「おくのほそ道」を訪ねて、大石田→酒田へ行ってきました。
芭蕉は、
「最上川のらんと、大石田という所に日和を待。
ここに古き俳諧の種こぼれて・・・」
と書いている。
芭蕉は最上川の川下りの船に乗ろうと、
大石田に滞在中、俳諧の指導を頼まれ、
「おくのほそ道」には「わりなき一巻を残しぬ」と書いているが、
曾良の旅日記 俳諧書留には、
「大石田、高野平右衛門亭にて
・五月雨を集めて涼し最上川 翁
・岸にほたるをつなぐ舟杭 一栄
・瓜畑いざよふ空に影待て ソラ
・里をむかひに桑の細道 川水」
を初めとする四吟歌仙を高野一栄亭で
興行されたものである。
現在、高野一栄亭址の裏手には、
・さみだれをあっつめてすずしもがみ川 芭蕉
の句碑があり、
裏手の句碑の先は堤防で、
その堤防の先は最上川を臨む。
そのわずか川上に橋があり、
「大石田河岸船番所跡」がある。
(大石田河岸船番所跡と最上川) 橋の袂から映す。
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(最上川にかかる橋)
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(橋の袂から高野一栄亭址裏の最上川の下流をみる。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/7d/aeba93778cf1c0bdae0b4c739ffd9118.jpg)
(堤防下の高野一栄亭址の句碑の標柱)
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(「さみだれを」芭蕉真蹟歌仙の碑の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/18/a99f02a959ba03e222d2ff35d8be3299.jpg)
(「さみだれを」の碑)
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(句碑を拡大したものの、写真の撮り方が悪く文字は読めない)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/96/71ef0e3f5f0c31d6e2114b43473fb522.jpg)
最上川にかかる橋を北へ行くと、
乗船寺がある。
大石田で思い起こすのは戦後
ここに疎開してきた歌人の斎藤茂吉。
茂吉は郷里の上山市に疎開して終戦を迎えた後、
大石田に移住し、多くの歌を残した。
住まいを聴禽書屋(ちょうきんしょおく)と名付け、
現在は町立歴史民俗資料館の一部となっている。
大石山乗舩寺には茂吉の墓がある。
「浄土宗 大石山水路院 乗舩寺」という。
(乗舩寺境内案内に見入る旅人)
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(乗舩寺本堂)
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(境内にある茂吉の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/75/a5885f3db49f1ed4533ce01a62a0f1ba.jpg)
歌碑
・最上川逆白波のたつまでに
ふぶくゆふべとなりにけるかも 茂吉
なお、乗舩寺にある釈迦堂には、
日本では見るのが珍しい釈迦の涅槃像があって、
観光客の見物が多く見学待ちで時間がかかった。
(釈迦堂の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fa/fa26a47abccd49ce01c5d5b1c9f77dfb.jpg)
(釈迦堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/92/1426ff81d25fcdcdd717c1db94ac63c7.jpg)
(釈迦の涅槃像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ab/aa0fc6b307e9de8aee32c9462aff3a87.jpg)
同じ大石田にある石水山西光寺は時宗の寺で、
最上三十三観音第二十九番札所である。
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(仁王門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b9/4165224b4ebd278f0ab5e9f242510108.jpg)
(阿形の仁王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/20/f5b4ef11155f4f39b2282d7ac2090dc4.jpg)
(吽形の仁王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/5a/b9ccdf335bde50d55420833ef475feb1.jpg)
(本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b1/11fb684eae2b688839112e0441741b9f.jpg)
・さみだれをあつめてすずしもがミ川 芭蕉
(句碑)
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脇句の
・岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9f/ab9dbf6e4476ab32a2c7dad769cf8eb7.jpg)
日照りが強くて、汗を流しながらの見学であった。
「奥の細道」本文では、「最上川乗らんと、大石田に日和待つ」「このたびの風流ここに至れり」と最上級の賛辞です。
ところが、実際に句会も開き、乗船した新庄に関しては一切の記述がありません。単なる省略ではなく、不快な思いをしたと私は解釈しています。
じゃないのですか?
自分のの意図とは違う流れで、
楽しくありませんでした。
「おくのほそ道」で「集めてはやし」とあり、
推敲されたものと思われます。
ありがとうございました。
西光寺の子供が造った様な阿吽の仁王像、思い出して思わず笑いだしました。