車徒歩7分
JR山手線「駒込」駅下車徒歩12分
開園年月:1956年4月
開園面積:約3万㎡
無料公開日:みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)
休園日:年末年始(12月29日~1月1日)の4日間
庭園ガイド(無料):土、日曜日、祝日
入園料:一般150円(65歳以上70円)、
小学生以下及び都内在住・在学の中学生(無料)
JR京浜東北で「赤羽」駅から「上十条」駅で下車して、
進行方向に向かって右に降りる。
改札口は、線路より1階下にあって、出た所の道路を右に坂を上る。
すぐに、神社か寺院らしき石垣が右手にあり、
石垣に沿って進むと広い道路「本郷通り」に出る。
(本郷通り)
(平塚神社前の信号)
(平塚神社)
(平塚神社の石柱)
右側の石垣の内側は、平塚神社境内である。
平塚神社はとても大きな神社で、時々TVドラマなどに出て来る。
本郷通りの(平塚神社前)の信号を左折すると、
右側に国指定名勝 都立「旧古河庭園」の入口になる。
(旧古河庭園入り口)
東京都の説明によれば、
(この庭園は、面積30.780㎡、
英国風古典様式の本館を中心として、
その前庭を欧風花壇及び池泉回遊式日本庭園よりなっています。
もと古河氏の所有であったが、
昭和30年(1955)東京都の管理するところとなりました。
本館及び前庭欧風花壇は、ジョサイア・コンドル博士の設計によって、
大正6年(1917)竣工したもので、
また心字池を中心とする池泉回遊式日本庭園は、
京都の庭師植治―小川治兵衛の作庭によるもので、
共に和洋の様式が調和したまれに見る設計と言うべく・・・―後略)とある。
(旧古河庭園本館側面)
(ジョサイア・コンドルによる本館正面)
(前庭欧風花壇)
(京都の庭師による池泉回遊式庭園)
大正初期の庭園の原形を留める貴重な存在で、
平成18年(2006)に「旧古河氏庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定された。
入園料を払って、入って来たところに古河邸の車寄せのある玄関があり、
庭園を囲むように、馬車道と言っている道路がつながっていて、
その先に裏門がある。
(本館車寄せのある玄関)
ここは車寄せを東側から見たところであるが、
この玄関の西側の車寄せに続く馬車道が庭園全体を取り囲んでいて、
その先に裏門がある。
見取り図をご覧いただければ、馬車道が日本庭園を取り囲んでいることがよく分かる。
(旧古河庭園の見取り図)
(洋風建物の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル氏で、25歳で来日し、
鹿鳴館やニコライ聖堂の設計、旧岩崎邸洋館の設計者で、
後に東京大学の建築工学の教授になった方で、
日本の建築界の発展に多大な貢献をした。
建物は英国の古典洋式にならって天然スレートぶきレンガ造り、
外壁は真鶴産の赤みを帯びた安山岩で仕上げられており、
雨にぬれると落ち着いた色調を醸し出す。)(東京都)と案内がある。
(玄関)
(古河家の家紋)
(建物床下の通気口にも家紋が)
(通気口の家紋)
古河家の家紋を入れるなど、当時の英国人として、
ジョサイア・コンドルはずいぶん細かいところに気配りしている。
(西側から見た車寄せの玄関口)
(車寄せにつながる馬車道)
(裏門につながる馬車道)
(裏門)
考えてみると、裏門と称するところは本来表門だったように思える。
この門から馬車で長い坂道を進み右折し、
右手に見事な日本庭園を観ながら、
更にもう一度右折して古河邸に入って行くのが、
本来の入り口からの通路のように思えてならない。
わざわざ裏門から長い坂道を上って、
右手に日本庭園を観ながら馬車を格納するなんてことをするのだろうか、
不思議に思えて仕方がないので、思わずガイドさんに、
「裏門と言っているけど、本当は表門だったのでは?」と質問すると、
「表門だったという証拠が残っていないのです」と言う。
裏門から入って、すぐ右手に回遊式池泉庭園の枯滝があったり、
兜門と称する枝折り戸があったりするだろうか?
