楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

最上川の大石田(芭蕉の道を歩く 77)

2024年06月22日 04時04分33秒 | ひとり歩き旅
「おくのほそ道」を訪ねて、大石田→酒田へ行ってきました。

芭蕉は、
「最上川のらんと、大石田という所に日和を待。
ここに古き俳諧の種こぼれて・・・」
と書いている。

芭蕉は最上川の川下りの船に乗ろうと、
大石田に滞在中、俳諧の指導を頼まれ、
「おくのほそ道」には「わりなき一巻を残しぬ」と書いているが、

曾良の旅日記 俳諧書留には、
「大石田、高野平右衛門亭にて

・五月雨を集めて涼し最上川   翁
・岸にほたるをつなぐ舟杭   一栄
・瓜畑いざよふ空に影待て   ソラ
・里をむかひに桑の細道    川水

を初めとする四吟歌仙を高野一栄亭で
興行されたものである。

現在、高野一栄亭址の裏手には、

・さみだれをあっつめてすずしもがみ川 芭蕉

の句碑があり、
裏手の句碑の先は堤防で、
その堤防の先は最上川を臨む。

そのわずか川上に橋があり、
「大石田河岸船番所跡」がある。

(大石田河岸船番所跡と最上川) 橋の袂から映す。

(最上川にかかる橋)


(橋の袂から高野一栄亭址裏の最上川の下流をみる。)


(堤防下の高野一栄亭址の句碑の標柱)


(「さみだれを」芭蕉真蹟歌仙の碑の案内)

(「さみだれを」の碑)

(句碑を拡大したものの、写真の撮り方が悪く文字は読めない)


最上川にかかる橋を北へ行くと、
乗船寺がある。

大石田で思い起こすのは戦後
ここに疎開してきた歌人の斎藤茂吉。
茂吉は郷里の上山市に疎開して終戦を迎えた後、
大石田に移住し、多くの歌を残した。
住まいを聴禽書屋(ちょうきんしょおく)と名付け、
現在は町立歴史民俗資料館の一部となっている。

大石山乗舩寺には茂吉の墓がある。
「浄土宗 大石山水路院 乗舩寺」という。

(乗舩寺境内案内に見入る旅人)


(乗舩寺本堂)

(境内にある茂吉の歌碑)

歌碑

・最上川逆白波のたつまでに
 ふぶくゆふべとなりにけるかも 茂吉

なお、乗舩寺にある釈迦堂には、
日本では見るのが珍しい釈迦の涅槃像があって、
観光客の見物が多く見学待ちで時間がかかった。

(釈迦堂の案内)


(釈迦堂)


(釈迦の涅槃像)


同じ大石田にある石水山西光寺は時宗の寺で、
最上三十三観音第二十九番札所である。


(仁王門)

(阿形の仁王)


(吽形の仁王)

(本堂)

・さみだれをあつめてすずしもがミ川 芭蕉

(句碑)

脇句の
・岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄



日照りが強くて、汗を流しながらの見学であった。




コメント (6)
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