とても不思議である。
(枯滝)
(兜門)
(兜らしい形をした門の屋根)
(通路から見える日本庭園)
(通路の新緑)
日本庭園は心字池に水をそそぐ滝をあしらった枯滝と、
滝の流れを受け止める州浜があり、
その州浜に立つ雪見灯篭が興趣を添えている。
(枯滝と州浜)
(州浜の雪見灯篭)
(雪見灯篭と白鷲)
日本庭園は京都から呼び寄せた植木職人―植治こと小川治兵衛と言われるが、
京都の平安神宮や無鄰菴(むりんあん)を作庭したことで知られる。
(*)無鄰菴=明治・大正の元老 山県有朋の別荘 名勝 無鄰菴(京都市)
その美しい日本庭園を一周したところにひなびたお茶室があり、
希望者にお抹茶を振る舞っている。英語で言えば(Tea Ceremony)だ。
もちろんお茶は有料であるが、お茶室で静かにお茶を頂いて、
庭をご覧いただくと、茶席に相応しい灯篭が露地に置かれているのが目に入る。
茶人で有名な古田織部作と言われる「織部灯篭」またの名を「キリシタン灯篭」と言われるものである。
日本全国に百数十基しか無いという代物で、
竿の上に火袋が乗れば灯篭、手水鉢が乗ればつくばい、
わび・さびの世界に欠かせない。
どうぞお茶をご堪能あれ。
(茶室)
茶室右脇に見える織部灯篭は、お茶を頂く方が近くで見ることができる。
最後にせっかくの「古河庭園とバラのフェスティバル」であったので、
バラの数々を紹介をして置きたい。
(バラ)
(丹頂)
(アンネフランク)
(アンネフランク2)
(ブルーライト)
(ピアッチェ)
(デザートピース)
(愛子様だったかダイアナだったか)
今回訪ねる旧古河庭園は都立庭園を訪ね初めて五つ目で、
都立庭園は全部で九つの庭園があります。
(旧古河邸とバラ)
交通の案内:JR京浜東北「上十条」駅
地下鉄:東京メトロ南北線「西ヶ原」駅下車徒歩7分
JR山手線「駒込」駅下車徒歩12分
開園年月:1956年4月
開園面積:約3万㎡
無料公開日:みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)
休園日:年末年始(12月29日~1月1日)の4日間
庭園ガイド(無料):土、日曜日、祝日
入園料:一般150円(65歳以上70円)、
小学生以下及び都内在住・在学の中学生(無料)
JR京浜東北で「赤羽」駅から「上十条」駅で下車して、
進行方向に向かって右に降りる。
改札口は、線路より1階下にあって、出た所の道路を右に坂を上る。
すぐに、神社か寺院らしき石垣が右手にあり、
石垣に沿って進むと広い道路「本郷通り」に出る。
(本郷通り)
(平塚神社前の信号)
(平塚神社)
(平塚神社の石柱)
右側の石垣の内側は、平塚神社境内である。
平塚神社はとても大きな神社で、時々TVドラマなどに出て来る。
本郷通りの(平塚神社前)の信号を左折すると、
右側に国指定名勝 都立「旧古河庭園」の入口になる。
(旧古河庭園入り口)
東京都の説明によれば、
(この庭園は、面積30.780㎡、
英国風古典様式の本館を中心として、
その前庭を欧風花壇及び池泉回遊式日本庭園よりなっています。
もと古河氏の所有であったが、
昭和30年(1955)東京都の管理するところとなりました。
本館及び前庭欧風花壇は、ジョサイア・コンドル博士の設計によって、
大正6年(1917)竣工したもので、
また心字池を中心とする池泉回遊式日本庭園は、
京都の庭師植治―小川治兵衛の作庭によるもので、
共に和洋の様式が調和したまれに見る設計と言うべく・・・―後略)とある。
(旧古河庭園本館側面)
(ジョサイア・コンドルによる本館正面)
(前庭欧風花壇)
(京都の庭師による池泉回遊式庭園)
大正初期の庭園の原形を留める貴重な存在で、
平成18年(2006)に「旧古河氏庭園」(文化財指定名称)として国の名勝に指定された。
入園料を払って、入って来たところに古河邸の車寄せのある玄関があり、
庭園を囲むように、馬車道と言っている道路がつながっていて、
その先に裏門がある。
(本館車寄せのある玄関)
ここは車寄せを東側から見たところであるが、
この玄関の西側の車寄せに続く馬車道が庭園全体を取り囲んでいて、
その先に裏門がある。
見取り図をご覧いただければ、馬車道が日本庭園を取り囲んでいることがよく分かる。
(旧古河庭園の見取り図)
(洋風建物の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル氏で、25歳で来日し、
鹿鳴館やニコライ聖堂の設計、旧岩崎邸洋館の設計者で、
後に東京大学の建築工学の教授になった方で、
日本の建築界の発展に多大な貢献をした。
建物は英国の古典洋式にならって天然スレートぶきレンガ造り、
外壁は真鶴産の赤みを帯びた安山岩で仕上げられており、
雨にぬれると落ち着いた色調を醸し出す。)(東京都)と案内がある。
(玄関)
(古河家の家紋)
(建物床下の通気口にも家紋が)
(通気口の家紋)
古河家の家紋を入れるなど、当時の英国人として、
ジョサイア・コンドルはずいぶん細かいところに気配りしている。
(西側から見た車寄せの玄関口)
(車寄せにつながる馬車道)
(裏門につながる馬車道)
(裏門)
考えてみると、裏門と称するところは本来表門だったように思える。
この門から馬車で長い坂道を進み右折し、
右手に見事な日本庭園を観ながら、
更にもう一度右折して古河邸に入って行くのが、
本来の入り口からの通路のように思えてならない。
わざわざ裏門から長い坂道を上って、
右手に日本庭園を観ながら馬車を格納するなんてことをするのだろうか、
不思議に思えて仕方がないので、思わずガイドさんに、
「裏門と言っているけど、本当は表門だったのでは?」と質問すると、
「表門だったという証拠が残っていないのです」と言う。
裏門から入って、すぐ右手に回遊式池泉庭園の枯滝があったり、
兜門と称する枝折り戸があったりするだろうか?
とても不思議である。
(枯滝)
(兜門)
(兜らしい形をした門の屋根)
(通路から見える日本庭園)
(通路の新緑)
日本庭園は心字池に水をそそぐ滝をあしらった枯滝と、
滝の流れを受け止める州浜があり、
その州浜に立つ雪見灯篭が興趣を添えている。
(枯滝と州浜)
(州浜の雪見灯篭)
(雪見灯篭と白鷲)
日本庭園は京都から呼び寄せた植木職人―植治こと小川治兵衛と言われるが、
京都の平安神宮や無鄰菴(むりんあん)を作庭したことで知られる。
(*)無鄰菴=明治・大正の元老 山県有朋の別荘 名勝 無鄰菴(京都市)
その美しい日本庭園を一周したところにひなびたお茶室があり、
希望者にお抹茶を振る舞っている。英語で言えば(Tea Ceremony)だ。
もちろんお茶は有料であるが、お茶室で静かにお茶を頂いて、
庭をご覧いただくと、茶席に相応しい灯篭が露地に置かれているのが目に入る。
茶人で有名な古田織部作と言われる「織部灯篭」またの名を「キリシタン灯篭」と言われるものである。
日本全国に百数十基しか無いという代物で、
竿の上に火袋が乗れば灯篭、手水鉢が乗ればつくばい、
わび・さびの世界に欠かせない。
どうぞお茶をご堪能あれ。
(茶室)
茶室右脇に見える織部灯篭は、お茶を頂く方が近くで見ることができる。
最後にせっかくの「古河庭園とバラのフェスティバル」であったので、
バラの数々を紹介をして置きたい。
(バラ)
(丹頂)
(アンネフランク)
(アンネフランク2)
(ブルーライト)
(ピアッチェ)
(デザートピース)
(愛子様だったかダイアナだったか)
150円の入場料で大丈夫なのでしょうか?
建物も重厚ですね。
建物の入場料は別です。
そのときも、バラが満開だったので強く印象に残っています。
そのときは、東京には、「財閥」という熊本の金持ちとは桁違いの金持ちが居ることを実感したものでした。
パナマ文書に載っている人たち、
堀江貴文さんも
ひょっとしたら載っているのかも・・・